プランバナン後編

ロロ・ジョグランはヒンズー教寺院だが、その他のプランバナンの遺跡は仏教遺跡が多い。
とはいえ、仏教とヒンズー教の融合もいたるところで見られるのだが。
ちなみに「チャンディ」とは「寺院」とか「霊廟」といった意味。日本語では単に「寺院」と表記されていることが多い。


チャンディ・セウ


チャンディ・セウはボロブドゥールと同じころ、つまり8世紀後半から9世紀にかけて建造された仏教寺院。現地ガイドさんは「ボロブドゥールを建てた王の娘と結婚した王が建てた」と言っていた。

仏教寺院だとするとボロブドゥールと同じシャイレーンドラ王朝の寺院なのかな、と思えるが、場所的にはヒンズー寺院であるロロ・ジョグランのすぐそば、同じ史跡公園の中にある。地球の歩き方には仏教色の強いヒンズー教寺院と書いてあるくらいで細かいことはもしかすると分かっていないのかもしれない。

しかし、仏教寺院かヒンズー教寺院か、ということになれば、やはり仏教寺院だろう、写真で見れば分かるように、寺院の屋根にはストゥーパ(仏塔)が乗っているし。
「セウ」というのは「千」という意味で、日本語に直訳すれば「千仏寺」となる。

ロロ・ジョグランの伝説で敵の王が建てようとした1000の寺院がここにあった、とされている。
今はほとんどが壊れてしまっているが、かっては、240もの仏堂が並んでいたらしい。
1000には及ばないものの、240というのは凄い規模だ。

この寺院、東西南北の入口に二体のクベラ(守護神)が鎮座している。

クベラはなかなかの大きさで愛嬌がある。




ツアー参加者の中に、このチャンディ・セウを10年位前に訪れたという人がいたのだが、当時は、瓦礫の山だったとのこと。よくここまで修復復元したと驚いていた。
日本で出版されている本にも古い写真があるが、それを見ると、確かになんにもないに等しい。

かっては中央祠堂には屋根もなかったとのことだが、現在では、中央祠堂は屋根もある。
遺跡の中で修復作業も行われていたし、現在も修復復元が進められているところなのだろう。

左の写真は中央祠堂の外壁を飾るレリーフ。
方位によって違う印相の仏が彫られている。

この中央祠堂の中には、かっては3mもの巨大な仏像が飾られていたとのこと。
しかし、金属製だったのか、どこかに持ち去られてしまい、今では石の台座しか残っていない。残念。





チャンディ・プラサオン


チャンディ・プラサオンはチャンディ・セウから1キロほどの田園地帯にある。

850年ころに建てられた仏教寺院で、かってはチャンディ・セウと同規模の大きな寺院だったらしいが、現在は大きな仏堂が南北に2つ残っているほかは瓦礫の山となっている。

調べたところ、なんとボロブドゥールを建立したシャイレーンドラ王朝の王女が、ロロ・ジョグランを建立したラカイ・ピカタン王に嫁ぎ、その二人がこの寺院を建立しているらしい。
つまり、ピカタン王、ヒンズー教寺院を建てながら、仏教寺院も建てたことになる。

ヒンズー教と仏教の融合ということなのか?まあ、ヒンズー教では釈迦もヴィシュヌ神の化身とされるらしいから、いいのかもしれないが。仏教もヒンズー教の影響で密教化したというし・・・。ひょっとして、仏教寺院かヒンズー教寺院かにこだわることもないのか?

この寺院、あまり訪れる人もおらず、ひっそりとしているが、わたしの中ではプランバナン遺跡群の中でロロ・ジョグランに次ぐお勧めだ。

というのも内部に6体の美しい石像が残っているから

石像が残っているのは、南側の寺院。この寺院の1階が3部屋に分かれていて、その部屋ごとに菩薩像が2体置かれている。かっては三尊仏であったのに、いずれも中尊仏が持ち出されたらしい。チャンディ・セウの仏像のように金属製だったのだろう。脇侍だけというのは寂しいが、それでも6体の仏像には感激だ。





更に、外に出て北堂の先に進むと、
今度は野ざらしになった仏達がいる。

ごらんのように、壇の上に、仏像がずらりと並んでいるのだ。
四角い壇のうち、入口にあたる東側を除く三辺に、このように仏達がずらりと並んでいる。

日本のどこかで見たような、ちょっと懐かしい風景だ。

おまけに、この写真には写っていないが、やぎとかも放牧されているのどかさだ。





おそらく、かってはこの壇の上に柱が置かれ、屋根があったのだろう。

しかし、詳しいことはわかっていないらしい。

仏達についても詳しいことは分かっていないとのこと。
中にはヒンズーの影響が強いと思われる仏像も見られる。


その中で、この仏像は、なんともいえず、懐かしい雰囲気。

毛髪や耳の表現なんかは、かなり日本の仏達と近い気がするが、どうなんだろう。

この寺院も修復中なので、あと数年したら観光客であふれるようになるのかもしれない。
そうなって欲しいような、そうなると寂しいような・・。





チャンディ・カラサン

チャンディ・カラサンはプランバナン村の手前のカラサン村というところにある。

ジョグジャカルタからの国道沿いにあって車からも見ることができる遺跡だ。

この遺跡は8世紀後半に建造され、後に9世紀になって増築されたものらしい。

仏教寺院ということだが、この遺跡で有名なのは右の写真のカーラ(鬼)。
漆喰も見事に残っていて、カーラの保存状態が大変いいことで知られている。
周囲のレリーフも、よく残っていて綺麗だ。


このカーラ、よく見てもらうとわかるのだが、下あごがない。
この下あごがない、というのが中部ジャワの特色らしい。


この寺院からも本尊は持ち去られている。石の光背のみが残っているのだが、よく見ると光背は、カーラ・マカラ・象が彫られている。インドネシアの光背の特徴とのことで興味深い。






チャンディ・サリ

チャンディ・サリは、チャンディ・カラサンから歩いてもすぐのところにある。

民家の中にあって、子供達が遊んでいたり、犬が駆け回っていたりして、観光客の姿は見えないが、この寺院、実に外壁が美しい。

そもそも、チャンディ・サリとは「美しい寺院」という意味。

建立は9世紀前半とのこと。
2階建てで、僧院もしくは瞑想の場として利用されていたらしい。

この寺院でも、内部の仏像は全て持ち去られてしまっているが、この外壁の美しさだけで、十分、見る価値があると思う。




チャンディ・サンピ・サリ


チャンディ・サンピ・サリはプランバナン遺跡群の中では少し離れた場所にぽつんとある。

この遺跡は小さなヒンズー寺院で、綺麗に復元されているが、見るべきものは外壁のドゥルガー・ガネーシャ・アガスティアの像くらいである。

むしろ、この遺跡は6mもの火山灰の下から発見された、というところに意味があるのかもしれない。
プランバナン遺跡群の遺跡は、1006年の大噴火を始めとする数々の噴火や地震によって、あるものは地下に埋もれ、あるものは瓦礫の山と化してしまった。この遺跡は、そんな歴史的な意味が大きい気がする。





ラトゥ・ボコ(ボコの丘)

ラトゥ・ボコというのは、プランバナンの南にある丘のことで、伝説のロロ・ジョグランの父王の宮殿があったとされる場所。

実際に宮殿の跡があり、沐浴場や祠、砦などが残っている。9世紀中ごろのものではないかと言われている。

ここからはロロ・ジョグランなどの遺跡を眺めることができる。
階段を登るのは、ちょっときついけれど、元気がある人は登ってみるといいかもしれない。上には喫茶店もあるので一服できる。



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