3日目

今日はアグラ城とタージ・マハルを見てから、アグラを離れ、ジャイプールに移動することになっている。タージ・マハルはもちろんアグラ城も世界遺産。おまけに、ジャイプールに向かう途中に立ち寄ることになっているファテープル・シクリも世界遺産。前半のハイライトだ。

飛行機が遅れている関空組も昨日の夜には着くことになっていたから、タージ・マハルは一緒に見られるんだね、という話をしていたんだけど、なんと、関空組はまだインドに着いていないらしい。どうなってんだ?いくらなんでも、遅れすぎじゃないの〜〜???

とはいえ、わたしたちにはどうしようもないので、まずはアグラ城に向かう・・・。

アグラ城
アグラ城は16世紀に建てられたムガール帝国の象徴とも言えるお城。


赤い城壁が印象的。

堀をめぐらしていて、結構無骨なつくり。

城壁の全長は約2・5キロということで、城壁の中に多くの宮殿や謁見の間、モスクまであるそうな。

このお城を建てたのはアクバル大帝。

アクバル大帝が建てたときには要塞としての色彩が強かったらしいけど、その後、アクバル大帝の孫にあたるシャー・ジャハーン帝が宮殿などの増改築を行ったとのこと。



ということで、このお城はアクバル大帝が建てた部分とシャー・ジャハーンが建てた部分があるわけだけど、見分け方はとっても簡単で、赤砂岩でできているところはアクバル大帝、白大理石でできている部分はシャー・ジャハーンと考えれば、大体間違いがないそうだ。

シャージャハーンといえば、あのタージ・マハルを建てた王様である。そして、タージ・マハルを建てた後、息子であるアウラングゼーブによって、この城に死ぬまで幽閉された王様でもある
どうやらシャー・ジャハーンという王様は白大理石が好きらしい。それにシャー・ジャハーンのころはムガール帝国の絶頂期で財力も豊かだったんで、高い白大理石も使えたんだって。なるほどね。では、中に入りましょう。


門をくぐると、お猿さんがたくさんいる。インドって、至るところに動物がいる。


先に進めば、いろんな建物が現れてくる。

アクバル大帝はイスラム教徒ながらヒンズー教徒とも融和策をとったということで、赤い建物はイスラムとヒンズーの融合が面白いということだけど、やっぱり綺麗なのはシャー・ジャハーンの建てた白い建物。

左の写真はムガール様式の庭園と、その先にある皇帝の寝室ハース・マハル(正面)。内部のアラベスク模様や透かし彫りがとてもきれい。

ハース・マハルの左隣の変わった形の建物はシーシュ・マハル。鏡が嵌め込まれた装飾がきれい。

そして、その先に、シャージャハーンが閉じ込められていたという八角の塔がある。
逆光になってしまったけど、下の写真がその塔。




ちょっと靄っていて、写真には写らなかったんだけど、ここからは確かにタージ・マハルが見える。

タージ・マハルについては、時々誤解している人がいるけど、あれは宮殿や寺院ではなくシャー・ジャハーンの愛妃ムムターズのお墓である。
亡くなる前にムムターズが「私のために世界で一番綺麗なお墓を作って頂戴」と言って、よしよしとシャージャハーンが作ったのがタージ・マハルである。
言うほうも言うほうだけど、実際に作ってしまうほうもなんだかな、である。

おまけに、シャー・ジャハーンはタージ・マハルの隣に、自分の墓を建てようとしていたらしい。
しかも、タージマハルとそっくりの建物を黒大理石で建てようとしていたというのだから凄い。ムガール帝国の財力や恐るべしである。

見てみたかった気もするけど、残念ながら息子に幽閉されて果たされなかったわけである。


私はタージ・マハル作って帝国の財力を傾けたから息子が怒って幽閉したのかと思ったんだけど、現地ガイドさんの話では次期国王の座をめぐっての争いだったらしい。
もっとも、この現地ガイドさんは「この塔の中にダイヤモンドを置いて、シャー・ジャハーンはタージ・マハルをダイヤモンドに写して見てたんだ〜」とか言っていたから、本当かどうかわからない。

