3日目 イチャン・カラ観光

今日は1日、世界遺産のイチャン・カラを観光する。イチャン・カラというのは「内城」という意味。「内城」というからには「外城」もあるわけで、このヒワ(ヒヴァ)の町は二重の城壁で囲まれている。外側の城壁を「ディシャン・カラ(外城)」、町中の内側の城壁を「イチャン・カラ」といい、ディシャン・カラ(外城)はほとんど破壊されてしまっているが、イチャン・カラ(内城)の中は昔のままの宮殿・モスク・メドレッセ・街並みが残っているということから、丸ごと世界遺産となっている。

ちょっと整理すると、ここヒヴァは16世紀末からヒヴァ・ハーン国の首都とされた場所。
ウズベキスタンの西を流れるアムダリヤ川流域は昔から「ホラズム(太陽の国)」と言われ、いくつもの王朝が栄えてきた。周囲はキジルクム砂漠・カラクム砂漠であるが、アムダリヤ川によって砂漠のオアシスとなったからだ。
ティムール帝国が衰退した16世紀ころ、ホラズム地方にはウズベグ族の国が興り、当初は近くのクニャ・ウルゲンチ(現在はトルクメニスタン)が首都とされたが、アムダリヤ川の流れが変わったことから1592年にヒヴァに首都が移され、以後、ヒヴァ・ハーン国としてシルクロードのカスピ海方面への脇道のオアシス都市として繁栄し、「中央アジアの真珠」と評された。しかし、19世紀末からロシアの介入を受けるようになり、ついに1920年、ロシアの支配下に入る。



ホテルはイチャン・カラのすぐそばにあって、城には東西南北に門があるのだけれど、やっぱり一応正門扱いになっている西門から見学を開始する。

9時にホテルを出て、西門に着いたのは9時5分。

城壁は近くで見ると、やはり迫力だなあ。

この城壁、半円形の出っ張りがいくつも繰り返す形で作られている。基部の厚さは6m、高さは8m、城壁の長さは2.1kとのことである。

この城壁は煉瓦でできているんだけど、なんとこの中には戦死者の骨が埋められているんだそうだ。当時の風習だったとのことだけど、死しても城を守る・・というのかな、なんか凄いですね。

西門付近にはシルクロードを説明した大きな看板や、ヒヴァで生まれた科学者ムハンマド・アル・ホレズミの像などが置かれていて、いかにも観光地、という雰囲気。




カルタ・ミナルとムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ

西門をくぐってすぐ右側にあるのが、ムハンマド・アミン・ハーンのメドレッセと未完のミナレットであるカルタ・ミナル。
メドレッセは19世紀に完成したもので、中央アジア最大級の神学校だったとのこと。ソ連時代はソ連のオフィスとして利用されていて、現在はホテル・レストランになっている。
メドレッセの前にはお土産屋さんが並んでいて、この地方特有の毛皮の帽子を売っている。
メドレッセも青くて美しいんだけど、この未完のミナレットもキレイだなあ。この青っぽいグリーンの色がなんともいえず美しい。未完になった理由は建築していた王が死んだからとか、完成すると職人が殺されると聞いて職人が逃げちゃったから、とか色々言われているらしい。




クニャ・アルク(クフナ・アルク)


ムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセやカルタ・ミナルと道を挟んで反対側にあるのがクニャ・アルク(クフナ・アルク)。「古い宮殿」という意味。

クニャ・アルクは城壁で囲まれているんだけど、その前の広場は、かっては公開処刑の場だったということで、中央に首切りの時の血を流す井戸が残っている。ぶるぶるぶる。

イスラムだけあって、不倫でオンナは石打の刑、オトコは縛り首。ハーレムにオトコが入り込むと、なんと「逆さ生き埋め」だそうです。ミナレットから罪人を突き落とすというのは19世紀まで行われていたらしい。もっとも公開処刑は5年に1度くらいで、治安引き締めのためにやったとのことだけど・・・。

