マチュピチュ
インカ道から見下ろした夕暮れのマチュピチュ
マチュピチュ中央に緑の大広場
大広場を挟んで左側の小高いところがインティワタナ(日時計)
大広場を挟んで右側が居住区
大広場の手前が倉庫や太陽の神殿などがある王族もしくは神官の居住区である。
画面左の小高い部分がインカ道から続く見張り小屋(小さく写っている)。本来の入り口はこのルート
画面左下がホテル。ホテルの横からが現在の遺跡入り口
見張り小屋と葬儀用の石
上の写真の左高台に小さく写っている建物が左の写真の屋根つきの家、見張り小屋。屋根は復元である。
手前が葬儀用の石
周囲が墓地であることから死体の防腐作業に使ったとか、いけにえを捧げたのだとか色々言われている。
ここからはインティプンクがよく見える。
この石のでっぱりが、影を作るのが5月。多少変形しているものの、5月が南十字星の祭の時期であることからすると、何らかの天体観測に用いた可能性もある(結局はよくわからない)。
太陽の門
見張り小屋のところから降りていくと、マチュピチュ遺跡の本来の正門、太陽の門にでる。
正門といっても、とても小さい。人とリャマが入るのがやっとくらいの門である。
元々、マチュピチュには、ここしか入り口がなかった。入り口に沿って壁が市街を囲むように築かれていることからすると、マチュピチュにおいては防衛ということが重視されていたのだと思う。
この門をくぐってすぐのところには、倉庫といわれる建物が並んでいる。インカ道をリャマに乗せて運んできた荷物を下ろしたところ。
太陽の門からまっすぐに道を進むと採石場に出る。
写真下の大きな石が、ごろごろしているところが採石場
マチュピチュの建造物はここで切り出された石によって築かれた。石は白花崗岩。マチュピチュの建物は今は黒ずんでいるが、元々は白い建物だったわけ。
写真中央の小高い部分がインティワタナ(日時計)。後ろのワイナピチュと同じような形の高台となっている。
その手前の芝のない広場が「聖なる広場」といわれるもので、3つの建物がコの字状に並んでいる。
コの字の上の横線にあたるインティワタナ側の建物が「主神殿」といわれるもの。
コの字の縦線にあたるののが、ここからだと見ずらいが、「3つの窓の神殿」
コの字の下の横線にあたる採石場側に背中を見せているのが「神官の館」
何も建物がない写真左側は断崖絶壁。遠くに山を見渡せるので、そこに何か意味があったのかもしれない。
聖なる広場側から見た3つの窓の神殿
インカには、「3つの穴から生まれた8人兄弟の一人がインカの始祖となった」という始祖神話がある。
この建物は3つの窓があることから、マチュピチュの発見者であるビンガムによって、この神話と関係があるのではないか、ということで「3つの窓の神殿」と
命名された。
確かに大広場から見上げると窓は3つなんだが、聖なる広場側から見ると、もっと窓があったのでは・・・という気もする。
この建物は聖なる広場に面してコの字型に開いている。広場側から何らかの祭事をしたのだと思う。真ん中あたりに、大きな石が立てられている。
主神殿
マチュピチュで最もしっかりとした技術で作られている建物ということである。
歪んでいるのは地震による地盤の歪みによるらしい。
とはいえ、この神殿は未完成。この神殿の下にも石組みがあり、インカ以前からの聖地だった可能性もあるとのこと。
ところで、主神殿に祭っていた神様は何なのか? 聞いたんだけど、わからないそうです。わからないことばかり。
この裏にある建物は装飾の広場といい、32角の石なんていうものが入り口に使われている。
南十字星
主神殿のすぐ横にある石。南十字星を表したものとのこと。
南十字星は、文字通り、4つの星が十字を作る星座で、縦と横でつなげば十字架の形に、星を順繰りにつなげは左の写真のようにひし形になる。
南十字星は、小さい星座だが、ペルーでは赤道が近いせいか、大きく見える。北半球では北極星が、ほぼ天の北極点に位置しているが、南半球では南極点に位置する星がない。南極点を探す基準になるのが南十字星で、縦の線を4,5倍すると天の南極なのだそうだ。
5月は、夕暮れ時に、この南十字星が南天に直立した姿で現れる。そのため、ペルーでは5月に南十字星のお祭りが行われる。ちなみに南十字星のすぐそばに明るい2つの星があり、「リャマの目」と呼ばれている。
月の観測所
南十字星の石のすぐ横に、半月形に張り出したテラスがある。
写真で人が立っている場所がそれ。
ここから月の観測を行っていたらしい。
すぐそばに南十字星の石があることからすると、この神聖な広場では、色々な天体観測が行われていたのだろう。
インティワタナ(日時計)は、この写真の奥の高台にある。
それにしても、マチュピチュは凄い断崖絶壁上にある。
インティワタナ(日時計)
聖なる広場から階段を登って行くとインティワタナに出る。
インティワタナは、本来、「太陽をつなぐ杭」の意味。
冬至の日に太陽が消えないように、太陽をこの杭につなぐ・・・という儀式をしたらしい。
神官が、ここで太陽の運行を観測していたわけだ。
マチュピチュには、他に太陽の神殿という場所があるので、少なくとも2箇所で太陽の運行を観測していたことになる。
インティワタナのすぐそばにある変な石。上の写真の右側で数人が覗き込んでいるのが、この石(だと思う)。
なんで、こんな石の写真を撮るのかというと、この石の右側のでっぱっているところに目があって、そこに冬至の日に光があたるので、なにかの意味があるらしい・・・ということで撮るのである。
