ペルセポリス

アケメネス朝ペルシャの宮殿址、ペルセポリス。アケメネス朝ペルシャといえば、古代オリエントを最初に統一し、ギリシャまで軍を進めた大帝国である。ペルセポリスは第3代のダリウス一世(紀元前522〜紀元前486年)の時代に建造が始まり、以後数代をかけて建設された。アケメネス朝ペルシャはサラミスの海戦でギリシャに敗れてから衰退を始め、結局、ペルセポリス完成から130年がたった紀元前330年にマケドニアのアレキサンダー大王に滅ぼされ、ペルセポリスにも火が放たれた。ペルセポリスの屋根と梁は木でできていたため、それらは全て焼け落ちた。
ペルセポリスから運び出された財宝は約514億円とか、その宝を運ぶための馬と駱駝が3万匹必要だったとか言われているが、このペルセポリスという都が、そもそもなんだったのかは未だに定説はないのだそうだ。3月の新年祭のときに、諸国の代表使節が朝貢に訪れた宮殿というのが一応の有力説ではあるもの・・・。


   クセルクセス門

遺跡のゲートを入ると小高い丘の上に巨大な柱が見えてくる。
そこに行くには大階段(遺跡)を登る。
この大階段は、馬のまま登るために一段が低く作られている。
そして、階段を登りきると、あのクセルクセス門である。

ダリウス一世の子、クセルクセスが建てた門で控えの間の役割もしていた。
門を飾る人面有翼獣神像、つまりは人間の顔を持つ翼の生えた牡牛で有名。


この人面有翼獣神像は、入口のものよりも、門をくぐってからのものの方が保存がいい。
上の写真でも分かるように、入口方向を向いた像は人面がほとんど残ってはいない。

もっとも、残っているほうも、人面がはっきり残っているわけではないが。イスラムによって顔は破壊されたのだろう。
とはいえ、翼や体は、かなりはっきりと残っている。

人間の顔を持った翼の有る牡牛の起源はアッシリアにまで遡るのだそうだ。

ペルセポリスは、ペトラ・パルミュラとともに中東の3Pと言われて人気のある遺跡だけど、他の2つの遺跡にローマの影響が強いのに対し、ここはアレキサンダー大王以前の遺跡ということもあって。古代メソポタミアの影響が色濃い。要は古いということか。
その意味で、独特の雰囲気をもっている。
また、ペトラ・パルミュラが都市遺跡であるのに対し、ここペルセポリスは巨大な宮殿址ということも、他の遺跡との違いといえようか。



クセルクセス門を抜けると、左のような怪獣というか、グリフィン?がいくつも置かれている。

頭は鷲、ライオンの体を合体させたものらしい。
確かに、手というか前足には肉球まである(かがむと見える)。

双頭なのは、もともと梁を支えていたから。一番上の写真にも小さく写っているけど、もともとは柱の一番上に乗っていたのである。この2つの頭の間に、かってはレバノン杉で作られた梁が渡されていたわけ。




上のグリフィンとともに、というか、ペルセポリスで最も多く見かけるのが、左の牡牛。

これはグリフィン同様に柱頭として利用されていたのだと思う。これも、もともとは双頭だったと思われる。
双頭の牡牛も、けっこう転がっていたりする。

角が取れてしまっているので、ちょっと見は馬のように見えるけど、実際は牡牛。
表情は柔和だけど、とてもたくましい、見事な様式になっている。

牡牛というのは、古代ペルシャにおいては、何か重要な意味を持っていたらしい。

クセルクセス門を抜けると、百柱の間までの間に、未完成の門をくぐるのだが、その未完成の門にも巨大な牡牛が彫られていた。
そういえば、有名なレリーフも獅子と牡牛だし。




                                          百柱の間

百柱の間という巨大な空間の入口を飾っているレリーフ。

百柱の間というのは、文字通り、10本の柱が10列つまり100本の柱が並んだ部屋ということで、軍隊を謁見する間だったとか、諸国からの貢物を受領する間だったとかいわれている場所。

柱は、ほとんど崩れてしまって残っていないが、この間の入口部分の壁はよく残っていて、そこに色々なレリーフが彫られている。

これは玉座に座った王の像。下の方に何段も、諸々の民族の王が彫られ、一番上に王の中の王であるダリウス一世が玉座に座った姿が彫られている。

諸民族の王の上にダリウス一世がいるということを現しているのだと思うけど、この諸民族の王が支える玉座に座るペルシャ大王というのは、遺跡のいたるところで繰り返し出てくる。






中には大王の上にゾロアスター教(拝火教)のシンボルが描かれているものも残っている。

たとえば、左。
これも、諸民族の王が支える大王なのだが、玉座に座る大王の上に、ゾロアスター教のシンボルが彫られている。

鷲のように羽根を広げた上に人物が乗っているという奇妙な形のレリーフがゾロアスター教のシンボル。上に乗っている人が省略されているものもあるが。

ゾロアスター教といえば、善悪二元論。宇宙・世界を善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マイニュ(アフリマン)の闘争の場とする宗教であり、最後の審判という概念が、その後の多くの宗教に大きな影響を与えた宗教でもある。
ゾロアスター教は、後に古代ペルシャの国教になった。ダリウス一世が帰依していたことが影響しているのか。
他にペルセポリス内には、ゾロアスター教の宗教行事を行った壇なども残っている。