クニャ・アルクの中に入ると牢獄とかも残っている。牢獄の中では人形が足かせ嵌められて座ってます(笑)。処刑を描いた説明の絵なんかも飾られている。
奥に進むと、謁見の間がある。

ここの作りはウズベキスタン様式ともいうべき、この地方独特のもの。

テラスのようになっているところに、2本の木の柱があり、それが屋根を支えるような造りになっていて、木の柱には細かい彫刻もなされている。

タイルはとてもキレイだし、天井も鮮やか。
こういうテラスをアイヴァンというのだそうだ。

写真にも一部写っているけど、この奥の部屋に通じる3つの入口があり、身分に応じて使う入口が決められていたとか。

この謁見の場に向かい合う庭に丸い台座があって、冬になるとそこに遊牧民族の天幕(ユルタ)が作られたとのこと。ハーン(王様)は建物に居るより天幕に居ることを好んだというのが、いかにも遊牧民族の国らしい。



この宮殿、他にも造幣局とかモスクとか、色々見どころはあるんだけど、一番楽しいのは、なんといっても見張り台。イチャン・カラが全て見渡せる。
左下写真の左側の塔がジュマ・モスクのミナレット、右の塔がイチャン・カラで一番高いイスラーム・フッジャ・ミナレット
右下の写真は、カルタ・ミナルとムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ、その手前は宮殿の接見の場
いい景色だけど、なんか逆光だよなあ、西門から見てるからかなあと思ったら、それだけでなく、イチャン・カラの建物は砂漠の炎天と熱風を避けるために、その多くが北北東を向いているんだそうだ。なるほど、太陽に背を向ける形に建てられているわけね。う〜〜ん、写真撮るの大変。まあ、どうせ下手だけど。



見晴台からは、城壁の姿もよくわかる。

こんな感じ →

城壁と言うと、日本の天守閣の石組みとか、ヨーロッパのお城とかを思い出すけれど、ここのはご覧のとおり形がユニーク。

どうやら、城壁を作った材質によるらしい。
というのも、ここら辺の城壁は石組みではなく煉瓦というか泥でできているけれど、その場合、四角く作ると強度が弱くなってしまうんだそうだ。曲線の方が強度が増すので、防御に適しているというわけ。

まあ、理由はともかく、曲線が連続する城壁というのは、見ていて楽しい。

ただ、ここで戦うのは嫌だなあ。手すりとかないから、高所恐怖症では戦士になれませんね。




ムハマッド・ラヒム・ハーンのメドレッセ


宮殿を出て、公開処刑の広場を挟んで宮殿の向かいにあるムハンマッド・ラヒム・ハーンのメドレッセに。

ここはヒヴァ・ハーン国の歴史博物館になっている。左下はヒヴァ・ハーン国末期のハーンと息子の写真。頭に被っている帽子はこの地方独特の毛皮でできた帽子。冬暖かいだけでなく、夏の暑さからも頭を保護するらしい。

右下は中庭でやっていたアクロバット。ロシア風の金髪の少年3人で、10ドル集まると演技開始。始めは見るのどうしようかと思ったんだけど、立ち去ろうとしたら彼らが悲しそうな顔をするんで、結局10人で1ドルづつ払って見学しました。かなり面白かった。でも、児童労働は禁止されてないのかなあ。おひねり上げたほうがよかったのかなあ。

それにしても、暑い。段々と、暑さが耐え難くなってきた。ミネラル・ウオーターを買っても、一気飲みで飲み干してしまうくらい・・・・。まだ、お昼前なんだけど・・・。




パフラヴァン・マフムド廟

お次は、パフラヴァン・マフムド廟。パフラヴァン・マフムドという人のお墓である。
このパフラヴァン・マフムドという人は、ヒワの守護者とされる人。


で、なんで守護者かというと、彼はレスリングが強くて、インド人が攻めてきたとき、レスリングでやっつけ、インド人を撤退させたんだそうだ。そのとき、奴隷も解放したとか。

