6日目・ベリーズ入国


昨日のティカルで、結構、燃え尽きたけど、まだまだ初めての遺跡が残ってる。ツアーは、ようやく中盤だし、暑くても頑張らないと(ツアーって頑張るものなのか)。
なんとなく、わたしの旅は、どこか間違っているような気がするけど、まあいい、今日は、グアテマラを出てベリーズに入る。

実は今日からガイドさんが変わる。グアテマラが楽しかった一つに、ガイドさんが凄い詳しくてプロらしい人だったことがある(地球の歩き方に出てくる人だよん。PRしたほうがいいのかな)が、今日からの彼はどうかな〜。
見るからに陽気なガイドの彼は、なんとグアテマラとベリーズ二つの国籍を持つ男なのであった。パスポートも2つ持ってる。父親がグアテマラで母親がベリーズだったかな。メキシコに行くときはベリーズ人の方が楽だから、そっちのパスポートを使うとか言ってるけど、そういうのってありなのかね。

ところで、ベリーズって国を知ってる人って、どれくらいいるんだろう。わたしは遺跡を調べるまで知らんかったぞ。

なんでも、独立したのが1981年、四国よりちょっと広い国土に人口23万人の「国」だそうだ。23万人・・って、地方都市レベルだよねえ。しかも、県庁はなさそうだな。
中米では唯一の英語が公用語の国だそうだ。

ホテルから国境までは2時間弱・・・道があんまりよくない。右はグアテマラで最後に撮った写真。ここらへんでよく見る木?




ついた国境は、のどかである。グアテマラ・ホンジュラス国境よりのどかかもしれない。

モパン川という川が国境になっているのだけど、橋を自転車で行き来している人もいるし。写真も撮り放題。かえって落ち着かない。

ベリーズっていう国は、もともとはグアテマラ領だったんだけど、イギリスが徐々に進出し、なんだかんだ理由をつけて独立しちゃった国なんだそうな。イギリスはグアテマラにカリブ海からグアテマラシティまでの道を作ると約束して、独立したんだけど、いざ独立しちゃったら知らんぷりらしい。さすが、イギリス。

そんな歴史があるから、少しは仲が悪くて、国境はそれなりの緊張感かと思ったんだけど・・・。
の〜〜んびり〜〜である。

さすが二重国籍もおっけーの国同士というべきか。



国境越えの手続き中に、緩衝地帯をぶらぶらしていたら、国境の川で水をポンプ車が汲み上げているのが見えた(手も振ってくれた)。

泳いだり、洗濯物をしている人もいて、一見のどか。

でも、実は国境近くのグアテマラ側は内戦時代は激戦地だったので、いまだに水道がないんだそうな。

内戦が終結したのが1996年だから、まだ8年なので仕方ないのか、それとも8年たったのに、というべきなのか。


なんだかんだで国境越えに1時間くらいかかったけど、単に係員がのんびりしていたからのような気がする。係員さんは、これまでと一変して、みんな黒人さんたち。実は、ベリーズっていう国はアフリカから連れてこられた人たちの子孫が多いんだって。おまけに英語だから、なんか中米っぽくない。

微妙に街並みも変わってくる・・・なんというのかな、グアテマラではマヤ系の人の家は土壁が多かったんだけど、まず、とたんに木造の家が増えた。おまけに、どことなくヨーロッパ風というかなんというか。あんまり立派な家ではないんだけど。

などと思っていたら、なんと国境を越えてバスで15分で、本日最初の遺跡入口に到着。
正確に言えば、遺跡に向かう渡し舟(?)に着く。

なんていうんだ、こういうの?

えっとね。川なんですよ。マカル川っていうの。
でね、目指す遺跡は川の向こうにあるのね。

でね、川を渡りたいというと、左みたいのが移動してくるんですね。でね、こっち側についたらね、人を乗せてね、また、移動してあっち側に行くんです。

これ、車も大きくなければ1・2台は乗せられる。
なんか、人力みたいだった。
ロープが渡してあるのかな・・・なんか、それを巻いていたような気がする。

川には、小さな魚がたくさん泳いでいた。
のどかだ〜。
わたしたちのツアーバスは小さいといえども一応バスなので、わたしたちはバスをおいて川を渡り、あちら側に待機している車で遺跡に向かう。車の数が少ないので、分乗してピストン輸送。