こちらは、大王を支えている諸民族の王達。

髪の毛や髭まできれいに彫り込まれている。



人物の周りにある花のような模様。ロータス。

現地ガイドさんの話によると、中央が太陽、アフラ・マズダであり、まわりに12の花弁のように見えるのは12の月の象徴なんだそうだが、他にも色々な説があるようだ。











他に多いレリーフが獅子や怪獣と戦う大王の姿。

左は獅子と戦う大王。

獅子は大王に蹴りを入れ、大王は左手で獅子の頭をつかみ、右手で獅子の腹に刀をつき立てている。
大王の力を現すレリーフなのだろう。

獅子のほかにも、有翼の怪獣と同じように戦う大王の姿が彫られている。

確認できたのは、獅子と2種類の怪獣と戦う大王の姿。
おそらく、獅子・怪獣たちには、それぞれ、何かの意味があったのだろう。








                                         アパダナ(謁見の間)

百柱の間を抜けると、いよいよペルセポリスで最も巨大なアパダナ(謁見の間)に移動することになる。

この謁見の間は一段高くなっており、そこに昇るための階段の側面に有名な獅子と牡牛のレリーフやら、諸国の使節団の姿のレリーフやらが、びっしりと彫られているのである。

左は牡牛を襲う獅子。この右側にも左右対称に同じようなレリーフが彫られている。




いくつもある獅子と牡牛のレリーフの中で、比較的上手く撮れたかな、というのが左。
獅子の顔の部分が磨かれているので写しやすい。実は、ペルセポリスで使われている石は、全て磨くと左の写真の獅子のように黒く光るのだそうだ。
かなり重厚な建物ということになる。
獅子と牡牛の意味については、獅子が大王で牡牛が敵、つまり大王が敵を倒す姿を意味するという説と、夏を意味する獅子座と冬を意味する牡牛座であって、季節の移り変わりを意味するという説がある。ゾロアスター教では、本来、春分が一年の始まりという思想があることを考えると、春の星座である獅子座が牡牛座を追い落とす姿なのかもしれない。

獅子と牡牛に並ぶアパダナ階段のレリーフ、朝貢する諸国使節団。

全部で23の民族が朝貢する姿が彫られている。

民族ごとに髪型や服装が違うだけでなく、パルティア人やアラブ人は駱駝、ガンダーラ人は牛、エティオピア人は麒麟、ゾグド人は羊というように貢物の種類も違うので、見ているだけで楽しい。

使節団の間に描かれている糸杉も彫りは細かく、繊細である。

羊も、その体毛まで細かく彫られている。羊毛の感じが出ている。


ペルセポリスのレリーフは一見すると様式化されているように見えるが、実は非常に細部は個性的だし、視点も暖かい。

たとえば、ライオンの親子を朝貢する姿を彫ったレリーフでは、母ライオンが、抱かれて運ばれる子ライオンを振り返って見つめる姿なども彫られているし、使節団の先頭のペルシャ人は必ず使節の手を引いている、といったように。



                                      ダリウスの宮殿(タチャル)


アパダナの裏にはダリウス大王の宮殿などが残っている。

大王の宮殿、というわりには小さな建物。
冬の宮殿と言われている。
窓から暖かい日差しが入るように設計されているというが・・。



この宮殿に利用された石材は磨きこまれていて、鏡のような光沢を放っていたのだそうだ。
そのため「鏡の間」とも呼ばれているとか。

小規模だが、手のかかった宮殿ということか。

ここでも、獅子と牡牛のレリーフや人物像が繰り返しでてくる。








この宮殿にも、大王が獅子や怪獣と戦うレリーフが彫られている。

ダリウス一世、お気に入りのレリーフということか。



しかし、この宮殿には、このような大王の戦う姿だけではなく、大王の家族に食事の用意をする人物達のレリーフもあって、これが面白い。
皿や壷を運ぶ人物だけでなく、穀物の袋を担いだり、子羊(料理されてしまうのか)を運ぶ人物などが描かれていて、見てるだけで楽しくなってしまう。

このダリウス一世の宮殿のほかに、クセルクセスの宮殿址なども残っている。




                           宝物庫址とアルタクセルクセス王墓


ペルセポリスのすぐそばの山肌には、いくつかの王墓がある。

左は、宝物庫址から眺めたアルタクセルクセス王墓。

手前の宝物庫は、ごらんのとおり、ほとんど何も残っていない。基礎部分がかろうじて保存されているくらいである。
アレキサンダー大王に全て略奪されたあと・・というか。

行ったときには、ここから火が出たのかと思ったのだが、帰国後調べたら、出火元は百柱の間らしい。
まあ、火が出た理由についても、アレキサンダー大王がワインに酔っ払ってとか、色々な説があるみたいだが。

王墓までは、ちょっと時間がかかるが、王墓まで登るとペルセポリスが一望できる。
その意味でお勧めポイント。






王墓に彫られたレリーフ

おなじみの諸民族の王に支えられた王であるが、中空にはゾロアスター教のシンボルが浮かんでいる。

翼を広げた鷲のような姿の上に人物(アフラ・マズダ)が乗っている。
デニケンとかに、宇宙人だとかロケットに乗った人物と評されたシンボル(笑)。

他の王墓にも同じようなレリーフがある。



以上をざっと見て3時間くらい。宝物庫址の横に博物館があるのだが、そこを見る時間はなかった。博物館を見て、なおかつ、王墓まで登るとなると半日は必要か。
ペルセポリスは、レリーフの一つ一つに興味を持ち出すと、あっという間に時間が過ぎてしまう。急いで見ると、レリーフが単なる様式化されたもののように思えてしまうので、損だと思う。もっと時間が欲しかった、というのが本音。
納得の世界遺産というより、世界遺産あたりまえ。歴史が違うぜ。ローマよりも前の、なんせ、あのアレキサンダー大王が焼き払った遺跡なんだから。

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