しかも、彼は強いだけではなく、詩人でもあった。
まさに文武両道の豪傑といったところ。

元は靴職人だったということだけど、ヒヴァの人たちから敬愛されて、廟ができ、偉い人のそばに葬られると一緒に天国に連れて行ってもらえるという信仰から、周りにたくさんのお墓ができた。

それだけでなく、この廟の手前の井戸の水を飲むと幸せになるというので、地元の人たちがペットボトルを持って来ている。写真の廟の前の白っぽく光る屋根のところに井戸はある。私達が飲むと、お腹が大変なことになりそうだけど(舐めた人の報告によると、どうやらしょっぱいらしい)。

私達が観光中、ここで結婚の祝福を受けに来た新郎新婦がいて、祝福を受ける様子を見ていたんだけど、観光を終えて帰ろうとしたら、また別のカップルがやってきた。おお、と思ったら、更に新しいカップルが・・・。こんなに若いカップルが次から次に結婚で訪れると言うのは、それだけ今も大人気ということなんだろうね。




絨毯工房・木彫り工房

イチャン・カラの中には、宮殿やモスク・メドレッセがあるだけでなく、今でも人が住んでいる。だいたい100人くらいは居るらしい。

その中には伝統工芸の工房やお店も多い。

ここは絨毯工房。ユネスコなどの援助で女性の職業訓練として行っているらしい。

他にも木彫り工房も面白かった。コーランを置く台のお土産が売っている。ちょっと日本のからくり細工みたいなもので、木の板を彫って、色々な形に変化させるというもの。凄いものになると8通りに変化する。
よっぽど買おうかと思ったけど、うちにコーランないんでやめた。漫画の書見台じゃあ、ちょっとねえ。

でも、やっぱり買えばよかったかな。いまになって、ちょっと後悔。





イスラマ・ホッジャ・メドレッセとミナレット
それにしても、暑いよお。
ツアーの同行者で、黒いTシャツを着た人がいたんだけど、既に、Tシャツには白い模様が、まるで藍染模様のように広がっている。塩吹いてるんである。この暑さは久し振りだ。インドで50度越えたときを思い出す。ただ、暑さが違うんだよね、なんというのかなあインドの刺す様な暑さと違って、大地から熱気が湧いてくるような・・・・周囲が砂漠だというから、そのせいなんだろうか。

ああ。暑い。

だいぶへばってきたところで、午前中最後の観光はイスラム・ホッジャ・メドレッセとミナレット。

これは20世紀になって、ヒワ最後のハーンの大臣であったイスラム・ホッジャが建てたもの。
ヒワで最後に建てられた建造物であり、また、このミナレットはヒワで一番高いミナレットでもある。

この大臣は開明的で非常に人気があったんだけれど、それでハーンに疎まれて生き埋めにされちゃったんだそうだ。生き埋めが好きな人たちだ。
開明派はそうやって消され、結局、ロシアに滅ぼされたわけか・・・。まあ、彼が消されなかったとしても、歴史の動きは止められなかったのかもしれないけど。

ところで、このミナレット、登ることができる。
45m。118段。

普段なら登るんだけど、だいぶ、暑さでへばってるので、午後の観光に備えて体力温存のため登らないことにしました。なんでも一番上で、女の子がミネラルウォーターを売っているらしい。





ここで、イチャン・カラ内のレストランで昼食。
昼食のあと、余りに暑さがすごいので、3時半までレストランでお昼寝休憩となった。

レストランにはクーラーがなく、風が入るだけなんだけど、それでも外に比べれば随分と涼しい。
でも、なんと後で聞いたら38度だったらしい(笑)。

体力が回復したところで、また、観光スタート。

写真が多くなり過ぎたなので、後編を作りました。まだまだ、見どころいっぱい。

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