パレンケ

パレンケは、マヤ古典期の代表的な遺跡のひとつ。グアテマラとの国境に近いチアパス州の丘陵地帯(いわゆるマヤ中部低地西部地域)にあり、4〜10世紀に栄えた都市。
周囲は鬱蒼としたジャングルであり、乾季に訪れたにもかかわらず、じっとりとした湿気が満ちている。
パレンケはウシュマルと並び賞される遺跡の美しさと、この遺跡の神殿ピラミッドの下から、マヤで初めて王墓が見つかったということで有名。

王墓を覆っていた石板のレリーフは、俗に宇宙船を運転する古代マヤ人とか言われて、デニケンなどの超古代文明をとなえる者たちに好んで取り上げられた(マヤは宇宙人が築いた文明だ、とか)。実際は、死した王が生命の木を登って天界に赴くという、いかにも王墓にふさわしいレリーフであるわけだが・・・。

この王墓に葬られていたのは、パレンケの黄金時代を気づいたパカル王と言われている。パカル王は615年にわずか12歳で即位して、80歳で亡くなるまでパレンケを統治し、黄金時代を築いたのだそうだ。日本で言うなら大化の改新前後に頑張っていたことになる。

この遺跡の魅力はジャングルの緑と白い遺跡の対比。朝もやの中から現れる神殿や宮殿は幻想的である。そして、美しいレリーフの数々。
優しい気配が満ちた遺跡だと思う。
                                         碑銘の神殿

遺跡の入口を入ると、幾つも並んだピラミッドが出迎えてくれる。

それらのピラミッドの一番奥にあるのが、有名な碑銘の神殿。
このピラミッドの内部にマヤで最初に発見された王墓が隠されていたわけ。

この王墓に葬られた人物として最有力視されているのが、先に述べたパカル王だが、彼が80歳でなくなったとされるのに、この王墓に葬られていた男性は40〜50歳なんだそうだ。だから、本当はよくわからないというのが真相。そのうち違う説が有力になるかも。




遺跡入口に一番近いのが、左の頭蓋骨の神殿。
凄い名前だが、名前の由来は階段を登ったところにうさぎの頭蓋骨といわれるレリーフがあるから。
なんで、うさぎの頭蓋骨なのかは謎。でも、たしかに人間の頭蓋骨とはちょっと違った形。
結構、こわい顔をしている。

この神殿は小さいけど、中央にはマヤの擬似アーチもある。

この頭蓋骨の神殿の横に神殿ピラミッドが並び、一番奥が碑銘の神殿となっているわけ。

ところで、写真からは分からないが、実は、これらの神殿手前の地面は、どろどろのぬかるみ。あっという間に、靴はどろだらけになる。
乾季でこうなのだから、雨季は凄いのではないか。
泥で重くなった靴で階段を登るのは、実は、かなり怖かったりする。




頭蓋骨の神殿から、碑銘の神殿・宮殿方向を撮ってみた。

右側のシルエットが碑銘の神殿(神殿の屋根が見える)。

そして、奥に日がさしているのが宮殿。
パレンケの宮殿のシンボルである塔が見える。
神殿を降りると、宮殿に向かって進むことになる。





宮殿入口から見た碑銘の神殿。
パレンケで一番大きな神殿といわれるだけあって、やっぱり立派。

2002年12月には残念ながら登れなかった。
代わりに、右隣にある小さなピラミッドから女性の墓が見つかったということで公開されていた。パカル王の母の墓ではないかといわれているらしい。だとしたら、わずか12歳で即位した王を支えた凄い女性だったんじゃないかな。

日よけ部分が、内部への入口。




                                              宮殿

宮殿と呼ばれる建物は、かなりの高さのある基壇の上に築かれている。

宮殿に登る階段の下から、撮ってみた写真。

実は、分かりにくいのだけど、宮殿の壁には化粧漆喰でレリーフが飾られている。
人物が多く、おそらくパレンケ王家に関連する人物ではないかと思われるが・・。

写真には、なかなか上手く写せないだけど、とても綺麗。宮殿の内部には、パカル王が母親から王冠を受け取るレリーフなどもある。





宮殿内部の塔。
4階建てである。

マヤの遺跡で、他にこのような塔は見つかっていないそうだ。

この塔の壁面は東西南北を指しているとのことで、このことから天体観測に利用されたのでないかとされている。
この塔の内部には星の観測に使ったと思われるテーブルがあるとか、金星を示す文字があるとか地球の歩き方には乗っているのだけど、残念ながら、2002年12月の時点では内部に入ることはできなかった。保存のためということは分かるけれど、どんどん遺跡内部に入れなくなっているのは残念。

宮殿は、他にも、マヤアーチの天井とか、人物のレリーフが多く残る中庭とか見所は多い。
王家の人物を彫ったと思われるレリーフは、よく見ると指の数が少なかったりする。マヤにおいては王族は神に自分の指などを切って捧げたらしい。王族は大変。




パレンケの遺跡は碑銘の神殿・宮殿がある区域と、川を挟んで十字グループという神殿が集まる区域とに分かれている。

十字グループに向かう途中から宮殿を撮ったもの

それにしても緑と白のコントラストがきれい。
でも、陽射しと湿度はかなりのもの。








                                               十字グループ


十字グループは、十字架の神殿・太陽の神殿・葉の十字架の神殿という3つの神殿群を中心としたエリア。

パカル王の息子の時代に作られたもの

左は十字架の神殿。
結構大きな神殿である。
この神殿にあった煙草を吸う老人のレリーフは有名。いまは、本物は国立人類学博物館にあり、レプリカが置かれている。
十字架の神殿の奥にちらりと見える白い建物は宮殿。







実は、この十字架の神殿に登ると、パレンケ遺跡の撮影ポイントがある。


で、それが左の写真。



宮殿、碑銘の神殿を見下ろすことができる。
気持ちのいい場所なので、ここでちょっと休憩する人が多い。




写真左手の神殿が太陽の神殿
右の建物は上の建物の左端に写っている建物。つまり、この裏手に碑銘の神殿がある(間に川があるのだが)。

この太陽の神殿の向かいに葉の十字架の神殿という神殿があるのだけど、実はこの2つの神殿は音響効果が凄い。

2つの神殿の間は、結構距離があるのだけど、2つの神殿に登って声を掛け合うと、大きな声を出さなくても、よく聞こえるのである。
なんでだかわからないが、マヤの建造物は音響効果が凄い。





左が葉の十字架の神殿

比較的小さな神殿だが、マヤの擬似アーチが綺麗に残っている。

裏がジャングルなのは、わかるだろうか。


何回も書いているが、わたしがパレンケを訪れたのは冬の乾季。
乾季でこれだけ緑が濃いのだから・・・夏の雨季はどうなるのだろう。

一日でジーンズが絞れるほどになる・・・というのは、あながち嘘ではないかも。


パレンケには、他にも伯爵の神殿(どこかの伯爵がしばらく絵を描くために住んでいたらしい)とかの建造物もある。



ともかく、とても雰囲気のいい場所。美しさという意味で、ウシュマルと人気を二分していると思うのだけど、ウシュマルの美しさが人の気配を感じさせないものであるのに対し、パレンケは人の気配を感じる優しい美しさという感じ。わたしとしては、どちらをどちらを取るかと言われたら、凄く悩むけどパレンケをとる。

このころは、あんまりいいカメラを持っていなかったので(いまもそんなにいいわけではないけど)、レリーフの綺麗な写真が撮れなかったのは残念・・・・。また行きたい遺跡のひとつ。チアパス州はメキシコの中でも先住民の独立運動が激しいところであり、治安には注意しないといけないけど。


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