8日目・ボスラ遺跡とジェラシュ遺跡

今日は、シリア4つ目の世界遺産ボスラ遺跡を見学してから、国境を越えてヨルダンに入り、ジェラシュという遺跡を見てからアンマンに入る、という予定。
ダマスカスを出てから高速道路を飛ばして・・・途中、ゴラン高原は、あちらの方向です・・・という場所を通り、イスラエルの残虐非道さを訴えるガイドの話を聞きながら(ゴラン高原にはクネイトラというイスラエルに爆撃され破壊された町がある)、国境に近いボスラの街に向かう。ここらへんを旅すると、どう考えても、悪いのはイスラエルという気分になる。
実際、2千年前に御先祖が住んでいたから、という理由でいきなり土地を奪われたら、かなわないよな。アメリカだって、ネイティブには絶対、土地返さないだろうし。


と、ちょっと暗くなったところで、気がつくのは緑。
ボスラが近づくにつれて、緑が多くなってきている。
しかも、今まで見たシリアの家より金持ちそうな家が増えてきている。
家の前には葡萄棚を置くのが流行ってるし、ガーデニングもしてるし・・・帰国後、調べたら、ボスラ付近はシリアの穀倉地帯として古代から有名なところなんだそうである。

ボスラについたのは9時半ころ。

左は遺跡のそばのレストラン。緑がこんなに豊か。



        ボスラ遺跡

ボスラは遺跡とは言っても、実は遺跡に人が住んでいる。
正確には遺跡に住んでいるのではなく、遺跡を利用して建てちゃった家に住んでる。

右の写真の家なんか、左の柱はローマ時代の柱なんですよ。
いいのか。世界遺産なのに。

他にも、ローマ時代の円柱を玄関の門代わりにしちゃってたりするのは当たり前、更には半地下の貯水庫(遺跡)にごみ捨ててたりして・・。
おいおい。ごみはまずいだろ、さすがに。

このボスラという遺跡は、黒い玄武岩を使って作られているので、建造物とかも重厚な感じでいいんだけどね。

住民追い出して、復元したら、かなり、わあお、っていう遺跡になるとは思うんだけど、でもねえ、逆に、あんまり整備されて公園みたいな遺跡も面白くはないし。
むずかしいところだよね。う〜〜ん。



このボスラ遺跡の華は、なんといってもローマ劇場(右)。
今でも、十分、コンサート会場として通用する。
なんと、北島三郎も、ここで歌を歌っているんだそうである(コンサートしたんだって〜)。
シリアの若い男の子が、カセットテープ(CDとかではないところがシリアか)をがんがんにかけて歩いていたけど、確かに音響効果は抜群である。

黒いローマ劇場というのは、やたらかっこいい。
ここのローマ劇場が、これだけ保存状態がいいのは、実は、後にイスラム教徒がこのローマ劇場のまわりを外壁で取り囲み、ここを要塞にしちゃったから。

実際、外側から見ると、ここは要塞にしか見えない。堀とかもあるし。
十字軍が2回、ここを攻めたけど、落とせなかったとのことである。

ここには奇麗な彫刻やモザイクなんかも、結構残っている。
ということで、毎度のことですが、アルバムを別に作りました。
興味のある方はどうぞ(ボスラ遺跡のアルバムを見る)。



     国  境

ということで、ボスラ遺跡の観光を終えると、シリアの観光は終わり。
ボスラは、ヨルダン国境に近いので、あっというまに国境である。

とはいえ、ここも、バスごと国境線を越える(緩衝地帯が結構長い)。で、添乗員さんにパスポートを渡して・・・というパターン。
手続きが終わるまで、国境の・・・なんというのか、お店とかあるんだよね、ちょっとサービスエリアのような趣の国境検問所(?)で時間つぶしをする。

シリアからヨルダンに入って気がつくのは、まず、シリアではいたるところにあったアサド大統領の看板がヨルダンに入ったとたん、国王夫妻の看板に変わること。社会主義独裁の国から王制の国へ。まあ、独裁ということでは、変わらないのかも。王様の奥さん、やたら美人。
次に気がつくのが、コーラとかアメリカの飲み物・食べ物があふれていること。シリアが未だにアメリカと仲が悪いのに対し、ヨルダンは湾岸戦争後、一挙に親米政策に転換したから。そういえば、亡くなった前国王は、かなりしたたかな外交で有名だったような記憶が。
パレスティナ難民を多数抱えているだけに、親米が過ぎると内政に影響が出るだろうし、今度の国王は大丈夫なのか。いまのところ、奥さんが美人だから国民に人気があるみたいだけど。

やっとバスが動き出したと思ったら、すぐ次の遺跡ジェラシュ。遺跡の側のレストランで昼食をとって観光開始。




   ジェラシュ遺跡

ジェラシュ遺跡は、ローマ時代の都市遺跡。

パルミラほどの豪華さはないけど、かなり立派な遺跡で遺物も多く、てっきり世界遺産だと思った。
言っちゃ悪いが、レバノンの世界遺産アンジャルより、よっぽど見ごたえがある。アンジャルはウマイヤ朝の遺跡ということで意味があるんだろうけど。
左は、楕円形の広場フォーラム。この広場を列柱が取り囲み、更に奥に列柱道路が続いている。




この遺跡は、ゼウス神殿とかアルテミス神殿とかあるし、ローマ劇場もあるし、ニンファエウムなどという噴水設備を備えた建物とか、見所はかなり多い。
な〜んでこんなに残っているかというと、実は8世紀の大地震で街が破壊され、人が去り、砂に埋もれて・・・結果的に綺麗に残ったということらしい。
左はアルテミス神殿の柱。
この神殿は耐震構造で、なんと、このでっかい柱は揺れるのである。揺れて地震の衝撃を緩和するという五重塔のような発想。そのせいか、この神殿は保存がいい。他の建物にも耐震構造施せばよかったのにね。




ということで、かなり見所が多い遺跡なのだが、見所が多いというのは広いということでもあり、暑いさなかの観光は結構きつい。ダマスカスのスモッグにやられてから、ちょっと体調不良かな。

で、自由時間を早めに切り上げてバスに戻ろうとした時に会ったのがこのお兄ちゃんたち(左)。
シリアから働きに来てるんだって。
シリアを回ってきたんだよ〜って言ったら、一度走り去った後、戻ってきて薔薇の花をくれました。
ありがと。



お兄ちゃん達も、優しかったし、見所も多いので、世界遺産ではないけど、ジェラシュのアルバムも作ってしまいました。興味のある方はどうぞ(ジェラシュ遺跡のアルバムを見る)。


ジェラシュからアンマンまでは1時間くらい。ホテルは結構立派だ。社会主義国のホテルとは、やっぱり違う。
このホテルで見かけたのは、なんと自衛隊。あれえ、日本ってイラクにはまだ自衛隊送っていないのでは・・・と思って隊員の人に聞いたら、PKOでもう1ヶ月くらい前から来て、イタリアとアンマンの間で物資を運んでいるんだって。こんな暑いところで働いていてご苦労様だけど、日本国民は、ほとんど知らないんじゃないか。どうなってるんでしょうね、日本の政治。

ダマスカスのスモッグ疲れが残っているので、今日も早く寝ることにした。だって、明日は死海で浮かぶ予定なんだもん(浮かぶのには自信がある)。


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