コパン


コパンはホンジュラスの世界遺産であり、グアテマラとの国境近くに位置する。近くには、翡翠を産するモルグア川の支流コパン川が流れ、また、カカオの産地でもあったからか、紀元前1500年ころには既に人が住んでいた。最盛期は、現在見ることができる遺跡が築かれた450〜800年ころのことである。
この遺跡は、古典期マヤの学芸ことに天文学の中心地としてマヤのアテネとも称されているが、何よりも、この遺跡を有名にしているのは、深い彫りの美しい彫刻群である。8世紀にはメキシコのパレンケの王家とも婚姻関係を結んでいたとのことで、どこかパレンケにも通じる美しさがある。

「コパン」とは「吊り橋」の意味とも、16世紀にスペインと勇敢に戦ったインディヘナの指導者の名前ともいわれているらしいが、実際に、この年がマヤの時代になんと呼ばれていたかは不明らしい。

ビジターセンター入口に、遺跡全体の模型があった。

この模型の左側部分が「グランプラザ」と呼ばれる大きな広場。
ここにコパンを代表する石碑などが置かれている。

グランプラザを右に進むと、球戯場や碑銘の神殿があり、そこから一段高いところ(模型中央部分)が「アクロポリス」。ここには多くの神殿が築かれている。

グランプラザの右側は低くなっていて、そこは「エル・セメンテリオ」というエリートの居住区となっている。


コパン遺跡をざっと見るだけなら2時間くらいか。しかし、この遺跡の石碑や建物を飾る彫刻のうち、優れたものについては、実は、その多くが隣接する彫刻博物館に保存されていて、遺跡に置かれているのはレプリカである。そのため、彫刻博物館に寄らないと、本物を見損なってしまう。この博物館には、他にもコパンの神殿の地下から発見されたロサリラが復元されているほか、コパン遺跡近くの貴族の居住区とされるセプルトゥーラス遺跡の美しい彫刻も展示されているので、その意味でもお勧め。


            グラン・プラザ

遺跡に入ると、まず、広々としたグラン・プラザに出る。

ここには多くの石碑が置かれているが、そのほとんどは、コパン13代の18ウサギ王が建てたもの。

この18ウサギ王(695〜738)の時代がコパンの絶頂期であり、彫りの深い立体的な石像が数多く作られた。
しかし、この王は近隣の属国であったキリグアに破れ、首を取られでしまう・・・。



この石碑の特徴は、彫りの深さ。しかも、石碑の前面背面だけでなく横までも、びっしりとマヤ文字等が彫り込まれていること。往時は赤色に塗られていたとのことで、いまでもところどころ赤い色が残っている。
下は「ステラB」 これは遺跡に置かれているのが本物。屋根で保護されている。
18ウサギ王を彫ったもので、深い彫りが見事だが、写真にすると屋根で影ができてしまうのが残念(クリックすると大きくなります)。 

たぶん、コパン遺跡の石碑の中で、一番有名なのが、ステラA。やはり18ウサギ王を彫ったものだが、これは博物館に本物は収められていて、遺跡の中のものはレプリカ。
レプリカも雰囲気があっていいのだけど、やはり本物の方を下にUPしてみた(これもクリックすると大きくなります)。この像が一番、柔和な表情かもしれない。

とはいえ、やはり緑の中にある石碑は魅力がある。これはステラH(左)とステラF(右)。
ステラHの手のしぐさはステラAやBと同じ。王者のしぐさなのか。Fは裏が綺麗だったので。



他にも、グランプラザには、双頭の蛇とか亀の祭壇など興味深いものが多い。

ほとんどが13代18ウサギ王の時代のものだが、横の方には、12代王のステラもある。これは彫りも浅く、18ウサギ王の時代の彫りとの違いが、興味深い。

このグランプラザはアクロポリスに近づくと一段高くなっているのだが、そこにはコパンで最後の年代が彫られた未完成の祭壇がある。
16代王が17代王に王権の象徴である杖を渡す像が彫られているのだが、この17代の王の治世は僅か数年だったといわれ、その後、コパンは急激に衰退してしまったらしい。

