バンテアイ・チュマール

バンテアイ・チュマールはアンコール朝の黄金期を築いたジャヤヴァルマン7世が12世紀末に息子の菩提を弔うために建てた仏教寺院である。ジャヤヴァルマン7世といえばアンコール・トムの建立で有名だが、この寺院にもバイヨンによく似た四方に人面を配した塔が存在する。

ポルポト時代の内戦と、その後の盗掘により荒れ果て、瓦礫の山といっていい状態だが、チャンパとの戦いや美しい千手観音のレリーフは見ごたえがある。



タイ国境に近いシソポンの街から約60キロほど北上した場所に位置しているが、これはバイヨンと現在はタイにあるクメール遺跡ピーマイを結ぶ直線上に当たるらしい。道は決してよいとはいえないけれど、苦労して見に行く価値は十分ある。ただ、治安は決してよくない地域とのことなので個人で訪れるのはまだ危険かもしれない(2006年12月)。


遺跡に近づくと、まず見えてくるのは大きな堀。この寺院は東西約1600m、南北約750mの環濠に囲まれていて、現在も水をたたえている。遺跡入口には崩れた経蔵が残る。
経蔵から、まっすぐ遺跡に進むと左手には最近作られたらしい新しい大きな仏像が置かれている。

遺跡は東西約800m、南北約600mの回廊が残るものの、回廊内部はほとんどが崩れている。チャンパとの戦いや千手観音のレリーフは、この回廊に刻まれたもの。そこで、観光としては回廊を廻る形となる。わたしたちが見たルートは下図のとおり。
チャンパとの戦い 
ジャヤバルマン7世はカンボジアを侵略していたチャンパを追い出して即位し、更にチャンパに侵攻し占領してアンコール朝の勢力範囲を拡大した王である。このためか、チャンパとの戦いは繰り返し描かれている。



左下 内戦のレリーフ
ジャヤヴァルマン7世の時代は内乱が多かったらしい
右下 王宮の生活を描いたレリーフ
他に楽器を演奏しているレリーフなどもあった


仏教寺院ならではの千手観音のレリーフ
有名な千手観音像は左右に一体づつ彫られている。
右下 向かって右側の千手観音は顔が綺麗に残っている
左下 向かって左側の千手観音は顔は失われているが、周囲のアプサラが美しい


バンテアイ・チュマールはジャヤヴァルマン7世が息子の菩提を弔うための仏教寺院ということで、息子の姿も描かれている。どうやら大臣との戦いに負けて亡くなったらしいのだが、レリーフでは果敢に戦っている。敵の姿がモンスターとして描かれているのが面白い。


息子の戦いを見たところで、回廊の内部に入った。かなり荒れ果てているが、ところどころに美しいアプサラ像などが残っている。しばらく進むと、バイヨンにそっくりな四面に人の顔が彫られた塔がいくつも建っている区画に出る。ここらへんの足元はかなり悪い。瓦礫が積み重なっていて、安定も悪かったりする。
更に進むと、顔が女性で体が鳥のキンナラの美しいレリーフが目に付く。入口からすぐの部分にあたるので、かってはこのレリーフが出迎える形になっていたんだろう。今は瓦礫が入口を埋めるほどの高さまで積み重なっているが、天井に近い壁のレリーフだったことが分かる。


左下 バイヨンに似た四面に人面が描かれた塔
右下 キンナラのレリーフ 入口部分は瓦礫でほとんど埋まっている


以上で大体1時間半の観光。この寺院の周囲には民家の間に城壁らしきものや仏塔も残っている。かっては、この寺院を中心に多くの寺院が建てられていた可能性があるらしい。

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