5日目・ブハラ後編


ラビ・ハウズ

タキ・サラファンを抜けてキャラバンサライまで来ると、目の前に池があって、周囲には椅子が置かれ地元の人たちの憩いの場となっていた。
(なぜかラクダの像が置いてある。遊ぶのか?)

ここはラビ・ハウズ

ハウズというのは「用水池」。
ブハラでは、かっては人々の生活のために多くの池が作られたんだそうだ。

衛生状態は決していいものではなかったらしいけれど、人々にとっては洗濯をしたり集まる大事な場所だった。人工的なオアシスみたいなものだろうか。
ただ、かっては200近くあったハウズも今では6つしか残っていないんだそうだ。

ここはその残ったハウズの一つで、地元の人たちが木陰でお茶を楽しんでいる。木の中には15世紀にハウズが作られたときに植えられたクルミの木も4本残っているらしい。


それにしても、ここにあるラクダの像はふたこぶらくだなんだよね。
昨日見たアヤズ・カラの近くにいたラクダはひとこぶらくだだったんで、現地ガイドさんにウズベキスタンのラクダはどっちなんだと聞いたら、ひとこぶらくだなんだそうだ。だったら、なぜ、ここのラクダはふたこぶなんだ、と聞いたら、現地ガイドさんはちょっと困った顔をして、中国からの隊商はふたこぶらくだで来てたからだ、と言っておりました。

ちょっと苦しい言い訳のようにも思えるけど、かってはシルクロードを越えてきたふたこぶらくだもブハラの街にはたくさんいたのかもしれない。




ナディール・ディバンバギ・ハナカ

このハナカの周囲にはたくさんの建物がある。

これはハナカのすぐ隣にあるナディール・ディバンバギ・ハナカ。

ハナカというのはモスクに併設された巡礼宿。
結構、横から見るとしっかりした建物だ。17世紀(1619年)のもの。

ナディール・ディバンバギという人が建てたんだけど、この人はアブドゥールアジス・ハーン(さっき見たウルグベクのメドレッセに面したメドレッセやチムを建てた王様)の大臣だったらしい。地球の歩き方では、ラビ・ハウズを作ったもの彼だと書いてあるんだけど、彼は17世紀の人なんでハウズが15世紀に作られたという現地ガイドさんの話と合わなくなるんだよね・・・。




ナディール・ディバンバギ・メドレッセ


ナディール・ディバンバギの建てたもので有名なのはこちらのメドレッセ。
ハナカ完成の3年後の1622年に完成した。

このメドレッセは、ハウズを挟んで、ハナカの反対側に建てられているのだけれど、なんとご覧のとおり真ん中には人の顔が描かれた日輪。それを挟むようにして飛ぶ2羽のフェニックス、おまけにフェニックスが爪でつかむ白い鹿まで描かれている。

イスラムでは偶像崇拝は禁止されている。それにもかかわらずイスラムの神学校にこのような図柄を描いたのはどういう意味なのか。


もともと、日輪の中の人の顔というのはゾロアスター教の影響らしい。ブハラには、かってはペルシャ系のソグド人が多く住み、イスラムが入って来る前はゾロアスター教が盛んだったと言うから、その影響なんだろうか。それに、フェニックスはウズベキスタンの国章にも描かれている鳥なので、この地の人たちには伝統的な絵柄といえるのかもしれないけれど・・。、
このメドレッセは最初はキャラバンサライとして建築が進められ、完成したとたんに「メドレッセ」と宣言された、とも言われている。そこまでして、この図柄を描きたかったのかなあ。他の本には、彼はキャラバンサライのつもりだったんだけど建築中の建物を見たハーンがメドレッセと勘違いして彼の信仰心を誉めたので、引くに引けなくなってメドレッセにした、という説もあるみたいだけれど・・・。信仰心があるんだかないんだか、分からない人だね。

左下の写真はメドレッセの入口付近、中はお土産屋さんになっている

右下の写真はハウズとメドレッセの間にあるフッジャ・ナスレッディン像
ひょうきんな顔してるけどウズベキスタンの一休さんともいうべきとんちで有名な学者さん

フッジャ・ナスレッディンという人のとんち話はたくさんあるみたいだけれど、ガイドさんの話ではティムールから「自分は天国に行けるか」と尋ねられて、「天国なんかはつまらないところだ。チンギスハンやアレクサンダーが待っているから地獄に行ったら」と答えたとか。気骨のあるところが人気なんだろうね。
ここまで見たところで時計を見ると1時ちょっと前。よく歩いたな。お昼の前に、もう一つ見るんだけど、ちょっと離れているということで、朝以来始めてバスに乗っての移動となる。



チャル・ミナル

バスに乗って数分で住宅街についた。
住宅街の細い道を歩いていくと、このチャル・ミナルに出る。

チャル・ミナルというのは4本のミナレット、という意味。

トゥルクメニスタンから来た商人が建てたメドレッセだったということだけど、今はこの部分しか残っていない。

商人が建てたものなので、ハーンや大臣の建てたものに比べると小さいけど、かえってかわいい美しさ。
この4本のミナレットは彼の4人の娘を意味しているとか。
ちなみに4本のミナレットはみんな微妙にデザインが違う。


