2日目

朝起きて窓から外を見ると凄い濃霧だ。真っ白で何も見えない。この濃霧の影響なのか、関空からの飛行機は、なんと、まだ到着していないらしい。夜の8時ころに到着予定だというけれど、最初から波乱ですなあ。今回のツアー。
今日はデリー市内観光をしてから、アグラに向かうことになっている。関空組はデリーからアグラに直行するんだろうか・・・。なんか気になるけど、わたしたちがどうにかできるものでもなく、観光開始である。朝方は寒いくらいで、上着が必要だ。やっぱ冬なのね。


クトゥブ・ミナール

クトゥブ・ミナールはニューデリーの南の郊外にある。

着いたときはご覧のとおり・・・まだ霧で霞んでいた。少しづつ、霧は晴れては来てるんだけど・・。

これはインドに本格的に進出したイスラム王朝が建てたインド最初のイスラム建築。その歴史的意義からか世界遺産にもなっている。

イスラムは11世紀ころからインド進出を図っていたらしいけど、本格的に進出してイスラム王朝(マムルーク朝)を建てたのは13世紀初頭のアイバクのとき。

彼は熱心なイスラム教徒だったらしく、ヒンズー教徒を破った記念に「勝利の塔」として右の塔を建てている(完成したのは次の王のとき)。
この塔の横にはインド最初のモスクも建てられ、この塔はミナレットの役目もしたらしい。

高さは72・5m。現在でもインドで一番高い塔だけど、実は昔はもっと高かったらしい。



塔は5層になっていて、下の3層は赤砂岩で、上の2層は大理石と砂岩で出来ているとのこと。上の2層は修復されたものらしい。
下左の写真で見てもらえば分かるように、この塔の一番下の層は半円柱と三角柱の繰り返しになっている。その上の第2層は半円柱、その上の第3層は三角柱。
見上げるのは結構大変・・・・。でも、この変化がなんともいえないリズム感を生んでるんだろうね。
模様のように見えるのはコーランのアラビア文字。偶像崇拝禁止のイスラム教らしい。

下右の写真は隣接するモスク跡。こちらはモスクなのに人物像(柱の上)などがある。その理由としては、これを建築した時にはインドの工匠がヒンズー教やジャイナ教の建築しか知らなかったからとも、ジャイナ教の寺院を改築したからとも言われているらしい。

実は、このクトゥプ・ミナールにはSF好きというかトンデモ本好きには有名なものがある。
その名も「錆びない鉄柱」!
この鉄の柱については、よくこんな風に紹介されています。

「1600年前に作られた鉄の柱であるにもかかわらず、なんと、この鉄の柱には錆がまったく出ていない。
錆止めがされたわけでもなく、ステンレスでもない。
現在の技術をもってしても、このような錆びない鉄の柱を作ることは不可能である」云々

古代の超文明とか、宇宙人説とか、その手の世界では結構有名な柱なんで楽しみにしてたんですが

なんと

錆びてます(笑)
分かるかな? 下の方・・・錆びてるでしょ。

錆が出たのは最近らしいんですけどね。
1600年前のグプタ朝の時代のもので、最近まで錆びてなかったのは本当らしいんですが、多くの人が触ったせいか、錆が出ちゃったんだそうです。
今では保護するために近寄れないようになってて、ちょっと残念。


他にも、ここにはクトゥプ・ミナールの倍の塔を建てようとして挫折したという塔の基礎部分なども残っていて、結構面白い。




フマユーン廟

お次はフマユーン廟。
フマユーンという王様はムガール帝国2代目で、初代が築き上げた領土を失い、国外を何年も放浪して、やっとデリーを奪回したと思ったら、その半年後に書庫の階段から落ちて死んでしまったというかわいそうな王様である。彼の息子が有名なアクバル大帝。

フマユーン廟の入口では、蛇使いのおじさんが店開きをしていた。中に入ると長い参道のようなところを歩くんだけど、そこにはリスさんがたくさん駆け回っていて、なかなか心和む場所でもある。


