5日目・ペルセポリスとシラーズ


今日は、ペルセポリスとシラーズ周辺のナクシェ・ラジャブ、ナクシェ・ロスタムという遺跡、そしてシラーズ市内の観光。かなり盛りだくさんの1日である。

シラーズは、薔薇と詩で有名な街。なんと乙女チックな。女性に人気のスポットだ。
でも、やっぱ、ペルセポリスである。わたしにとっては、中東の3P、最後の一つである。パルミラ・ペトラと並ぶ大遺跡で人気も高いペルセポリスである。そして、やっぱり凄かったペルセポリスである。だから、例によって別にペルセポリスのアルバムを作りました。興味のある方は下の写真をクリックするとペルセポリスのアルバムに行けますので、どうぞ。


       ペルセポリス
シラーズのホテルから1時間でペルセポリス到着。遺跡の前にはネットカフェやらなんやら、色々と設備が整っている。さすがイランが誇る大遺跡だけあって、気合を入れて整備しているんだろう。

さあ、ペルセポリスである。わくわく。

ペルセポリスは一段高くなった基壇の上に建設されている。

このペルセポリスに向かう石段からして遺跡である。馬に乗ったまま上り下りができるという大階段を昇って、いよいよアケメネス朝ペルシャの世界へ。

まずは、迎えるクセルクセス門。
わあお。
有名な人面有翼獣神像である。とはいえ、顔は後にイスラム教徒が壊しちゃってるけど。

それでも、やっぱ、すごい。でかいし、彫りが力強いし。

そして、聳え立つ巨大な柱。

でっかいい。




クセルクセス門から、有名な百柱の間・アパダナ(謁見の間)までは、結構、距離がある。

途中には、柱を飾っていた双頭のグリフィンや牡牛などが、ごろごろしている。


牡牛は、アケメネス朝ペルシャでは、かなり好まれたものだったらしい。
右は、おそらくは門の入口を飾っていた牡牛。

角が取れちゃってるので、温和な表情になっているけれど、なかなか力あるれるフォルム。
それでいて、綺麗なんだよね。

体の部分の損壊が激しいのが残念だけど、それでも往時の姿を十分に想像できる。

ここを抜けると、いよいよ、百柱の間、そして、その奥にアパダナ(謁見の間)。


ここらへんからは、もう興奮モードである。すっごい。詳しいことは、ペルセポリスのアルバムで見てもらうとして・・・面白いものをいくつか。
左はアパダナ(謁見の間)に通じる階段にあったゾロアスター教のシンボル。
右は、同じくアパダナに通じる階段の牡牛と獅子のレリーフ。


すっごいなあ。
パルミラやペトラが都市遺跡で、多くの神殿やら列柱道路やら、色んな見どころ満載で、規模もでかいのに対し、ペルセポリスは宮殿址だから、全体としての規模は小さい。

だけど、逆に、宮殿址でここまで大きくて、しかも保存状態がいいところは他にないんじゃないか、とか思ったりして。

昨日のパサルガダエが、ほとんど何も残っていないのに対し、この保存状態の差はなんだろう。

ただ、本来は、このペルセポリス、右の写真の光っているところみたいに、磨けば黒く光る石でできていたらしい。
黒く光る宮殿・・・かっこいいのお。

どうせなら、全部磨いてくれないかな。

かくして大興奮の3時間が過ぎていく。
あと1時間あれば、博物館も見られたのに・・。



 


                                          ナクシェ・ラジャブ


ペルセポリスから車で10分くらいのところに、ナクシェ・ラジャブの遺跡がある。

これはササン朝ペルシャの時代の遺跡。
紀元後3世紀だから、アケメネス朝からは、ざっと500年〜800年後ですか。日本でいえば卑弥呼のころかな。

ササン朝ペルシャも、ゾロアスター教を国教にした。
左は、ゾロアスター教の善神アフラ・マズダから王権を受け取る皇帝。


 