で、この石が「動物の形」をしているというのだが、どうしたら動物の形に見えるのかが分からない。ううむ。
太陽の神殿
太陽の神殿を近くから写したもの。
実は、太陽の神殿は巨大な岩石の上に石が組まれている。近くで見ても、巨石と石組の継ぎ目が目立たないくらい見事に処理されている。
この太陽の神殿の上部は窓から差し込む太陽の光で冬至と夏至を確認するための部屋になっており、下部は陵墓・・・ミイラを置く場所になっている。
太陽の神殿というのは、なぜか、曲線がトレードマーク。
太陽の神殿を上から見たところ。
床にあたる部分に巨石があり、これを取り囲む形に神殿の壁が作られている。窓が幾つも開いているのは分かるだろうか。。
この窓の1つから冬至の日に太陽が差し込み、別の1つから夏至の日に太陽が差し込むように設計されている。
冬至の日に差し込む太陽の光が、巨石に彫りこまれた印にあたった時、神官が冬至の到来を確認して、インティライミの祭りを行った(と説明する絵を見たことがある)。
2004年5月の時点では、太陽の神殿の中には入れない。
この巨石が下まで埋まっているのか、それとも置いてあるものかを確認したかったのだけど。
太陽の神殿の下部・陵墓
太陽の神殿が巨石の上に石が組まれたものであることは上記したが、その巨石は下の部分で大きく斜めに削られ、中が陵墓となっている。
白い石が削られているのがわかると思うのだが、この奥にミイラが安置されていたらしい。
入り口部分は、階段のように石が彫られていて、覗き込むと、台座のように石を掘り込んだ窪みがいくつも作られているのがわかる。
ここに豪華な副葬品に囲まれたミイラが置かれていたのか・・想像すると、やっぱり、ちょっと怖い。実際に陵墓なのかも謎ではあるが。
太陽の神殿と王女の宮殿
写真奥が太陽の神殿
写真手前が王女の宮殿
王女の宮殿といっても、ほんとに王女様が住んでいたのかどうかは分からない。
この建物はマチュピチュ唯一の2階建ての建物ということで有名で、太陽の神殿側の階段から2階に行けるようになっているらしいのだが、この階段にも縄が張ってあって、中には入れない。けちである。
この角度から見た太陽の神殿の形はとてもきれいだ。
水汲み場
写真だとわかりにくいのだが、水汲み場である。
マチュピチュの住人の生活を支えたであろう水である。
全部で17あるとのこと。
実は、この水はかなりきれいらしい。
というのも、この水汲み場というか水道施設は花崗岩でできているのだが
花崗岩には浄水効果があるらしいのだ。
インカの水道施設というのはかなりのもので、サイフォンの技術を知っていたとか(書いてる人間は、その仕組みがよく分かっていないが)、水路として石に溝を彫る技術も優れていたらしい。
大広場から見た居住区
居住区といわれるところは、高台から低いところまでかなりの範囲に及んでいる。
高台には貴族が住んでいたとか、低いところは工業地区だとか呼ばれていたりする。
一説には、マチュピチュには1万人が住んでいたともされる。
残念なのは、これらの居住区といわれるところも、あまり人の生活ということを想像できないことだ 500年近い年月で石組みが残っているだけでも奇跡なのだろうが、家財道具も何も残っていないのがが寂しい。
工業地区にある石臼のある部屋
この写真の床にある丸いのは石臼なんだそうだ。
この石臼から、陶器の工場であったのではないか、と言われている。
また、ここからは土器の材料も発見されているらしい。
そんなことから、ここは工業地区とされているのだが、他の説では、この丸いのが天体に関する鏡とされるのだそうだ。
石臼と鏡・・・かなり違う気がするが、ここまで極端に説が分かれるということ自体、マチュピチュの多くが謎ということなのだろう。
それにしても居住区は迷いやすい。
コンドルの神殿
コンドルの神殿は太陽の神殿がある地区からは階段を下りてしばらくしたところ、階段を挟んで工業地区の反対側にある。
正直、このあたりは少し入り組んでいて分かりにくい。
で、左はコンドルの頭と言われるもの。
ここにはコカの葉が供えられている。
コンドルの神殿もよく分からない場所である。
神殿なのか牢獄なのか。
神殿の上は拷問場ともいわれているし・・・。
コンドルの神殿を正面から見たところ
・・・コンドルの頭とコンドルが羽根を左右に広げた姿を自然石で表しているということだが。
見えるか?
これを見て、コンドルを思い浮かべる人は凄いと思う。
この巨石の下の半地下になっているところが牢獄と言われているのだが、それはあくまでマチュピチュ発見者のビンガムが、そう主張していた、ということらしい。
実際、地下は暗くて閉じ込められたら、さぞ辛いだろうと思われるが、牢獄だとしたら、なぜ、神殿とセットなのか?
上にある拷問場と言われるところだって、椅子のような石組みはあるが、ほんとにそこで拷問をしたのか(手を入れることができる穴があり、そこに手を入れさせて罪人を動けないようにしたというのだが)、他の使用方法もありそうである。
段々畑と管理人小屋
遺跡の市街地部分を抜けると、そこは広大な段々畑である。
段々畑であると同時に、オリャンタイタンボのように、いざというときには要塞として機能したのだろう。
写真に写っている屋根の復元された小屋は管理人小屋といわれているもの。
この写真正面の道をまっすぐに行き、つきあたりの管理人小屋の横に入ると遺跡の出口というか入り口である。
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