13日目
今日は、朝の飛行機でアウランガバードからムンバイに向かう。
明日の午後にはムンバイから日本に帰ることとなるので、丸一日の観光としては今日が最後。
早いなあ。
朝方、ホテルの窓から、デカン高原のテーブルマウンテンのシルエットが浮かび上がってるのが見えた。
早めの朝食の後、飛行場へ。
8時45分の飛行機は、わずか10分の遅れで無事飛び立った。
ムンバイまでは1時間弱のフライト。
ムンバイ
ムンバイ、昔の名前はボンベイ。でも、もっと昔の元々の名前はムンバイ。
ボンベイと呼ばれていたのは、外国人がムンバイと発音しにくかったためらしい。最近のインドでは植民地時代の地名をインド古来のものに直す動きがあることから、昔の名前に戻っている(そういえば、カルカッタも今はコルカタだったね)。
ムンバイはアラビア海に臨む良港で、インド第一の人口を誇る大都市・経済都市でもある。
「ムンバイ」という名前の由来は、漁師の女神の名前ムンバイ・デビにあるそうな。
もともとは、小さな漁師町だったのが、外国人によって港が整備開発され大都市になったらしい
。ちなみに、「ボンベイ」というのはポルトガル語で「良い港」という意味とか。
人口は1500万とも1800万人とも(ガイドさんによって300万も違うのは何故・・・)言われており、最近の好調なインド経済を象徴するような高層ビルが立ち並んでいるかと思えば、一方で、今でも人口の約半分はスラムに住んでいるんだそうだ。
写真はムンバイ名物の洗濯場。
働き者の人たちは、朝早くから選択をして、かなり稼いでいるんだ・・・というけれど、こういう場所って、スラムっていうんだよね、たぶん。
実は、前のインド旅行も最後はムンバイだったんだけど、その時は、郊外にある空港に近いホテルに泊まって、ムンバイ中心街からは40キロ以上離れたカンネリー石窟群を見ただけで、市内には入らなかった。
そのとき、「ムンバイ市内に入ると渋滞で身動きが取れなくなるんですよね」と言われてたんだけど、今回は、ムンバイ市内も観光する。
で、混雑振りだけど、確かに凄い。
ムンバイ市内の移動は時間が読みにくいというけれど、これは東京並だわ・・・。
ヴィクトリア・ターミナス駅
大渋滞の中を、バスはたらたら走って(?)行く。最初に目指すのは、最近、世界遺産に登録されたヴィクトリア・ターミナス駅
ヴィクトリア・ターミナス駅は約150年前、イギリス植民地時代に20年の歳月をかけて作られた建物。
この付近には古い建物が多く、隣は市役所。これも150年前の建物だとか。
駅の中は柱も豪華だし、さりげなく、かっこいい彫刻なんかもされてるし、時計も年代ものだし・・・かなり豪華な建物であることは分かるんだけど、ここ、観光するの凄い大変。
ちょっと説明を聞いているうちに、物乞いの子供達に取り囲まれて、カメラは勝手にシャッター押しちゃうし、持ち物は触ってくるし、気を抜けない。ここの子供達だけは頭にきた。
でも、なんか、子供を怒ると、自己嫌悪になっちゃう・・・・。頭では分かるんだけどね、この子供達に罪はないって言うことは。教育も受けられないで、物心ついたときから物乞いさせられているんだろうし。とはいえ、マジでむかつくぜ。あ〜あ。どうして、いい気持ちで観光させてもらえないんだろう・・・。ここら辺は、古い立派な建物が建ち並んでいて、かなり見事な地区なんだけど・・・。
なんか、ちょっとというか、結構落ち込んだ気持ちになったところで、お昼ご飯。
今回のツアーで一番いいレストランで、おいしいインド料理を食べて、気力を回復。
インド門
昼食後は、海を臨むインド門に移動。
インド門はイギリス国王ジョージ5世がインドに来ることを記念して、1911年に作られた門。
港に面しているのは、ここから国王がインドに上陸したから。国王の記念すべきインドの第一歩のための門なんですね。
近くで見ると、やたら、でかいです。
この門、でかすぎるので、エレファンタ島に向かう船からの方が全体がつかみやすい。
ちなみに、インド門の左手後方にある立派な建物は、憧れのタージ・マハル・ホテル。もちろん、こんないいホテルには泊まれません。見るだけ。
エレファンタ島
インド門のそばから、世界遺産の石窟寺院があるエレファンタ島に船で向かう。
実はインド門のそばには海軍の基地があって、写真撮影が厳しく制限されてる。
軍の基地は当然撮影禁止。基地の方角にカメラを構えるのも禁止。
インド門方向だけはとってもいいよ、とのことですが・・・。
幸い、波はおだやかで、インド海軍の軍艦なのかな〜という船影を見たりしながら船に揺られて30分位したところで、遠くにエレファンタ島が見えてきた。インド門を出てから、1時間弱でエレファンタ島に到着。
エレファンタ島の石窟寺院は、本当は午前中の方がお日さまの光が入って内部の彫刻がよく見えるらしいんだけど、日数が限られたツアーなんで、残念ながら夕方の観光になってしまった。
でも、エレファンタ島は、天気が悪くて波が高かったりすると船が出ないので、ツアーの予定に入ってても運が悪いと行くことができないというから、見られるだけでいいと思わないといけないのかも・・・・と自分を慰める。
まあ、行って見ると、なんか可愛い電車もある。これに乗っていくらしい。
可愛い電車で、海岸線から石窟寺院に通じる階段の近くまで移動する。電車を降りると、これからは階段を登らないといけない。1000段あると聞くと、くらくらして、輿に乗っちゃおうかなあ、とも思うけど、石段の両脇に露天のおみやげ物屋が並んでるんで、お土産みながら、歩くことにした。比較的ゆるやかなんですけどね。やっぱ、きついや、1000段。
ああ。そろそろ限界かも、と思ったら、石窟寺院の入口だった。
エレファンタ島の石窟寺院は、7・8世紀ころ作られたらしい。
かってはいくつものヒンズー教寺院があったらしいけれど、16世紀ころにポルトガル人が面白がって彫刻を壊して遊んでいたということで、多くは破壊されてしまっている。
その中で、破壊を免れたというか、比較的保存状態がいいのが、この第1窟。入口にはお猿がいっぱい。
この石窟寺院は、シヴァ神の寺院で、ポルトガル人による破壊を(比較的)免れたのは、寺院最奥部に彫られた巨大な3面シヴァ神がキリスト教の三位一体を連想させたかららしい。
三面シヴァ神は高さが5.5mもある巨大な石彫だ(右下)。一番奥にあるので、暗くて写真に撮りにくかったけど、とても優美で、素晴らしい顔をしている。
他にも、この石窟寺院には多くのレリーフが残されていて、それは全てシヴァ神。
踊るシヴァ神(左下)、シヴァ神とパールヴァティとの結婚式、シヴァ神とパールヴァティのカイラーサ山での生活、そして、半男半女の姿で表わされたシヴァ神(アールダナーリシュヴァラ)など・・。
エレファンタの石窟寺院が、ちょっと暗くなっていたのは残念だったけど、ここの彫刻は、みんな表情が穏やかですてきだったんで、かなり満足。
ムンバイに戻る途中で、日が沈み始めた。夕暮れのアラビア海
明日の午後には、もうインドを離れる。
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