アグラ城は、他にも白い大理石でできたモスクとか、謁見の間とか見どころが多い。今でも、十分美しいんだけど、昔は更に金銀宝石で飾られていた(イギリスが持って行ってしまった)と言うのだから、その豪華さは想像以上だったんだろう。



お次はいよいよタージマハルに向かう。

タージマハルは最近排気ガスで汚れてきているとかいうことで、保護のため、車では近寄れない。駐車場から電気バスに乗り換えて移動する。

アグラ城から電気バスの駐車場まで車で20分くらい。
電気バス以外に、馬車やらくだ車(?)でも行けるらしく、なんかいっぱい客待ちをしている。

それに写真に撮る勇気はなかったけど、・・・・足が萎えた物乞いが四つんばいで・・・凄まじい勢いで寄ってくるんですよ、しかも、何人も何人も。

これってかなり辛い。




タージ・マハル
電気バスから入口まではあっという間だけど、タージ・マハルの入口は厳重警戒で、結構入るのに時間がかかる。なんせ、電池が入ったものやライターは一切持ち込めない。入口でのチェックはかなり厳しい。携帯電話も取り上げられるので要注意。


入口からしばらく歩くと、茶色と白の正門が見えてくる。
そして、正門に入ると・・・見えてまいります。

おお。美しいですなあ。

タージ・マハルは、上にも書いたけど、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルのお墓である。

シャージャハーンはムムターズを超溺愛しており、戦場にも連れて行ったらしい。
そして、遠征先でムムターズは14人目の子を産み、36歳の若さで亡くなった。そこで、悲嘆にくれたシャージャハーンが22年の歳月をかけて作ったお墓が、このタージ・マハル。

「ムムターズ・マハル」が縮まって「タージ・マハル」になったらしい。




タージ・マハルを貫く美意識は徹底した左右対称。
正門からタージ・マハルまでは水路・泉が設けられており、これも左右対称

そして、タージ・マハルの向かって左にはモスクが、向かって右には左のモスクそっくりの建物が建てられている。左右対称を崩さないように、わざわざ同じ形の建物を置いているわけ。

そして、タージ・マハルの四隅のミナレット(塔)が安定感を生んでいる。
ミナレットというのは本来はモスクにつきものの礼拝を呼びかけるための塔なのだけれど、ここではモスクではなく霊廟を取り囲む形で置かれている。


でも、難しい話なんてどうでもいいくらい、ともかく純粋に「綺麗だ〜〜」という感想しか出て来ないですね。いやあ、まじで綺麗です。
インドの人たちにも人気があるらしく、外国人だけでなくインドの人もたくさん来ている。

白大理石を飾る象嵌は、なんとダイヤモンド・サファイア・珊瑚・水晶・トルコ石・瑪瑙・・・・。



いやあ・・・ともかく、綺麗だわ。シャー・ジャハーンとムムターズの愛の奇跡だかなんだか知らないけど、綺麗なのは間違いないわ。シャー・ジャハーンは約束どおり、世界一綺麗なお墓を作ったわけですな。

そんなタージ・マハルで唯一、左右対称が破綻しているのが、皮肉にもムムターズの棺が置かれた場所だとか。
シャージャハーンの死後、アウラングゼーブ帝によって、シャー・ジャハーンの棺はムムターズの棺の隣に置かれたため、タージ・マハルの完璧な左右対称が破綻してしまったわけ。

ただ、墓所の内部の喧騒ぶりはすごい。東京の通勤列車なみの混雑ぶりだった。警備の人が笛を吹いたり、うるさいうるさい。これではムムターズもシャー・ジャハーンもうるさくてしょうがないだろう。

そうそう。ちょっと意外だったのは、シャー・ジャハーンという王様は決してオンナにうつつを抜かすタイプではなく、実は政治にも力を注いだし、遠征も繰り返して領土も広げた立派な王様なんだそうだ。彼の時代がムガール帝国絶頂期というのは、決してご先祖様のご威光ではなく、彼自身の頑張りにもよるわけ。それを聞いてしまうと、晩年、幽閉されてしまったのがかわいそうになりますね。でも、タージ・マハルの凄さを見ると、これと同じものを今度は黒大理石で作ると言われたら、思わず幽閉したくなる息子の気持ちもちょっとわかる。

