10日目・ペトラ


今回のツアーで、パルミラと並ぶハイライト、ペトラ。やはり、アルバムを作らずにはいられませんでした。ペトラ遺跡の詳しいことが知りたい方は、上の写真をクリックして、ペトラのアルバムにどうぞ。あいかわらず、写真はへぼですが。


ここからが旅日記♪

朝、起きて、昨日激痛が走った足を点検してみる。痛いけど、今日は、歩けないことはないか。ちょっと、足を引きずるけど。ここまで来て、ペトラ観光を諦めるのも悔しいし、行ける所まで行ってみよう、と悲痛な覚悟を決めるわたし。だって、朝食のホテル別館のレストランまで歩くのだって痛いんだもん(昨夜は行けなかったんだから、ましにはなっているが)。でも、平坦なところはともかく、階段はきついな・・・。

今日は、早朝7時にホテルを出て、1日ペトラ観光。遺跡は広く、かなりの暑さが予想されるので、朝早くから観光を始め、昼食後は自由時間にしようという添乗員さんの考えである。
足がこんなんなんでね〜、どこまで行けるか分からないけど、と添乗員さんに話をして、ホテル出発。

ペトラは、もともと遺跡マニアの間では有名な遺跡ではあったが、あんまり一般受けはしてなかった。それが、インディ・ジョーンズ最後の聖戦でロケ地に使われてからはあれよあれよの大人気。かっては1ドルだった入場料も30ドルに跳ね上がり、ヨルダンの貴重な外貨獲得の場所となっている。そのせいか、遺跡の周囲にはお土産屋も多い。今回のツアーで一番、観光客が多い気がする。


入口のゲートをくぐって、まずは、シークを目指す。
シークというのは、左の写真のようなとこ。
両側に高い岩が迫る細い道である。

実際は、ゲートから、シークに入るまでも2・30分は歩く。
馬にも乗れるのだけど、足にいいか悪いか分からないんで、よたよた歩くことにした。

シークに入ると、日がかげるし、朝が早こともあって、ちょっと涼しい。

道も平坦だし、お、この分なら、結構、いけるかも、と期待は高まる。

なんせ、このシークを抜ければ、あのエル・ハズネが姿を現すはず。
ツアーによってはエル・ハズネを見ておしまいというのもあるそうだし、せめて、そこまでは気力で歩くのよっ!

がんばれ、わたし。



そして、シークを歩くこと30分。

シークの幅が急に狭くなる(右)。
当然、暗くなる。

いよいよである。

シークの向こうが明るくて、何かがあることが、ちらりと見える。

さあ。感激の瞬間が近づいてまいりました。



行きますよお。



どきどき

わくわく

お、見えてきた、見えてきた。

期待に胸を膨らませて進む我々の横を、馬車が通り過ぎていったりする。
狭いんだから、危ないじゃないのよっ
とか思いつつ、
進むたびに、建物の姿が大きくなってくる。

向こうは・・明るい。



そして、シークを抜けたところに、待ち構えているのがエル・ハズネ。
岸壁に彫りこまれた、ファラオの宝物庫とも呼ばれる建物、ペトラ第一の見せ場。

このエル・ハズネは、シークに面して彫られているので、シークを出るなりの御対面である。

いま、朝日があたっているところ。

写真を撮るには、夕方の方がいいともいうが、やはり、見たら感動の写真タイムである。
・・・でも、写真だと、やっぱり光っちゃうね。
むずかしいところだ。

このエル・ハズネは霊廟とも神殿とも言われていて、未だになんだか分からないという建物。でも、シークを抜けてすぐ御対面することからしても、ペトラで大事な建物だったことは間違いないだろう。迎賓館でもいいような気がする。

まだ、朝は早いけど、駱駝は既に客待ち体制。





エル・ハズネで、しばし興奮したあと、ペトラの奥へ進む。平坦な道なので、わたしの足でもなんとか進むことが出来る。行くとこまで行こう。

ペトラは、岩山に囲まれた地で、まわりの岩山には墳墓とか、右の写真みたいな墳墓だか住居だか分からないようなのがたくさん、彫られている。

このペトラを最初に築いたのはナバタイ人。
ペトラは彼らの首都であったらしいが、ナバタイ人の遺跡として、ペトラとともに有名なのがサウジアラビアのマダイン・サリ。あそこの遺跡は確か、岩をくりぬいてお墓とか作ってるんで有名だったのではなかったか、と。

どうも、ナバタイ人、岩を彫るのが好きと見た。

石組みの建物を作るより、簡単、だったのだろうか。そうかなあ。これだけ彫るのは大変だと思うけど。それとも、地震対策とかあるのかなあ。

しかし、よくぞ彫りました、という感じで彫りまくってますね。





遺跡を進むと、ローマ劇場が見え、そこからしばらくはローマ時代の市街地の遺跡が続く。

ローマ劇場の側で、ろばの客引きが寄ってきた。エド・ディルまで乗らないかというのだ。
お♪
ラッキーである。ひょっとして、うまくすればエド・ディルまで行けるか。
反応を見せたわたしを追って客引きはついてくる。
狙った客は逃さん状態である。
右は、ローマ遺跡の列柱道路と凱旋門の跡。被写体にしてやれ。えい。