このフマユーン廟は、フマユーンの妃の一人(アクバル大帝のお母さんかと思ったら、そうではないらしい)が建てたもので、タージ・マハルのモデルになったとも言われている建物。
ちなみに、タージ・マハルを建てたシャージャハーンはフマユーンのひ孫にあたる。

タージ・マハルと違ってミナレットはないけれど、綺麗な建物だ。

この廟の周囲の庭園は水を引き、噴水を作ってあって、シンメトリーになっている。





近づくと、いたるところに赤砂岩を彫り込んだ浮かし彫りが目に付く。

これ、石を彫り込んでるんですよ。すごいね〜。

インドの人たち、こんな石の透かし彫りが得意みたいです。

このフマユーン廟はムガール帝国最後の皇帝がセポイの反乱で敗れた後、イギリスによって幽閉された場所でもあって、インド独立戦争はここから始まったとも言われているんだそうだ。

その意味で、インドの人にとっては思い入れのある場所のようで、「イギリス人は2人の王子の首を切って皇帝に見せたんだ」と憤って話してくれました。

ここも世界遺産なんだけど、もしかしたら建築としての素晴らしさだけでなく、そんな歴史的意味からも世界遺産として選ばれたのかもしれない。





フマユーン廟の脇には宰相イーサーハーンの廟もある。

元は床屋だったんだけど、頭がよくて宰相にまで出世したヒトなんだって。


かっては、とても綺麗な廟だったというので、近づいて見学してみた。
良く見ると、結構、今でも色が残っている。
なんていうのかな、ちょっとかわいい色使い。
確かに〜〜昔はかなり綺麗だったに違いない。ちょっと寄り道する価値はあるかも。





インド門


インド門はインドの戦死者を祀る門。
第一次世界大戦から最近の中国・パキスタンとの紛争で亡くなった人まで祀られているんだそうだ。

今でも、インドの海軍・陸軍・空軍の兵士が毎日交代でこの門を守ってるんだって。この日は空軍の兵隊さんが守っていました。

1月26日が共和国記念日ということで、お祭りの準備で賑わっています。

そうそう、元々は、インド門の奥にイギリス国王の像もあったんだけど、それはもう撤去しちゃったんだって。




国立博物館

本日最後の観光は国立博物館。ここには教科書でおなじみのインダス文明の展示品やら、ガンダーラ美術の仏像やらあって、見どころ満載。インダス文明の部屋は写真撮影禁止なのが残念ですが・・・凄いものがごろんごろんと置いてあるんだよね。有名な踊り子の像は凄い小さくて驚きます。
撮影可能な部屋から、ハンサムなガンダーラ仏と色っぽい女神様を。

ということで本日の観光終了。9時過ぎから2時まで、結構、本日の観光は濃かったですね。
遅いお昼を食べて、3時過ぎにアグラに向けて出発。

アグラまでは約200キロだっていうけど、これが凄かった。時速50キロでも4時間じゃんとか思ったんだけど、全くもって甘かった。道が凄いんですよ〜〜(涙)。
前にGWに来たときは、ひたすら暑かったという記憶だけで、道が悪かったっていう記憶はないんだけどなあ・・・・。
なんでも、インドでは夏の雨期に道が壊れる→冬の乾期に道を直す→夏の乾期に道が壊れる(以下略)の繰り返しとのことで、GWのころはちょうど道を直し終ったころだったわけですな・・・。

そんなこんなで、アグラに着いたのは8時半近く・・・。


ホテルは・・・クラークス・シラーズというホテルでした。
部屋とかは清潔だし、結構よかったんだけどね。

ただ、いつまでたってもお湯の色は茶色いまんまだった。

アグラはタージ・マハル観光の拠点だし、ホテル多いんだろうになあ。
競争とか激しいと思うんだけど・・・。

でもまあ、熱いお湯だったし、インドだから文句言わない。

バスが揺れて腰が痛いんで、洗濯して早く寝ました。明日は前半のハイライト、タージ・マハル観光だしさ。


そうそう、洗濯物の乾きはばっちしだった。このホテル。


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