ハトシェプスト女王葬祭殿


ハトシェプスト女王葬祭殿は、紀元前1500年ころにエジプトで最初の女王となったハトシェプストのための葬祭殿で、ルクソール西岸・王家の谷の東側にある断崖を背に建てられている。

当時、エジプトでは女性は王になれなかったが、他方で王の嫡出の長女には王位継承権があり、その夫が王になるという現在では分かりにくい制度になっていた。
ハトシェプストはトトメス1世の嫡出の長女として王位継承権を持っていて、トトメス1世の側室の息子が彼女の夫トトメス2世。しかし、ハトシェプストには息子がいなかったのか、トトメス2世の側室の息子が後継者に指名されていた。しかし、トトメス2世の死後、ハトシェプストは夫の側室の息子であるトトメス3世が幼少であることを理由に、自らが王になってしまった。トトメス3世は彼女の娘と結婚している。

いくら王位継承権があったとはいえ、ほとんど離れ業に近い形で王になった彼女には、おそらく野心だけでなく才能もあったのだろうし、彼女を王とすることを支えた有能な官吏も多かったのだろう。実際、この葬祭殿を設計・建築したのはセンムトという有能な官吏・政治家で彼女の愛人でもあったらしい。・・・・それにしても、かなり複雑な人間関係である。


断崖を背にするハトシェプスト女王葬祭殿。

紀元前1500年ころの建造物とは思えないくらいモダンな建物。

3階建てて、各階が広いテラスを持ち、斜路で結ばれている。

2階テラスの向かって左端はハトホル女神の礼拝所となっており、その隣には女王が行ったブント国との交易を描いたレリーフが残っている。
女王の治世では、エジプトで初めて貿易が行われただけでなく、シナイ半島で金の採掘を行うなど、平和で経済も盛んだったらしい。

2階テラスの向かって右端はアヌビス神の礼拝所。

そして、3階には女王の墓に続くとも言われる至聖所がある。





葬祭殿に近づくと、2階テラスに続くなだらかなスロープが見えてくる。

スロープは、2階テラスから3階にも続いている。

ここは1997年に日本人観光客も犠牲になったテロが発生した場所。

広々としたテラスは、逆から言えば、身を隠す場所がどこにもなかったに違いない。
こんな美しい場所で、そんな凄惨な事件があったとは思い起こしたくもないけれど、忘れてはいけないことだと思う。


ハトホル女神礼拝所

2階向かって左端のハトホル女神礼拝所には、牛の耳を持つハトホル女神の顔を刻んだハトホル柱(左下)や、ハトホル女神の象徴である牝牛のレリーフ(右下)などが色も鮮やかに残っている。



至聖所は色彩も鮮やかで、とても美しい(左下)。
交易や軍隊を表わす壁画も残されていて、これも保存状態が大変いい(右下)。



アヌビス神礼拝所

アヌビス神は犬の頭をした神様。
古代エジプトでも番犬はいたのか、やはり忠実な性格だったのか、アヌビス神は墓の守り神で、ミイラを作る神でもある。

アヌビス神礼拝所には、アヌビス神の坐像や立像が描かれている。




アヌビス神礼拝所には、他の神々のレリーフも色鮮やかに残っている。
左下は捧げ物を前にするアメン神。
右下はホルス神とトトメス3世





3階テラス



3階テラスに進むと王の立像がいくつもある門がある。







ここを通ると第三テラスだが、第三テラスには、めぼしい建築物はない。

いくつかの柱の跡や、レリーフが残ってはいるが、きちんとした建造物は残っていない。





そして、3階テラスの断崖に面した部分に、右のような岩窟至聖所がある。


ここから女王の墓に続いているとも言われているそうだが、未だに、女王の墓は確認されていないのだそうだ。
まさか、トトメス3世が墓まで壊したわけではないのだろうけれど・・・。


ハトシェプスト女王は、この葬祭殿を建築し、愛人であったとも言われたセンムトを後に追放し、センムトの像を全て破壊させた。

しかし、女王も、トトメス3世が成長し、力をつけてからは結局失脚する。
そして、トトメス3世はこれまでの女王の平和路線とは一転し、エジプトのナポレオンと呼ばれるほど戦争を続け、国土を拡張し、そして、女王の像を全て破壊させた。



考えてみると、ハトシェプスト女王はかわいそうな人でもある。父の側室の息子と結婚し、夫の側室の息子に追われることになるのだから。ハトシェプスト女王に息子がいて、王になっていたら、全然違う歴史になってたんだろうなあ。
それにしても、愛人だったといわれるセンムトとの間には何があったのか。実は、結構、気になったりする・・・。


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