なんで、わたしが客引きの言葉に心を動かされたかというと・・・ペトラではエル・ハズネと並んで名高い、エド・ディルという遺跡があり、ここに行ったかどうかは遺跡マニアの間では結構重要なのである。「ペトラ行ったよ〜」「へ〜。エド・ディルまで行ったあ?」という感じで会話が必ず進むのである。で、その、エド・ディルというのは階段900段を登った高さ200mの岩山の上にあるんである。だから、まず、足を痛めたからには無理と踏んでいたのである。が、ろばさんに乗れば・・・ねえ♪

ということで、ローマ遺跡を一通り見た後、交渉成立。

エド・ディルまでの900段はろばさんに乗ってである♪

ろばさんに乗っての階段登りは、結構、慣れないうちは怖いけど、痛い足で歩くことに比べればなんのその、である。
どんどん、登って行くとペトラの遺跡が眼下に広がってくる。
それにしても、凄い岩山だよね〜。

ということで、いい気持ちで登って来たら、いきなり降りろ、というのである。へ?

なんでも、ろばはそこから先は行けないらしい。その先で、フランス人がろばから落ちて死んだんだって。ひええ。
で、もう少しだから、ということで馬子さんは去っていき、わたしは結局、痛い足で登ることになったのだ。
が。
ががががが。なんと足が少しいいんである。なぜ、なぜ、なんで〜〜?
どうも痛めた筋が、ろばさんに乗ったことで広がったというか、伸びたというか、よくなったみたいなんである、辛いことは辛いけど、ここまできたからには頑張らねば。



ということで、ろばさんに乗っていると振り落とされたら確かに死ぬなという坂道を必死こいて登り、やっと着いたぜ、エド・ディル!

右は姿を現したエド・ディル。

感動である。
エル・ハズネより、一回り大きな建物かな。

建物といっても、エル・ハズネ同様、岩を彫りこんで作られているのだが・・・
このエド・ディルは屋根まで彫り込まれているので、エル・ハズネよりも、いっそう、建物らしく見える。

もともとは、ナバタイ人の神殿で、その後はキリスト教の修道院としても使用されていたらしい。
エド・ディルというのは「修道院」という意味なのである。

立派だね〜〜。



エド・ディルも立派だけど、暑い中、ここまで登ったわたしたちも立派である。

え。あんたはろばで楽したでしょって、まあ、どんまいどんまい。

ということで、エド・ディルまでたどり着いたわたし達が、更にたどり着いたのが、このエド・ディルの前のレストハウス。
岩肌をくりぬいた洞窟のようになっているレストハウスなんである。

ほ〜〜。涼しい。

お茶も飲めるし、お土産も売ってます。


ここで、ぐったり休んでから、下に降りる。

降りる途中、イラク人だという女の子達にあった。スカーフもしていない。
いいのか、イラクが大変なのに、観光してて。いや、大変だから、逃げてきているのか。
明るい女の子達だったけど・・・いま、元気にしてるかな。

昼食の後、自由時間。
かなり暑くなっている。どこを見ようか迷ったが、Iさんと一緒にローマ市街の裏側を回って犠牲祭壇というのを目指すことにした。
Iさんが、ろばを値切ってくれたので、ろばに乗って楽をしようという魂胆である。

実際、ローマ市街の裏にまわると荒涼とした風景が広がり、なかなかの見ものである。
が、ろばさんのききわけがよくない。
いや〜だ。いや〜だ、歩きたくな〜〜い。といってなかなか歩いてくれない。
わたしが、重いってか。おい。
しまいには、やぶに頭を突っ込んで、お食事を始めるろばさん。ベドウィンの馬子さんがお尻をどんなに叩いてもだめである。お腹がすいているらしい。
・・・やっとのことで動き出したろばさんは、それでもすぐにやぶに顔を突っ込もうとはするが、なんとかかんとかローマ兵の墓とかトリクリニウムとからしき遺跡を回り、庭墓あたりに来たところで、またも、馬子さんが降りろというのである。へ?犠牲祭壇はどこよ?
この上。と馬子さんは岩山を指差す。ろばは岩山登れないから、ここまでだ、っていうんである。たしかに、小さな階段しかないけど・・・話が違うじゃないのよっ。

と・・・いっても始まらない。Iさんに助けてもらいながら、ひいひい言いながら登ったの。
途中、ライオンのモニュメントとかあるんだけど、暑いし、登りがしんどいし。

で、登りついたところで、待っていたのが、ベドウィンのおばさん。
色々、手振りで説明をしてくれました。チップ目当てかと思ったけど、そうでもないみたいで。
最後は手を振って見送ってくれたの。

いやあ、よかったよ。ペトラ。足が痛くて観光断念かと悩んだのが嘘みたい。結局、夕方まで1日遊べた。
エル・ハズネは夕方の方が色がいいね。ほんとに赤くなる。
最後は、シークを出てから遺跡入口に戻るまで、馬子のベドウィン親子の親子漫才まで聞くことができ(面白い人たちなんだ、これが)、満足満足の1日であった。

とはいえ、明日はもう帰国の途に着くのだ。ちょっと寂しい。


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