坂を上っていくと、遺跡入口。
車を降りて、更に、坂を登って行く。
暑いね。あいかわらず。
もう、首にタオルまくのが標準装備になっている。


   シュナントゥニッチ遺跡

坂を登ると、小さな山みたいなのがある。よくあるマヤの遺跡同様、まだ復元されていない遺跡だ。で、その向こうに、なんか立派なピラミッドの頭が覗いている。



ほお〜〜〜ということで、近寄って撮ったのが、右の写真。

ティカルに近いのに、全く違うどっしりとしたスタイル。
それでいて頂上部分の動きのある綺麗なピラミッドだ。

これはシュナントゥニッチ遺跡で一番立派なピラミッド、
本来は天文台だったらしい。

登れるというので、早速、挑戦。


最初は横にある階段から、途中からはピラミッドの裏手に元々ある階段を利用して登っていく。

40mっていうことだけど、ティカルで鍛えられているので、結構、楽々である。
でも、裏手に階段が作られているピラミッドというのも、めずらしいような・・?

で、上から見下ろしたのが右。

結構でっかい遺跡だ〜〜と思うと同時に、周囲のジャングルが凄い〜とかも改めて思うのだった。



1時間くらいの遺跡観光の後、また、あの渡し場に。
そしたら、いました。
左みたいのが。

イグアナちゃん、です。
かなり、でかかった。

尻尾をのぞいても、50センチくらいかなあ・・・
で、尻尾がかなり長いの。
胴体より、ずっと長い。

ここら辺のイグアナは大きいらしい。
でも、おとなしいのよ。臆病みたい。
で、遺跡側のレストランでお昼になったのだけど、ここのレストランものどかというか。
日本人がベリーズを余り知らないのと同じで、このレストランの人たちも日本人の客ははじめてだったらしく、サービスしようという心意気は感じるのだけど、方向性が違うんだよね。パイナップルをいっぱい出してくれるのはいいんだけど、芯は切ってないし、数もばらばらだし。お茶もコーヒーか紅茶か聞くのはいいんだけど、コーヒー出したら紅茶は忘れちゃうし。

なんか一生懸命なのは微笑ましいんですが(笑)。そのうち、ここも観光地化が進んで、サービスも洗練されちゃうんでしょうかね。

で、食事の後、カル・ペチ遺跡へ移動。
これがバスではすぐ。10分くらい。随分近いところにあるものだ。
       カル・ペチ遺跡

このカル・ペチ遺跡という遺跡、なんでも紀元前250年くらいには人が住んでいたらしい。
オルメカの影響があるとか、歴史的な遺跡であるのだけど、行ってみると結構地味である。

で、地味なだけでなく、この遺跡、わかりにくい。

右の写真を見てもらうと、少しは分かってもらえると思うのだけど、この遺跡、木が深い。で、薄暗いんだけど、なんか遺跡の構造が複雑で、歩いているとどこだか分からなくなってしまう。
わざと迷路みたいにできているのか・・・・?
特に大きな神殿ピラミッドとかないので、位置関係がつかみにくくて。

で、遺跡の中をうろうろ観光しているうちに、また長風呂でのぼせたようになってきました。
湿気がすごいんだよね。

遺跡に隣接して小さな博物館みたいなものもあるのだけど、クーラーがきいているわけでもなく・・・外の日陰で休んでたら、また凄い雷の音が聞こえてくる。

雷の音に急かされるように、バスに乗り込んで、一路、今日の宿泊地ベリーズシティに向かう。

向かうんだけど、途中からは、ひたすら平たい大地である。
でね、家もないし・・・。
道端には極楽鳥花が群生して咲いてて、綺麗なんだけどね。

もともと、国の名前である「ベリーズ」というのはマヤ語では「ぬかるみ」という意味らしく、ここらへんの大地の多くは雨が降るとぐちゃぐちゃ状態らしいのだ。だから、家を建てるのも大変らしい。ハリケーンがくると凄いことになるし、これから向かうベリーズシティというのは元首都なんだけど、ハリケーンが凄いんで首都を引っ越したんだそうな。

たいら〜〜な大地を、ひたすら2時間。日が沈むころ、カリブ海に面したベリーズシティに到着。
しかし、これが元首都にして、国で一番の大都会か、と悩まずにはいられない。

まあ、一番の大都市で国の人口の4分の1が住んでいるといっても、国の人口が約23万なんだから、所詮、5〜6万人の街なわけで。

それにしても、道を歩いてるお兄さん達はレゲエでかっこいいですねえ。

でもでも、泊まったホテルはクーラーの効きも悪く、バスタブにはお湯がたまりませんでした。まあ、シャワーのお湯が出るときもあったから、そんなもんか。どっちかというと遺跡めぐりより海水浴を楽しむお客さんの方が多そうである。

でも、明日も遺跡めぐりだもんね。

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