ペルー4日目・マチュピチュ

今日は今回のツアーのハイライト、マチュピチュ観光である。

マチュピチュの見学は主だったものを回るだけなら3時間くらいだろうか。しかし、一説には1万人が暮らしていたと言われる街が丸ごと残っているのだから、凝りだすときりがない。
何しろ有名な神殿だけで、太陽の神殿・3つの窓の神殿・主神殿・コンドルの神殿・・・という具合だし、インティワタナ(日時計)や王女の宮殿、水汲み場も見逃せないし、居住区だって広いし・・・。
ということで、あっという間にフィルムは何本も消えていく。定番写真だけで何枚撮ったことか。
それでこの程度の写真ですか。下手の横好きですね。お馬鹿ですね。懲りないですね。ううう。

ということで、とても写真を整理しきれません。なので、主な見所については別にアルバムにしてみました。太陽の神殿やインティワタナなどを見たい方は、上の写真をクリックしてください。

《注意》 でも、下手です。数だけはあるので重いです。


ここからが旅日記〜♪

今日は5時起き。
なんといっても、今日はツアーのハイライト、マチュピチュ観光♪
朝食のあと、6時に麓のアグアス・カリエンテスのホテルを出発。
バスに乗り込み、マチュピチュを目指す。
バスは有名な13折れの道を400m登っていく。マチュピチュ唯一の豪華ホテル(マチュピチュ遺跡に隣接するホテルは、ここ一軒だけ)の前でバスを降り、いよいよ遺跡へのゲートをくぐる。


マチュピチュ観光は、ゲートから続く道を、ちょっと下に降りて、段々畑から市街地に上って行くコースと、ゲートからすぐ上に続く階段を登って行って、遺跡の高い部分から降りていくコースの2つがあるんだが、
やっぱりというか、まず、登る。
まだ、膝ががくがくなんだが。

このコースは昨日、インカ道から降りてきた道を逆に行くものなんだけど、なぜ、このコースかというと、朝のうちにマチュピチュ定番写真を撮るため、というかマチュピチュ全景を見るため。

インカ道からマチュピチュに入るところの、墓地と言われているところか、そのちょっと下の見張り小屋のあたりからだとワイナピチュを背景にしたマチュピチュ全景がばっちり入る。
で、定番写真は既に何枚も貼ってしまったので、今回はちょっと視点を横にずらしたのを(左)。
マチュピチュが断崖絶壁の上にあるということがわかるかな、と思ったんだけど、どうかな。
朝7時ころのマチュピチュ。



で、マチュピチュ全景の写真を思う存分撮りまくってから、遺跡観光開始の予定だっただけど、ここらへんには右の写真みたいな変なのがいっぱいいる。

リャマである。
4匹一直線に並んでる。
なぜでしょう。

こいつらは、やたら写真慣れしてる。
カメラ目線である。
たぶん、遺跡の写真を撮るときに、リャマが入るといい絵になるんで連れてこられたんでしょうね。こいつらは。

でも、まだ朝だからお仕事する気にならないのか(昼になったら、その気になるのかは知らない)、立ち上がる気配すらない。

なんとなく馬鹿にされているような気にもなるけど、やはり写真に撮らずにはいられません。
ぱちぱち。

この写真のリャマの後ろにある建物が見張り小屋であり、その横にあるのが葬儀用の石。
この石のあたりからは昨日歩いたインティプンクがよく見える。


で、見張り小屋のところから下に下りていくと、太陽の門、という名前は立派だが、とても小さな門があり、そこが本来のマチュピチュの入り口。

太陽の門をくぐると、左右に倉庫といわれる建物がある。リャマで運んだ荷物を保存した場所らしい。
このあたりから見張り小屋を振り返って見上げたのが左の写真。
結構、下って来ている。

見張り小屋から太陽の門までは、いわゆる農業地区で、段々畑が並んでいる。
というか、実は、もっと下まで段々畑は続いているのである。

ここまで整然とした段々畑を作り、しかも耕作をしていたインカの人たちは、凄い勤勉だったとしか考えようがない。
でも、あのインカ道を駆け抜けていたことを考えれば、どうってことなかったんだろうか?
いずれにせよ足腰はかなり丈夫・・としかいいようがない。