この一段高い場所からは、球戯場と、その奥に天幕で保護された神聖文字の階段がよく見える。

神聖文字の階段の奥は、遺跡高台のアクロポリス。もともとは神聖文字の階段や、この写真奥の階段からアクロポリスに行ける構造になっているようだが、今は遺跡保護のため、これらの階段に登ることはできない。

コパンの球戯場は、高さはあまりないが、形が美しい。
ここの球戯場の特徴としては、左右にインコの頭の彫刻が3対飾られていることだろう。

他の遺跡の球戯場には、ボールの的として石の輪があることが多いが、ここでは石の輪は見えない。元からなかったとしたら、インコの頭が的だったのだろうか?

インコの像は、球戯場の上の建物にもあり、ここでは、色々な表情のインコがみられる。

どうやらインコには太陽のシンボルという意味があったらしい。

そのためか、ここのインコは勇壮(というか凶暴というか)なカンジに彫られている。

右は博物館に収蔵されているインコであるが、大きくくちばしを開け、また、足も大きく力強い。

我々がインコに持っていた印象とは、随分違う思い入れがコパンのマヤの人たちにはあったようだ。

これらのインコは、もともとは、赤い色に塗られていたらしく、博物館には復元模型も飾られている。
球戯場を抜けると、神聖文字の階段。

天幕で保護されているので、薄暗いが、右が正面から見たところ。

この神聖文字の階段は、神殿26の階段である。
「神聖文字の階段」という名前は、この階段にマヤ文字でコパン王朝史が刻まれているから。

発見当初は階段の崩壊がひどく文字もばらばらだったが、現在は文字が解読され、石段は本来の位置に修復されている。

18ウサギ王がキリグアに敗れた後、コパンの王となった14代煙猿(スモークモンキー)王と15代煙貝(スモークシェル)王の2代に渡って建造された。
敗戦後、コパンの権威を回復させるという目的もあったのかもしれない。

この階段には中央部分に何人かの人物が座った石像が飾られている。コパンの王達なのだろうか。




           アクロポリス

アクロポリスは、いくつもの神殿で構成されている。球戯場より一段高いところにあり、一見すると自然の丘を利用したように思えるが、実は、人工の丘。
マヤの建造物は、古い建造物の上に新しい建造物を作るという特徴があり、コパンでも、古い建物の上に歴代の王達が建造を繰り返したため、人工の丘のようなアクロポリスができたわけだ。
アクロポリスには、もともとは球戯場のそばの階段や神聖文字の階段から登れたようだが、現在は遺跡保存のため階段を登ることができないので、ぐるりとジャングルの中を迂回して登っていくしかない。

登ると西広場という広場に出るが、まず、目に入るのが左の神殿11。
これはコパン16代の日の出王(ヤシュ・パック)が建てた建造物だが、閲兵台とか天文台と呼ばれている。
しかし、海の動物の彫刻なども多いことから海に関連した神殿との説もあるそうだ。
建物中央壁面を飾る暗黒神のおどろおどろしい彫刻が有名。

西広場には、他に神殿16と呼ばれる建物がある。
これも16代ヤシュ・パックが建てたのだが、この神殿の下からはロサリラと呼ばれる地下神殿が発見されている。

ロサリラは博物館に実物大レプリカが展示されているが、赤色の神殿が緑や白の神獣で飾られている姿は、どこか中国的というか、マヤの印象が変わるような鮮やかさである。

更に、この建物の下にコパン初代王の墓があるのでは、ともいわれ、調査研究が進められているようだ。

この神殿16の前には、祭壇16というコパン歴代16人の王が刻まれた祭壇もある(本物は博物館)。

王は祭壇の四面に四人ずつ彫られているのだが、興味深いのは正面部分(左)。

これは初代王が16代王に王権の象徴である杖を渡しているところが彫られているのである。
しかも、初代王(中央左側)は眼鏡のようなものをかけた変わった姿で、テオティワカンと関係があるのではと言われているらしい。




