トゥーラ


トゥーラはメキシコ高原にあるトルテカ族の都市。
この都市は、テオティワカン衰退後の中央高原の覇者となったトルテカ人によって築かれた。800年から1150年ころに栄えたとされている。

トルテカ人はケツァルコアトルを信仰していた。テオティワカンの衰退原因を、権力闘争に敗れたケツァルコアトルを信仰していた勢力の巻き返しと考える説では、彼らはテオティワカンを滅ぼしてから新たに中央高原の覇者となったのだとする。また、トルテカ人はユカタン半島のマヤにも影響を与え、チチェン・イツァでは「トゥーラ」から逃れてきたケツァルコアトル王(ケツァルコアトル神と同一視された伝説の英雄王)が同国を治め、マヤとトルテカが融合した文明が花開いたとされる。とはいえ、トゥーラというのは固有名詞というより、元々は「大都市」という意味なので、これらの伝説のトゥーラと、ここトゥーラが同じかどうかは分からない。
                                        ケツァルコアトルの神殿

トゥーラ遺跡にあるケツァルコアトル(トラウィスカルパンテクトリ)の神殿

トラウィスカルパンテクトリというのは「明けの明星」という意味で、ケツァルコアトル神のことでもある。

トルテカはケツァルコアトルを信仰していたというが、ここでも一番立派な建造物は、同神の神殿となっている。

一見しただけでも、チチェン・イツァの戦士の神殿・千柱の間によく似ている。



ケツァルコアトル神殿の頂上には、戦士の像と呼ばれる巨大な像が4体立っている。

このちょっと直線的な人物像はみな戦士達で、高さは4、6mもある。

この戦士達、胸には蝶のような形の胸飾りをつけ、刀や槍投げ器といった武器を身につけている。
好戦的だったというトルテカ人らしいとはいえるが。
横や後ろも、とても丁寧に彫られている。


この像の後ろには角柱が残っており、そこにも美しい戦士のレリーフがあった。

像の前には円柱の部分と思われるものも残っている。






ケツァルコアトルの神殿の基壇には、ジャガーと鷲が描かれている。

下に彫られている鷲は、心臓をつかんでいるようにも見える。
そうだとすれば、チチェン・イツァの鷲とジャガーの基壇のレリーフにかなり通じるものがあるとはいえる・・・。


しかし、トゥーラのレリーフの方が、稚拙な印象を受けるのだけれど。





これはケツァルコアトルの神殿の北側に位置するコアテパントリ、「蛇の壁」。

蛇の口の中から骸骨が顔を出しているという奇妙なレリーフが連続して描かれている。
この蛇の姿、しっぱを上に跳ね上げていて、ちょっとチチェン・イツァの蛇の柱に似ているような気がする。






                                             球戯場


トゥーラの遺跡には球戯場も残っている。

結構大きい。
球戯場は2つ残っているが、そのうちの一つはメソアメリカではチチェン・イツァに次ぐ大きさらしい。

トルテカの球戯場は大きいのだろうか。








トゥーラには、他にも神殿ピラミッドと思われる建造物があるのだが、まだ修復が進んではいない。全体を見るには1時間半から2時間くらいあれば足りると思う。
遺跡の中にはチチェン・イツァに通じるものが幾つもあるが、チチェン・イツァに比べて見どころは少ない。もともとは、かなりおおきな都市だったとは思われるけれど。



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