7日目・サマルカンド

いよいよサマルカンド。世界遺産でもある「青のサマルカンド」を今日・明日と観光する。もっとも、明日はタシケントまで戻って夜の飛行機で帰国の途に着くので、今日のうちに頑張って観光をする予定。

ここでサマルカンドの歴史をおさらい。

サマルカンドは中央アジア最古の都市と言われているけれど、13世紀にチンギス・ハーンによって一度は破壊し尽されてしまう。しかし、その後、14世紀にティムールによって帝国の首都とされてからは帝国各地の職人達によって復興し、孫のウルグベクの時代に最盛期を迎える。16世紀にブハラ・ハーン国に征服され、衰退するものの、ティムール時代の栄華を偲ばせるものが数多く残っている。・・・とりあえず、ここまでは覚えた(笑)。




グル・エミール廟

最初はグル・エミール廟。ティムールを始めとする一族の墓所である。「エル・アミール」というのは「支配者の墓」という意味だそうだ。


ドームの青が鮮やか。

もともとは普通のドームだったのを、孫のウルグベクが63本の線を入れたらしい。63というのはムハンマドが死んだ年ということで聖なる意味があるんだそうだ。

そのウルグベクも、ここでティムールと一緒に眠っている。

昔は4本のミナレットがあったというけれど、今は2本が残るだけ。

ドームは美しいけれど、正直、ティムールのような大権力者のお墓としては少し大人しいかも、と思ったんだけど・・・。


しかし、中に入ると、あまりの凄さにびっくり。正確には、中に入って奥に進むと入口があるんだけど、そこに入るまでは大したことないのよ。だから、カメラ代もったいないかなと思って払わなかったんだけどね、でも、そこに一歩足を踏み入れると・・・

う、うわあ、き、きれいだ。内部は金で装飾が施されていて・・・・。ダッシュして戻ってカメラ代払いました。う〜〜ん。カメラ、ハレーション起してるかな、本当は、もっともっとずっと綺麗なんだよ・・・。金が4キロ使われてるんだって・・・。1996年に修復が終わったんだって言うけど、凄い気合入れて修復してますね。さすが国家的英雄の墓。


綺麗なんだけどね、綺麗なだけじゃなくて、なんというのかなあ、荘厳・・・っていうのかな。

左上の写真には床にいくつもの棺が置かれているのがわかると思うけれど、ここにはティムールを中心にティムールの子供・ウルグベクを始めとする孫・ウルグベクの子・ティムールの先生・・・と全部で8人の棺が置かれている。ティムールの棺は黒翡翠だとか。
もっとも、ここの棺に遺体が入っているわけではなく、これらの棺は本来の棺の位置を示すもので、実際のお墓はこの地下にある。

ひとつ横に離れたところに置かれているのはティムールの先生のお墓で、そこには馬の毛が吊るされている。なんでも聖者の印なんだそうだ。



地下の本当のお墓にも入ることができる。

ソ連の学術調査の結果、ティムールが足を骨折していたことが確認されただけでなく、孫のウルグベクが首を斬られていたことも分かったとか。ウルグベクという人は凄い学者だったんだけど、ねたまれて実の子に暗殺されてるんだそうです。

実はティムールの棺には興味深い伝説が。

17世紀に、ペルシャの王が、余りに立派な石なので持ち帰ったところ、石が2つに割れ(近くで見ると本当に割れているのが分かる)、王子が病気になった。占ったところ、戻さないと王子が死ぬと言われ、慌てて戻したんだそうだ。
おかげで王子の病気は治ったんだけど、以後、ティムールの棺に触ると不吉なことが起こると言われるようになった。

で、ソ連がティムールの墓の学術調査をしたの翌年にドイツがソ連を侵攻したんだ、と現地ガイドさんが嬉しそうに語っておりました。




実はこのグル・エミールは泊まっているホテルのまん前である。

正確にはホテルの前に「魂の休まるところ」という意味のルハバット廟という建物があり、その裏手に当たる。ルハバットというのは14世紀の神秘主義者で、この廟こにはムハンマドの遺髪が納められていたという言い伝えがあって信仰を集めたんだそうだ。

写真の茶色いシンプルな建物がルハバット廟。
その後ろのホテルの位置にティムールの宮殿があったということで、ティムールもこの廟にはよく詣でたらしい。



しかし、いきなり凄いなあ、サマルカンド・・・次はレギスタン広場だ。





レギスタン広場

レギスタン広場は3つのメドレッセが建ち並ぶサマルカンドの中心地。「レギスタン」というのは「砂の広場」という意味で、ソ連時代には砂に2mも埋もれてたんだそうだ。
ティムールの時代には市場だったのを、ウルグベクがメドレッセを建て、それから200年に渡って次々にメドレッセが建てられた。

