3日目 イチャン・カラ後編


お昼寝休憩の間に、外に出た人も、余りの暑さにすぐ帰ってきた。やっぱり2時3時は暑すぎて観光には向かないみたいだ。

レストランの2階が風が通るんで、そこで休憩することにした。

これから観光するジュマ・モスクのミナレットがよく見える。

ん。でも、なんか傾いてるような気がするんだけど、気のせいだろうか。
暑さで頭がやられたかな。

後で聞いたら、やっぱり傾いているんだそうです。

ヒワの斜塔(笑)。
高さは42mで登れるそうなんだけど、危なくないのかなあ。




ジュマ・モスク(金曜モスク)
ジュマ・モスクというのは、その町で一番のモスクのことで、ヒワのジュマ・モスクは東門と西門をつなぐ道のちょうど真ん中あたりにある。

このジュマ・モスクは、ちょっと見は地味。

だけど、中に入るとびっくりする。
このモスク、ご覧のように内部には木の柱が無数に立っている。

天窓から差し込む光で、柱のシルエットが浮かび上がり、なんとも言えない神秘的な雰囲気。

柱の数、なんと212本。

しかも、説法者から全員の顔が見えるように工夫されていて、柱と柱の間は3・15mとされているんだそうだ。
そもそも、周囲が砂漠のヒワでは、木材というのは贅沢品だ。
財力を誇る意味もあったんだろうか。
10世紀に建てられ、その後、火災で焼失したのを再建したのだそうだ。

柱は1本1本、彫刻が違い、中にはインド風のものもあったりして、見比べるのも楽しい。




タシュ・ハウリ宮殿
タシュ・ハウリ宮殿は東門に近いところにある。タシュ・ハウリとは「石の屋敷」という意味らしい。西門横のクニャ・アルク(クフナ・アルク)が公務をしたりする場所であるのに対し、こちらはプライベートな宮殿という色彩が強いとのこと。

入口に前の道は、かってハーンが馬車を走らせたという石畳の道。轍の後が残っていて、もしかしたら、ハーンの馬車のものかもしれない。

宮殿・謁見の間

ここにも謁見の場があって、やはりアイヴァンが見事だ。ただ、ここは柱が1本だけ。
アイヴァンに対面する庭に、天幕(ユルタ)が作ってあった。中に入ると、結構、居心地が良さそうだ。しかし、謁見の場というか宮殿内に、こういうものがあるのって・・・本当に騎馬民族なんだなあ。




くつろぎの間


更に進むと、今度は宴会を行った場所に出る。ここは「くつろぎの間」と呼ばれる場所。

ここもアイヴァンと中庭になってるんだけど、面白いのは中庭に天幕(ユンタ)を作る丸い台座が2つあること。
陽射しが強くて影になってしまってるけれど、右側にも丸い台座がある。

現地ガイドさんの話では、夏には、この庭で踊ったり、食事をしたりし、冬になると天幕(ユンタ)を張って、そこで宴会をしたんだそうだ。

庭を囲む壁にはルバイヤットの詩がアラビア語で描かれているそうな。

ここのアイヴァンの奥の部屋は客用寝室だとか。




ハーレム

最後はハーレム

中庭に面して、南側にハーンの母・姉妹と4人の正妻のためのアイヴァンが並んでいる。
正妻たちのアイヴァンの向かい側(北側)は2階建てになっていて、侍女達の部屋等だったらしい。

正妻たちのアイヴァンは青を基調とするタイルが繊細で美しい。
天井はアイヴァンごとに色が変わって(赤や黄色など)、妻達ごとに配慮があるのかな、凄い綺麗だなあと思う。

でも、奥の部屋に入ると呆然としてしまう。

このアイヴァンの奥には小さな部屋が2つしかない。
それも、身体を洗う部屋と、その奥の寝室だけ。
どちらも狭く、暗い。
何よこれ、牢獄と大差ないじゃん。

こんなところ、押し込められたら地獄だろうね。
頼まれたって嫌だね、頼まれないだろうけど、というのが女性陣の共同見解でした。

ハーレムというと男性には、ちょっとロマンな響きなのかもしれないけど、実態を知ると、本当にむごいものです。
しかも、なんとハーンは、くつろぎの間の奥の客用寝室に手をつけた侍女達を引き込んでいたらしい。きぃぃぃぃ〜〜〜っ。なんか、一挙にフェミニストになっちゃうよ。
まあ、落ち着かないと・・・。
ハーレムの一部は現在、博物館になっているけれど、その場所はかっては台所だったらしい。博物館では、かっての職人達の仕事が人形を使って説明されている。




アラクリ・ハーン・メドレッセ

東門のそばには、キャラバンサライ(隊商宿)やアラクリ・ハーン・メドレッセがある。

キャラバンサライは残念ながら閉まっていて見学できなかった。
その隣にあるのがアラクリ・ハーン・メドレッセ

綺麗な建物で、中庭はレストランになっていた。
夜になるとショーもやっているのだそうだ。
ここではメドレッセは、みんなレストランやらホテルやら博物館になってしまっている。

アラクリ・ハーン・メドレッセを出て、東門に向かう途中で、こんな光景が →
なんで、こんな写真を撮ったかというと、トラがいるからです(笑)。
右側に、写真撮影用のトラがいるの。

アラクリ・ハーン・メドレッセをバックに記念写真・・ということなんだけど、なんでトラなんだろうね。




東門


最後は東門

不気味な雰囲気。

実は、ここは19世紀末まで、奴隷市場だったところ。

通りの両脇には今でも奴隷達を押し込んでいた鉄格子が残っている。

ここで売られていた奴隷にはロシア人もいて、ロシア人奴隷の解放がロシア介入の口実にもなっていたらしい。

しかし、ロシア人の奴隷を売買するウズベク人たち・・・ちょっとイメージが変わったかも。歴史って奥が深いね。



ということで、本日の観光一応終了。ただいま5時。

ここで添乗員さんは言うのであった。
今日の夕食はイチャン・カラの入口にあったムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ内のレストランでとります。食事の前に、もういちど夕刻のイチャン・カラを見るためにクニャ・アルクの見晴台に登りましょう。
夕食の集合時間は夜の7時ですけど、それまでは自由時間で、散策してもらうのもよし、ホテルで休むのもよし、ということで、と。

散策する人もいるかと思いきや、みんな暑さで疲れ果て、一刻も早くシャワーを浴びたい心境になっていたのか、なんと散策するという人ゼロ。珍しいこともあるものだ。

でもね。本当に暑かったもの。ホテルに向かう途中、温度計を持っている人に聞いたら、なんと、5時を過ぎているのに43度だった。日中は何度までいったんだろう。




イチャン・カラの夕景

ホテルで休んで、7時に再びイチャン・カラ西門に向かう。イチャン・カラは夕日を浴びて、柔らかい、いい色になっていた。

7時を過ぎて、さすがに涼しくなってきている。こんな景色を見ながら、風に吹かれているというのは贅沢だよなあ。

しばらく景色を眺めてから、見晴台を降りて夕食を食べにムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセに向かう。

左下は、見晴台から見た夕日に染まる城壁
右下は、夕暮れの西門



メドレッセのレストランは、なかなか雰囲気のいいお店だった。
これでクーラーがあれば最高なんだけどな。

夕食後は、こんな景色になっていた。



暑かったけど、イチャン・カラを一日楽しめて充実感。
世界遺産でお昼寝もしたし(笑)

明日は遺跡めぐりをしながらブハラまで大移動だ。


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