                                           ナクシェ・ロスタム


ナクシェ・ロスタムも、ナクシェ・ラジャブから車で5分くらいの近くにある。

ここは、アケメネス朝ペルシャの王墓と、ササン朝ペルシャのレリーフが残る場所。

山肌に十字の形に彫りこまれたのがアケメネス朝時代の王墓。

全部で4つの王墓がある。
一つだけ離れて、他は、3つ並んで王墓が彫られている。

ペルセポリスを建設したダレイオス1世やクセルクセス1世らの墓だということだ。
写真は、たしか・・ダレイオス1世の墓だと思うのだけれど。


同じような墓はペルセポリスにもあった。キュロス大王の墓とは、数代で随分と形が変わったものだ。




ここの見どころの一つが、左のササン朝ペルシャ時代のレリーフ。

ササン朝ペルシャの皇帝シャープール1世が東ローマ帝国の皇帝を捕らえたところを記念して彫られたもの。
ひざまずいているのが東ローマの皇帝。
高さ7mという巨大なレリーフである。

ササン朝の大勝利を記念したこのレリーフ、実は同じようなものが他にもあるとか。
よっぽど嬉しかったんだろう。

と、ここで、いきなり雪が降ってきた。ペルセポリスでは陽も差したのだが・・・。なんと、テヘランは大雪らしい・・・って、今日の夜、テヘランに飛行機で移動するんじゃなかったの?
大丈夫か??と思いつつ、シラーズの街に戻るのであった。

 


         シラーズ
最初にも書いたけど、シラーズは薔薇と詩で有名な街。乙女チックというか文学少女みたいというか・・・。いや、薔薇も好きだし、詩だって嫌いじゃないけど、それで有名な街というのはあんまり聞かないよね。日本にあるかなあ、そんな街。


まずは、季節には薔薇が咲き乱れるというエラム庭園。
が、残念ながら、冬のいまは花が少ない。おまけに雪が氷雨に変わってきた。

で、簡単に切り上げて、サーディ廟とハーフェズ廟に。
なんでも、イラン国民が敬愛する四大詩人のうち二人が、このシラーズの出身者なんだそうな。シラーズの市民は、彼らの詩集を持って、彼らの廟で詩を読んだりして時を過ごすとか。本当か、そんな文学少年か文学少女みたいなことを・・・と思っていたら、彼らは本当に、詩集を持って読んでるんですよ。これが。ほ〜〜。

たとえば、右のおじいちゃん。朝からハーフェズ廟に隣接するチャイハネに来て、日がな一日、チャイを飲みながら、詩を謳っているんだそうな。
地元でも名物おじいちゃんらしいけど、どうも、イランというのはそういう国のようです。
ううむ。



雨が激しくなってきた。飛行機はテヘランの雪の関係で遅れているらしい。だいじょうぶかあ。ほんとに・・・。そんななか、シラーズのバザール(市場)を散策することに。
ここのバザールも、なかなか雰囲気がある。絨毯屋(左)も多いし・・・。面白いのは本屋さん、たぶん、コーランとか宗教書が多いのだろうけれど、シーア派らしく宗教的指導者と思われる人たちの肖像画が数多く売られている。随分イスラムも宗派で違うものだね。


とはいえ、絨毯を買わないとなると、あんまり買うべきものは少ない。布とかが好きな人にはたまらないかもしれないけれど。実は、わたし、イランに来て20ドル両替したんだけれど、まだほとんど使っていないんだよね。絵葉書くらいしかお金を使っていない・・・・何か買物したくて、ピスタチオナッツを買ったんだけど、嬉しくなるほどというより悲しくなるほど安い。


と、ここで、悲しいお報せである。
だいじょうぶか、と不安だったが、ついにテヘラン空港が大雪のため封鎖である。

はあ〜〜〜。
どうするんだよ。途中まででも飛行機で行けるのか、シラーズの空港はどうなんだあ。

なんか、添乗員さんが色々連絡取ったりしているのだが、どうも、あんまりあてにならない気が・・。


まあ、ともかく・・・

ライトアップされたシャーチラフ廟を見学。
シラーズで殉教したエマーム・レザーの弟の廟だとか。
夜でも多くの信者がひきりなしに訪れている。

綺麗なんだけど、はて、どうなるものか。




なんか、色々、添乗員さんがやっているのだが、彼はどうも今ひとつなのだ。
結局、バスでテヘランまで移動することになったのだけど・・・飛行場にも行ったほうがいいと思うんだけど、テヘランまで900キロもあるから、すぐに移動するというのであった。

確かに、テヘランに戻れないと悲惨なことにはなるけれど、900キロのバス移動も悲惨である。ましてや、バスで寝るというのは・・・ね。ともかく、バスは走り出す。道は雪に変わっていく。



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