8日目・サマルカンドからタシケントへ


早いもので、今回のウズベキスタンの旅も今日が事実上の最終日。今日はサマルカンド市内のビビ・ハニム・モスクとバザールを見てから、ホテルで荷造り等をして、その後はバスでタシケントに戻り、夜のソウル経由の飛行機で帰国の途に着くことになっている。



ビビ・ハニム・モスク

ビビ・ハニム・モスクはティムールが作った中央アジア最大のモスク。

1399年から作り始め、1404年に異例の速さで完成したものの、ティムールが満足せず作り直しを命令し、1405年にティムールが没したため、そのままになってしまった・・・というモスク。

なんでも、余りに巨大で、しかも作るのを急がせすぎたことから、完成直後から崩壊が始まっていたらしい。

写真は、モスクの玄関。高さが42mもあるとのこと。
大きすぎて、なかなかカメラに収まらない・・・。



玄関を抜けると、正面にモスク本殿があり、左右に小さな寺院がある。

この小寺院を取り囲む形で回廊があったんだろうと思うんだけど、今では回廊は全く残っていない。

でも、青いドームは綺麗だなあ。

モスク本殿の正面には、桑の木が植えられていて、そこには巨大な石のコーラン台がある。
コーランを置いた場所だというけれど、どんなに大きなコーランだったんだか・・・。




本殿の中に入ると、すっかり荒廃してしまっていて、壁には大きな亀裂が入り、往時を偲ぶには、ちょっと無理がある。なんでも、このモスクは当時の他の建造物とは違う方法で作られているらしい。インドの職人とかが関与していたのではないかとのことだった。

しかも、かってはタージ・マハルのように大理石に宝石をはめ込んでいたらしい。モスクの名前の由来になっているビビ・ハニムというのはティムールの第一夫人で、モンゴルのチンギス・ハーンの家系に連なる姫で、とってもお金持ちだったんだんで宝石とかたくさん使えたんだ・・・とのことです。

このモスクの完成のため、建築家が姫にキスを迫って、姫が完成のため仕方なく許すとそのキスの跡が痣になってしまってティムールが怒ったという伝説もあるけれど、実際はどうなんだろう。その後、姫がどうなったかについては色々と伝説があるみたいだけれど、現地ガイドさんもよれば、怒ったティムールが、ここをスイカ畑にしてしまえ、と言ったとのことですが・・・。
写真は、小寺院のドーム(左下)と、本殿のドーム(右下)

裏の方にまわると、補修作業がされている。もしかしたら、あと10年くらいするとビビ・ハニム・モスクも、すっかり復元されているかもしれない。ウズベキスタンのモスクやメドレッセって、昔の写真を見るとかなり破壊されているのに、今はすっかり修復・復元された、というのが多いから(古い写真を見ると、当時の破壊の凄さと、現在の修復の見事さに驚くことが多いから・・・)。



バザール

ビビ・ハニム・モスクの隣はバザールになっている。色んなものが売られていて、売り手の人たちの感じはいいんだけど、物乞いがしつこくて、ちょっと困る。現地ガイドさんによると、ジプシーらしい。ジプシーがいなければ、かなりいい雰囲気なんだけどなあ。
左下は、バザールで売っていたお祝い用のパン
右下は、バザールの前を通っていたロバ車。結構、ロバをよく見る。

これで、ウズベキスタンの観光は終わり。後は、ホテルに戻って着替えて、荷造りをして、ひたすらバスでタシケントに戻るだけ・・・・。早かったなあ。




タシケントまではバスで約5時間だった。日本人捕虜が作ったと言うオペラハウス内のレストランで夕食をとってから空港へ。夜の10時半に離陸し、ソウル経由で無事に成田に着いたのは9日目のお昼でした。

ウズベキスタン、あまり知識なく行ってしまったけれど、人が穏やかだし、料理はおいしいし、見どころも多くてお勧めです。撮った写真はデジカメ520枚+36枚撮フィルム1巻。ははは。

あえて言えば、問題は暑さですかね・・・。本当は春が、緑も豊かだし、暑さもきつくなくてベストシーズンらしい。



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