16代王は、コパンの権威回復のために、随分と頑張ったというか、苦労をしたふしがある。

左は、やはり16代王が建てた神殿18の壁面を飾るヤシュ・パックの姿。
欠けた部分が多いが、戦士の姿で彫られているとのことで、これはコパンの王のなかでも珍しいのだそうだ。

13代の18ウサギ王がキリグアに負け、首を刎ねられてから、コパンでは王の権威の失墜更には都市国家としての衰退があり、その後の王は苦労したのだろう。

18ウサギ以後、コパンはパレンケと婚姻関係を結んだらしいが、おそらくそれも権威回復のためなのだろう。

戦闘姿というのは、キリグアだけでなく、他の都市国家から攻め込まれたりしたということなのか、それとも逆に攻め込んで威信を示したのか。
神殿18はアクロポリスの東端にあり、ここからはコパン川も見える。


神殿18から建物に沿って進むと東広場という四面を階段状の基壇で囲まれた広場に出る。

この基壇の上には、神殿21という王が儀式を行ったのではないかと言われている建物や、神殿22またはポポル・ナと呼ばれる貴族が集まった議会場とされる建物が築かれている。
18ウサギ王が首を刎ねられてから、王の権威が失墜し、14代の時代には王と貴族の合議制でコパンの重要な事項が決められていたらしい。
つまり、自己顕示欲が強かった18ウサギ王の後の王様達は、みんな苦労しているわけ。



この東広場の一角にあるのが、ジャガーの階段と呼ばれるもの。

巨大な人頭像を挟んで、左のようなジャガー像が左右に彫られているのだが・・・

ジャガーというよりは、どことなく仁王様のようである。
巨大人頭が太陽で、ジャガーは夜を表すともいうらしいが・・。

この東広場には、他にも首が取れているものの愛嬌のあるジャガーの像や、猿が笑ったような像などがあり、散策すると面白い。


       エル・セメンテリオ
神殿18近くから、見下ろすような位置にあるのが、エル・セメンテリオ。

王族・貴族の居住地区といわれている。

ヤシュ・パックの居住跡ともいわれており、そうだとすると、彼の妻だったパレンケの姫も、ここに暮らしていたことになる。

ここは高台から眺めただけだったが、広場を囲んで建物が築かれるという構造はアクロポリスと同じだ。




         彫刻博物館
既に書いてきたように、コパン遺跡の彫刻のうち、優れたものは本物が隣接する彫刻博物館に保存され、遺跡にあるのはレプリカである。


だから、この博物館のものはほとんどが本物なんだけど、数少ないレプリカが、この実物大のロサリラ。

博物館の中央に鎮座しているのだが、いかんせん大きいし、建物の影になってしまうので、上手く写せなかったのだけど、なんとなくイメージくらいは伝えられるかと思って、恥をしのんでUPした。

これが神殿16の地下に隠れているのである。
赤い色は生命力を表しているらしい。それにしても、なんとも言えず、東洋風の印象を受けるのは、わたしだけだろうか。

やはりコパンは見ごたえがある。昔は神聖文字の階段の天幕もなく、全体的に、もっと野性味があったとか、今は公園化されすぎてるという声もあるけど、やはり見所が多い。
綺麗な彫刻があると、やっぱり見入ってしまうし。広々としたグランプラザ、神殿の密集したアクロポリスというように変化にも富んでいて面白い。更に王朝史がかなり判明してきているため、親しみやすい気もする。

彫刻博物館とあわせて3時間ちょっとの見学時間だったけど、できれば1日ゆっくりしたいな。

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