インカ道からは下ってくるところにあるとはいえ、やはりマチュピチュは空中都市といわれるだけのことはある。
その標高について、ある本では2280mとあり、他の本では2430mとある。
たぶん、どっちも正解なんだろう。
総面積の約半分が傾斜地なんだそうだから。

それにしても、なぜ、このような場所に街が作られたのか。

ここの発見者であるビンガムは、インカ最後の抵抗拠点ビルカバンバを探していたわけだが、そこにはスペイン風の瓦があったとされるので、スペインの影響が全くないマチュピチュがビルカバンバでないことは確かだ。

よく言われるのは、マチュピチュから発見された人骨の多くが女性だったということ。ここから色んな空想が広がる。
しかし、実は、最近の再調査の結果、これまで女性の骨とされていたものの多くが、実は男性の骨であったことが分かったんだそうだ。
そうなると、また、話は変わってくる?

我らがガイド君は、昨日のウイニャワイニャが宗教行事に不可欠なコカの産地だったことや、女性に間違えられた男性というのは華奢な男性・・・聖職者ではないか、ということから、ここはやはり宗教都市だったのではないか、との説をとっていた。
また、インティワタナの下の聖なる広場にある主神殿の下から、古い石組みが発見されたことから、ここはインカ以前からの由緒ある聖地であった可能性もあるとのこと・・・・。

マチュピチュの建造物の石は白花崗岩で、本来、マチュピチュは白い街であったという話など聞くと、宗教都市マチュピチュというイメージはかなり美しい。

しかし、周囲がこれだけの断崖だったことを考えると、非常時には要塞として機能するように作られていたことは間違いないだろう。

また、最近では、クスコがピューマの形での都市計画がされていたように、マチュピチュではコンドルの形に都市計画がされていたとの説も有力らしい。コンドルの形の都市・・なんなんだろう。
やっぱり、なにもわからないが。


それにしても、マチュピチュの魅力は、自然の素晴らしさだろう。

確かに、インカの石組みは立派だし、数ある建物は、みな興味深い作りになっている。
とはいえ、マチュピチュの建造物には華麗な浮き彫りがあるわけでもないし、美しい彫像が残っているわけでもない。
ある意味、遺跡自体はそっけないともいえる。

でも、この景色の素晴らしさ。他に似たような遺跡があるだろうか。
5月という雨季が終わったばっかりの時期だったせいか、周囲の山もマチュピチュも、緑が濃い。
おまけに遺跡や周辺では、花屋で一鉢5000円くらいで売ってそうな桃色の蘭の花が咲き乱れていたり、可憐な白い花が群生していたり、どうみてもカトレアではないかと思われる花までさりげなく咲いている。

遺跡見学だけでなく、ぼ〜っとしていても、幸せになれる場所だ(もっとも瞑想しちゃうのが多すぎるらしく、いたるところに縄が張ってあるのは悲しいが)。




実は3時間ほどの遺跡めぐりの後、自由時間になったと同時に急に雨となった。

とんでもない不運と思ったのだが、隣の豪華ホテルでちょっと早い昼食(ペルーで一番おいしい食事だった。やっぱり豪華ホテルは凄い)を取っている間に雨があがり、その後、霧のたなびくマチュピチュを見ることができたんである。

幻想的というしかない。
ため息が出る。

晴・雨・霧のマチュピチュ全てを堪能できて、むしろラッキーだったのだろう。

上の写真を撮って、遺跡を後にするとき、誰かがケーナで「コンドルは飛んでいく」を吹いていた。できすぎである。


クスコへ

この後、バスでアグアス・カリエンテスのホテルに戻り、駅周辺の市場(お土産屋が集まっている)で買い物をしてから、3時の電車でクスコに戻った。
クスコまでは4時間なんだけど、途中の駅で降りてバスでクスコに向かう。そのほうが早いらしい。

バスに乗り込んだころには、すっかり暗くなっていた。
そして、クスコ市街の夜景を見るために、外に出たとき、な、なんと、オリオンが逆さまに上っているのを見たんである。空気がきれいなんで、オリオンの四角だけでなくベルトの3つ星も短剣の3つ星も見えるんだけど、ぜ〜んぶ、さかさま!
南十字星よりも、これには感動、びっくりである。

南半球って、そういうことだったんだね。
地球の裏側って、こういうことだったんだね。

明日は、これまた世界遺産のクスコ観光市街観光である。

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