2日目・シリアへ


アンティークなホテルで、ゆっくり一晩を過ごして、今日は、はやレバノンを出てシリアに向かう。わたしにとっては、初めての地面での国境通過である。

バスはホテルを出て、北上する形でシリアを目指す。それにしてもレバノンの道はあんまりよくない。中東とはいえ、レバノンは石油が出ないし、内戦の影響ということらしい。
バスは、レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈という2つの山脈の間を走るのだが、なんと、いきなり兵隊さんによる検問である。しかも、道端には、戦車(装甲車??)が停まっているのである。お仕事中の戦車(装甲車?)ってはじめて見たぜ。この兵隊さんは、なんとレバノンの軍隊ではなくシリアの軍隊。レバノン内戦時に進行したシリア軍が未だに治安維持だかなんだかのために検問とかしているのである。はっきりいってレバノン人には面白くないらしい。この戦車だか装甲車だかは、しっかりイスラエル側に標準をあわせている。こわっ(汗)。やっぱり、ここは中東である。レバノンは未だにイスラエルに面する半分くらいが危険地帯として外務省の旅行自粛地域に指定されているし。

・・・とまあ、中東の現実をつきつけられつつ、国境へ。さあ、どうなるのかと思いきや、添乗員さんが全員のパスポートを回収し、レバノン側の国境でスタンプを押してもらって、シリア側の国境でもスタンプを押してもらって、は〜い、パスポートお返ししま〜す・・・と、拍子抜けするくらいである。ちょっと、つまらない。どきどき感ゼロ。さすがに、国境を越えるとバスを乗り換えるのだけど。

それに国境近くの緩衝地帯にも、天幕生活者とはいえ、人が住んでいる・・・・レバノンガイドはベドウィンだといい、シリアガイドはロマ(ジプシー)だといい。結局、わからない。パレスティナ難民じゃないのかという人もいるし。いいんですかね。国境地帯で天幕生活して。

シリアに入ると、とたんに道がよくなる。気がつくと高速道路である。立派〜。さすが石油産出国である。日本と違って、もちろん料金所もないし。しくしく、日本にも石油があれば・・。
バスはシリアに入ってから、地中海側を目指す。道端の木が、全て同じ方法に曲がって生えている。なんと地中海からの風の影響らしい。レバノンもだが、乾燥した地帯をバスは走り続ける。とはいえ・・道がいいせいか、国境を越えて1時間くらいでシリア第一の観光・クラックデシュバリエへ到着である。

   
 クラック・デ・シュバリエ

クラック・デ・シュバリエは、地中海から少し入ったところにある十字軍の砦である。

小高い山の上にあり、天然の要塞という形。

もともとはアラブの砦だったのだけど、12世紀に十字軍がこの城を奪い、以後、十字軍の拠点として増築整備され、アラブ軍の攻撃を何回も退けたらしい。

ちなみにこの城は、あの天空の城、ラピュタのモデルとのこと。





城の中は、上手い具合に光が取り入れられている。

最盛期は4千人の十字軍がここで暮らしたとのこと。

城の中は、集会所・食堂・倉庫など、兵士が生活するに必要な設備が整っている。水も雨水を溜め込んで1年くらいは立てこもれるようになっている(内堀もある)。

それにしても異国の地で戦う十字軍は辛かったろうね・・・。






城の屋上付近から周囲を見渡してみた。

小高い山の上にあるだけのことはある。敵が攻めてきたら、一目瞭然。

それにしても、こんな高いところで戦った兵隊さんたちというのは凄い。手すりも何もないんですよ。
砦である以上、当たり前だけど、高所恐怖症の兵隊さんは生き延びられない・・・。

おまけに地中海からの風で立っているのは辛いほどである。



観光の後、クラック・デ・シュバリエを見渡せるレストランで、シリア最初の食事。
基本的にレバノンと大差ない(実はヨルダンとも大差なかった)。スープとサラダ・・・生野菜がごろんごろんと出る。あとは野菜をペースト状にしたものが何種類か。これをパンにつけて食べる。あと肉料理。このころはおいしいとか思ったのだが(すぐに飽き飽きすることとなる)。

食事の後、クラック・デ・シュバリエの写真を撮っていたら、小さな男の子達が写真に入りたがった。実はボールペン狙いである。かなりしつこいが、気づいた地元の大人達に怒られていたのは、ちょっとかわいそうか。シリアで何かを子供にねだられたのはここだけだった。物乞いとかも全くいなかったし。産油国だからか、政治体制の関係なのか。



     ハマ

トイレ休憩という名目で観光させてもらったハマ。

巨大な水車で有名な町である。
オロンテス川という川が流れているおかげで、周囲には緑が多い。
水車は川の水を高台の農地に運ぶために作られたもの。
巨大な水車がいくつもある。

しかも、この水車に地元の若い兄ちゃんがつかまって上っていくのである。で、上までいったら飛び込む・・・。
みんなで競ってやってる(笑)。



     エブラ遺跡

ハマ観光の後は、本日、最後の観光、エブラ遺跡に。

エブラ遺跡はシリア第2の都市アレッポの南55Kほどのところにある。

この遺跡は地球の歩き方にも載っていないし、はっきりいって素人が見てもよくわからない場所である。

しかし、ここは考古学の常識を変える大量の粘土板が発見されたところなのであって、実はとってもとっても重要な遺跡なんである。




古代、シリアはエジプト文明とメソポタミア文明両者に挟まれた辺境の地というのが従来の常識だった。
ところが、この遺跡から紀元前2500年前(エジプトでピラミッドが作られていたころ)の粘土板が、なんと1万以上も発掘されてしまったのである。

粘土板といっても、もちろん、単なる板ではない。誰もが学生時代にお勉強した「楔形(くさび形)文字」が彫られた板、つまりは古代の文書である。

左がその発掘現場。




この遺跡の最大の見せ場ということもあって、発掘当時の写真や、復元図などが書かれた看板もある。

おそらくは、ここは古代エブラ王国の王宮で、この発掘現場は王宮内の図書室にあたる場所だったのだ。

もしかしたら、ここから発掘された粘土板が古代オリエントの歴史を変えたりするかもしれないのである。

だから、ロマン、なのだが、
ともかく、暑い。


せめてもう少し、復元とか復元図とかを置いてくれれば、素人にも楽しめるのに。

ちなみに、ここでは、楔形文字のレプリカなんかが売っている。

エブラ遺跡の観光を終えて、シリア第二の都市にして世界遺産なおかつ本日の宿泊地であるアレッポに向かう。着いたのは夕刻。シリアのホテルは、思っているより、結構、設備もいい。ホテルの部屋からは、アレッポ市内、そして市内中央の高台にあるアレッポ城が見える。明日は、アレッポ観光。スーク(市場)の散策など楽しみ♪



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