午前中(1時を過ぎたけど)の観光はここで終わり、ホテルでランチを食べて少し休んで、夕方の4時から後半の観光ということになった。さすがに、ちょっと暑くなってきた。



アルク城
4時になって、また少し涼しくなってきた。午後の観光は、まずアルク城からだ。

アルク城は、ちょっと見はイチャン・カラの城壁を大きくしたような感じ。
イチャン・カラのように曲線的な城壁が続いている。

現在残っている城はブハラ・ハーン国時代のもの。中に入ると見晴らしはいいけれど、ロシアに徹底的に破壊されていて、モスクなどがかろうじて残っているだけ。

ただ、このお城の場所はブハラ発祥の地といわれている。なんでも、伝説では3000年前にペルシャの方からやってきた王子がこの国の姫と結婚しようとしたものの、変わった形のお城を作ってくれないと嫌だと言われて作ったお城が最初だとか。




ボロ・ハウズ・モスク(バラハウズ・モスク)

アルク城の前は広い道を挟んで公園になっていて、道を渡るとすぐのところにボロ・ハウズ・モスクがある。

ボロ・ハウズというように、ここにもハウズ(用水池)があり、それに面してモスクが建てられている。
このモスク、本来はハーン(王様)専用。

昔はお城から赤い絨毯をモスクまで敷いて、そこを通ってハーンが礼拝に訪れたんだそうだ。

モスクはアイヴァン形式になっている。このアイヴァン、栗の木でできた柱が20本あり、その柱がハウズに写るところから街の人はこのモスクを「40本の柱」と呼んでいる。

このモスクは、今では街の人たちが使っているとのこと。





チャシュマ・アイユブ

ボロ・ハウズからちょっと行ったところにチャシュマ・アイユブはある。
チャシュマ・アイユブの「チャシュマ」は「泉」、「アイユブ」は旧約聖書に出てくる預言者ヨブのこと、つまり、「ヨブの泉」ともいうべき場所。
なんでも預言者ヨブが杖でつついたら、ここから泉が出た、といわれている。
日本も弘法大師の同じような伝説があるし、世界中で似たような伝説はあるけれど、周囲が砂漠のブハラでは特に泉は有難かったらしく、この建物は何回も建て増しを繰り返している。

横から見るとよく分かるんで、横から写真を撮ってみました。
まず、一番左のとんがり帽子の塔があるところが12世紀に最初に作られたところ、その次に窓のある塔があるところが14世紀にティムールが増築したところ、そして一番右側が16世紀にブハラの太守が増築したところ。
建物の中にはブハラの水利施設の説明が展示されている。本当に、ここでは水が貴重なんだなということがよくわかる。

帰る時、この建物の入口のところに火を燃やした跡があるので聞いたら、ゾロアスター教徒が火を焚いた跡だって。今でもいるんだ・・・ゾロアスター教徒。

ちなみに、この建物の隣には三日月を模した近代的なモニュメントがあり、これはイマーム・アリ・ブハリという神学者のモニュメント。ムハンマドの言行録(ハディース)を集めて6000語録を作った偉い人なんだそうだ。




イスマイル・サマニ廟
チャシュマ・アイユブからまっすぐ歩くと公園に通じるのだけれど、その公園の中にイスマイル・サマニ廟はある。

小さな素焼き煉瓦の建物だけど、煉瓦を組み合わせて装飾されていて、とても綺麗だ。
ガイドさんによると陽射しの変化で様々に表情を変えるんだそうだ。

もともとは9世紀にブハラを支配していたサーマーン朝のイスマイル・サマニが父親のために建てた廟で、後に一族の霊廟となったもの。

実はこの建物、中央アジア最古のイスラム建築なのだそうだ。

ブハラはチンギス・ハーンによって13世紀に破壊しつくされたため、それ以前のものはほとんど残っていない。でも、この建物は13世紀には既に砂で埋もれていたので破壊から免れたというわけ。
その意味ではマコギ・アッタリ・モスクと似ているけれど、この廟は20世紀まで発見されなかった。

学術的にも貴重なものなんだろうけれど、ここを3回廻ると幸せになれるんだそうです。


幸せになったところで、本日の観光は終了・・・・ではなく、実は更に、今日は民族舞踊のショーを見ることになっている。



民族舞踊とファッションショー
ショーはあの日輪と顔の絵のあるナディール・ディバンバギ・メドレッセの中庭で行われる。
夕飯を食べながらの見学。

ショーはモデルによるウズベキスタンの民族衣装のファッションショー(左下)と民族舞踊(右下)が交互に行われる。モデルさん、足が長くて美人そろいなんだけど、やっぱり見ているうちに民族舞踊の方がひきつけられるなあ。

薄暗くなる時刻から始まって、夜が更けるまで・・・・・。見ごたえのあるショーでした。
シルクロード満喫、という感じ。今日は凄い充実した一日だったなあ。


明日はティムールの故郷シャフリサプスを通って、ついにサマルカンドだ


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