あと、シャー・ジャハーンを幽閉したアウラングゼーブ帝の名誉のために付け加えておくと、彼のお墓は遺言により、信じられないほど質素なものになっている(大理石の石があるだけ、といってもいいくらい)。
それと彼のお母さんはムムターズだそうです。息子としては、色々と複雑だったのか、自分のお墓は極端に質素なくせに、彼の妻のお墓はタージ・マハルのミニチュア版みたいなカンジ(アウランガバードにあるビービー・カーマクバラー)。

タージ・マハルでは写真を撮りまくったので、そのうち別にアルバムを作ります。
裏手にはヤムナー川が流れ、アグラ城ものぞめるし・・・・
純粋に「綺麗!!」っていう場所
タージ・マハルの隣のモスクからも、結構面白い写真が狙えます。
でも、最後は定番写真



ということで、タージ・マハル観光を終え、駐車場に戻ると、再び、体の不自由な物乞いたちのバクシーシ攻撃・・・・・これがインドなんだよね・・・・。なんか、どっと疲れる。
お次は、本日3番目の世界遺産・ファテープル・シクリに向かう。1日に3箇所も世界遺産見るなんて、もしかしたら始めてかも。


ファテープル・シクリ

ファテープル・シクリに着いたのはアグラを出て1時間ほどだった。
ここは、そんなに期待してなかったんだけど、わたし的にはかなり気に入ってしまった。


ファテープル・シクリというのは、アクバル大帝が作った都なんだけど、わずか14年しか使われなかったという場所。

なんでも、世継ぎに恵まれなかったアクバル大帝が、この地の聖者から世継ぎに恵まれるという予言をもらい、実際、そのとおりに世継ぎが生まれたことから、感激したアクバル大帝が聖者への感謝のために、この地に遷都したらしい。

で、そのころアクバル大帝は西インドを制圧したので、ここを「勝利の都」=ファテープル・シクリと名付けた。

ところが、水に恵まれなかったので、結局、わずか14年で放棄され、その結果、ほとんど使用されなかった都が、そっくりそのまま残ったというわけ。あ〜もったいない。



アクバル大帝の時代の建造物なんで、赤砂岩でできている。

で、なにがいいって、ここにはアクバル大帝の遊び心が満ちているカンジがするんだよね。

たとえば右の5層の建物。

なんか変わってるでしょ。

一番上からは月を見たんだとかいうけど、なんなんでしょ、これ。


昔は壁があったんだともいわれてるみたいだけど、今は完全な吹き抜けの建物。

他にも、王達が人間チェスをして遊んだ場所(官女達を使ったんだろうなあ)とか、夏場は水を張った王様の寝室とか、なんか不思議な謁見場とか(王様が上から下の議論を見ていた?)、なんか面白すぎる。



左下は謁見場の玉座? 部屋の真ん中に、この柱があって、部屋の四隅からここに向かって橋がかかってるんですよ。なんか、楽しそう〜。でも彫りは凄いでしょ。
右下はお妃の部屋の壁のレリーフ。もともとは、この上に漆喰を塗って彩色もしてたらしいんだけど、凄い繊細で綺麗。
アクバル大帝はヒンズー教徒との融和策をとっていたということで、ヒンズー教徒のお妃ももらっていて、彼女のためのヒンズー教寺院もある。

それにしても、この都は16世紀後半・・・日本でいえば、安土城が築かれたころのものなのに、その後、壊されることもなく、そのままだったということも凄いかも。

ということで、本日の観光終わり。後はジャイプールまでひたすらバスで移動。
夕方まで3つも観光して回ったせいか、ジャイプールのホテルについたのは夜の8時ころ。悪路を・・・何時間走ったんだろう。しかし、この道の悪さは想定外だ。インドを冬に旅するときは、道の悪さを考えないといけないね。ああ、腰が痛い・・・。

ホテルは結構設備はいいんだけど、なんか不思議な音が・・・。窓から覗いてみたら、なんと鳩さんがたくさんいて、鳴いているのであった。なんだかな。

明日はジャイプール市内観光をして、デリーに戻る予定。


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