イースター島(ラパ・ヌイ)

モアイで有名なイースター島は南太平洋にある絶海の孤島である。ハワイ・ニュージーランド・イースター島を結ぶトライアングルをポリネシアというとのことで、その意味ではイースター島はポリネシアの南東の端に位置することになるが、正式名称はチリ共和国自治区パスクア島、つまりイースター島は南米チリに属する。
イースター島という名前の由来が西洋人がこの島を発見したのが復活祭(イースター)の日だったからというのは有名だが、地元の人たちは自分達の島をラパ・ヌイ(大きな島)と呼んでいる。
ラパ・ヌイ(大きな島)といっても、実際の大きさは小豆島(もしくは佐渡島の半分くらい)らしい。南米チリから3800キロ、タヒチから4000キロ、一番近い島でも1900キロ離れた小豆島くらいの絶海の孤島、それがイースター島。この島の南には、はるか南極大陸しか陸地はない。


主な見どころ
モアイを中心に主な見どころをまとめてみました
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ラノ・ララク     モアイを切り出していた山 作りかけのモアイが約400体残っている
アフ・トンガリキ  15体のモアイが並ぶイースター島最大のアフ(祭壇)がある
アナケナ・ビーチ 保存状態のいいモアイが並ぶアフ・ナウナウがある
タハイ村      3つのアフ 唯一目が復元されたモアイはここにある 夕日の名所

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歴 史
イースター島に最初に人が渡ってきたのは、400〜700年ころと言われている。
島の伝説では、最初に渡ってきたのはホツマツア王。ヒヴァという西の島からやってきて、島の北のアナケナ・ビーチに上陸したのだそうだ。
モアイは700年ころから作られ始めたらしい。モアイは部族ごとに築かれた祭壇の上に置かれた神格化された先祖であり、部族の守り神でもあった。部族を守るため、ほとんどのモアイは海岸を背に村の方角を見て立っている。

かってのイースター島は緑豊かな島だった。しかし、人口増加は森林破壊を生み、次第に島を痩せさせていく。

1722年にオランダ人がイースター島を発見したとき、イースター島には長い耳の支配階級がおり、モアイを拝んでいた。支配階級は豊かだったが、既に島に木はなかった。
しかし、1774年にジェームズ・クックが島を訪れたときには、島のモアイは倒され、島民は飢えていた。

この1722年から1774年のわずかな間にイースター島では大変革が起こったらしい。
食糧難から部族同士の闘争が起き、互いに敵の部族の守り神であるモアイを倒すモアイ倒し戦争がこのとき起きたと言われている。
また、この間に、被支配階級の反乱も起きた。

長い耳の支配階級エエベ族(長耳族)は被支配階級のモモコ族にモアイを作らせていたが、モモコ族の反乱により、エエベ族はポイケ半島に追い詰められ、知識の継承者としての一人を除いて全員殺されてしまったという。

モアイが全て倒された後は、オロンゴで創造神マケマケの化身である鳥人の信仰が盛んになっていく。

しかし、19世紀、イースター島の知識階級も含む島民のほとんどが奴隷として連れ去られ、数年後、やっと戻ってきた島民が持ち込んだ伝染病により、島の文化は衰退し、最後に宣教師が止めを刺すように、島の文字を刻んだロンゴ・ロンゴ等の文化財を焼き捨てたことにより、イースター島の文化は途絶えてしまった。

そして、モアイを始めとする謎だけが残ったことになる。


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