左 ウルグベク・メドレッセ  ウルグベクにより最初に建てられた(1420)
中央   ティラカリ・メドレッセ   内部の金箔が見事(1660)
右 シェルドル・メドレッセ   人面を帯びた日輪を背負うライオンの絵で有名(1636)



3つのメドレッセ(神学校)が建ち並ぶ様は見事だ。結構ひとつひとつが個性的なのに、奇妙に調和しているのはなぜなんだろう。青いドームがきれいだなあ・・・。



ウルグベク・メドレッセ

まずは、ウルグベク・メドレッセ

ウルグベクの建てたメドレッセはブハラでも見たけれど、こちらの方が規模も数段大きい。

品のある落ち着いたメドレッセだけれど、面白いのはウルグベクが天文学者であることから、星の形が模様になっていること。

ウルグベクはここで教鞭もとったと言うことで、中に入るとウルグベクの書斎も残っているし、天文学者としての彼を描いた像も置いてある。



ここのミナレットは登ることができて、頂上まで行くと体が半分外に出る。見てるだけでもコワいけど、見晴らしはいいらしいよ(でも、登っている間に管理人がいなくなることもあって、、そうすると閉じ込められます)。




ティラカリ・メドレッセ


真ん中にあるティラカリ・メドレッセはモスクも兼ねている。
綺麗な青いドームの下が礼拝所。

なんでも、ティムールが建てたビビ・ハニム・モスクが壊れてしまってから、サマルカンドの人たちはここで礼拝を行ったらしい。

3つのメドレッセの中で一番新しくて、ともかく豪華にしようという意図からか、青いドームも美しいし、壁面のタイルもご覧のような美しさ。

解説書を読むと「粗雑だ」とか書いてあるんだけど、十分、綺麗だと思うけどなあ。





そもそも、「ティラカリ」というのは「金箔された」という意味。

さっき行ったティムールの墓所(グル・エミール)では金が4キロ使われたというけれど、ここでは金が3キロ使われているとか。

グル・エミールが荘厳な美しさだったのに比べて、ここはひたすら綺麗で鮮やか。

ここの天井も面白い。
金箔で美しく彩られてるんだけど、ドーム型の天井に見えるような技巧を使って描かれているんだそうだ。
言われるまで分かりません(笑)。

こんなに綺麗なんだけど、20世紀初頭にはソ連に徹底的に破壊されたと言うことで、そのころの写真が展示されている。当時の破壊された姿を見ると、よくぞここまで修復した・・・と感動。




シェルドル・メドレッセ

レギスタン広場、最後の見学はシェルドル・メドレッセ

たぶん、レギスタン広場で一番有名なメドレッセ。なんで有名かといえば、この人の顔を載せたトラ。「シェルドル」というのは「ライオン」の意味と言うことで、地元の人は「ライオン」だっていうんだけど「トラ」にしか見えない動物が背中に日輪しょって、しかも、その日輪の中にはやたら東洋的な顔が描かれています。ブハラにもあったけど、偶像崇拝を禁止するイスラムにあるまじき装飾。ちなみに、このトラというかライオンは白い鹿を追いかけてる。


このメドレッセ、正面玄関の形と規模は向かい合うウルグベク・メドレッセと全く同じなんだそうだけど、それ以外は、なんでこんなに奇抜さを追求したのか・・・・。青いドームも綺麗だし、中庭なんかもステキなんですが・・・・このメドレッセが余りに奇抜すぎて評判悪かったんで、ティラカリ・メドレッセが建てられたという説もあるそうです。でも、面白いよね。やっぱり、ゾロアスター教の影響なのかなあ。ちなみに、このトラというかライオンはウズベキスタンのお札の模様にもなっている(200スム札)。

中庭に入ると、ここもお土産屋さんになってるんだけど(と言うか、ウズベキスタンのメドレッセって、ほとんどがお土産屋さんになってるけど)、民族楽器のお店があって演奏をしてもらいました。シルクロードの楽器って、どこか懐かしい音色がする。





国立文化歴史博物館

レギスタン広場の向かい側に国立文化歴史博物館がある。

ここにはテルメズの仏教遺跡から発掘されたストゥーパや、紀元前6世紀、紀元後6世紀・7世紀の壁画が展示されている。

他にも、触るとたたりがありそうなティムールの木棺(石の棺の中に納められていたもの)やら、シルクロードだなあ、と思わずにいられない漢字の書かれたお皿やら・・・

更にウズベキスタンの民族文化を知ることができる民族衣装なんかの展示もあって、かなり楽しめる博物館。



ここまで見学したところで、お昼を過ぎたところ・・・・。朝の9時から観光してるんだけど、見どころ多いというか、さすがサマルカンド。写真撮りすぎて、段々、デジカメの残量が心配になってきた。


ということで、写真多すぎるので、午後は後編で別に作りました。

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