ペトラ


ペトラ。薔薇色の都市。ファラオの宝物庫。
もともとはアラブの遊牧民であり隊商を組んで交易を行っていたナバタイ人の首都であった。
彼らは、岩山が迫るこの土地を天然の要塞として利用し、この都市を作った。ペトラに行くには、高い岩が左右に迫るシークと呼ばれる岩の裂け目を2Kも歩く必要がある。
ペトラは紀元6年にローマ帝国に併合され、ナバタイ人の首都としての歴史はそこで終わったが、その後も、ローマの支配下で4世紀の地震で大きな被害を受けるまで繁栄した。
しかし、その後、交易路の変更などで次第に衰退し、6世紀ころからはベドウィン達しか知らない忘れられた遺跡になっていったわけだ。
ペトラの魅力はなんといっても、そのロケーションと建物が彫りだされた岩の美しさだろう。

           オベリスクの墓

ペトラ遺跡の入口から、シークと呼ばれる岩の裂け目までも1.5Kほどある。

このあたりにも、左の写真のような墓がいくつも残っている。

左の墓は、オベリスクの墓と呼ばれるもの。

墓の上部を飾っている4つのオベリスクから、そのように呼ばれているらしい。エジプトの影響を受けているのが明らか。

この墓から、もう少し行くと、いよいよ、シークである。



   シーク

シークに入る。
両側の岩の高さは60〜100mはあるとのこと。
こんな岩の隙間を2Kも行ったところに街があるなど、普通は気がつかないだろう。
まさに、自然の要塞である。
しばらくは、薄暗いシークが続く。

シークの途中にも、ナバタイ人の信仰していた神を彫った岩とか駱駝を連れた人物を彫ったものとがある。
しかし、あまり保存状態はよくない。
ナバタイ人の神様が抽象的に表現されているのは興味深いのだが。

見落としがちだが、凄いのが、シークに残る水路跡。
この写真でも、下の方に写っているのだが、岩肌の下の方に、横に掘られた溝がある。
この溝に土管が置かれ、そこを水源から引かれた水がペトラの都市に運ばれていたのだ。
凄いね。


   エル・ハズネ(カズネ・ファルウン)


シークを抜けると、いよいよ、エル・ハズネ。

ペトラで最も美しい建造物である。

このエル・ハズネに行くためのシークは、エル・ハズネに着く寸前が、非常に細くなっている。

その細くなった道を進むと、次第に、エル・ハズネが、その姿を現す。
自然を生かした、見事な舞台効果というか。
素晴らしい。

この建物は、朝日が当たる方向を向いており、もともと赤っぽい岩盤を彫っているのだが、早朝と夕方は、光で美しく茜色に染まることで有名。

左は夕方の写真。もっと粘れば、もっと美しい色に染まったかもしれない。



エル・ハズネとは「宝物庫」の意味。

ベドウィン達が、素晴らしいもの=エジプトのファラオという発想で、昔から「ファラオの宝物庫」と呼んできたとか、ナバタイ人達が、宝物を貯蔵していた場所ともいわれている。

とはいえ、本当は、この建物が何だったのかは分かっていない。
宝物を探してみたものの、なにも発見されなかった。
わたしたちが行ったときは、入口前を発掘していた。何か分かるといいが。

今のところ、有力なのは死者を葬った霊廟とする説と、神々を祭る神殿だったとする説。

この建物は、赤い岩盤を彫って作られており、
高さは30m、幅は25m。

もともとは、美しいレリーフで飾られていたが、顔はイスラムが破壊したのか、あまり残ってはいない。
それでも、十分、美しいが。



                              アウター・シーク

エル・ハズネから、更に進むとローマ時代の市街地へ進むことになるのだが、その途中の道をアウター・シークというらしい。

このあたりも、両側の岩肌にナバタイ人の墳墓が掘り込まれている。

その中で、ナバタイ人の特徴がよく出ているか、と思ったのが左。

ちょっと分かりにくいかもしれないが、墳墓となっている建物の上部に、中心から左右に昇る階段のような模様が彫られている。これは故人が天国に昇るための階段、ということでナバタイ人が好んだ様式らしい。サウジアラビアのナバタイ人の遺跡として有名なマダイン・サリでも、よく見られるそうだ。


                                          ローマ劇場

ローマの市街地は、開けたところにある。

市街地の入口付近にあるのが左のローマ劇場。

もともとナバタイ人が作っていたものに、ローマ人が柱などを増築したらしい。

収容人員は、本によって、5000とか7000とか。

ローマ劇場の向かい側の岸壁にも、岩をくりぬいた墳墓が並ぶ。



            大寺院

ローマ劇場からは、ローマ都市の遺跡らしく、列柱道路が続く。
列柱道路の脇には水路の跡も残っている。

その先にあるのが、この大寺院。
ペトラの主神を祀っていたらしい。

結構、保存状態がいい。

この先にレストハウスがある。食事は結構、いい。



                              エド・ディル

エド・ディルは、ローマ時代の市街地を抜けて、岩山を登ったところにある。

階段、実に900段。

しかし、ペトラに来たからには、やはり足を伸ばしたい遺跡だ。

岩山を登り切ると、エド・ディルが左のような姿を現す。

ぱっと見は、エル・ハズネによく似ているが、規模としては、エド・ディルの方が大きい。

高さ50m、幅45m。

2階建てなのは、エル・ハズネと同じだが、こちらは、屋根の部分も彫り込まれている。
そのため、エル・ハズネより建物、という印象が強いが、やはり、これも岩肌を彫り込んで作られたものだ。
ナバタイ人は、そのような建築方式を好んだらしい。



エド・ディルを正面から撮ってみた。

少し光ってしまったが、大きさはなんとなく分かってもらえると思う。

この建物は、もともとはナバタイ人の神殿だった。その後、キリスト教の修道士達が住んだこともあったらしい。

エド・ディルは修道院という意味。

かっては建物を飾っていたであろう装飾が残っていないのが寂しいが、立派な遺跡である。




                          ローマ兵の墓・ライオンのモニュメント

ローマ市街地の左手には、ローマ兵の墓・トリクリニウム・庭墓などの墓石群がある。

左は、その中の、どれか・・・。
残念なことに、名前を示す標識などがないのだ。


このような墓が、いくつか点在しているのだが、このあたりは、ペトラでも、まだ、あまり整備されていない。

こういった墳墓だけでなく、ペトラを広く見渡せる場所も多いので、もう少し整備して欲しいものだが。




こちらは、おそらく、間違いなくライオンのモニュメント

とはいえ、あまりライオンには見えない。

もともとの像が破壊されてしまって、一部しか残っていないから。

このモニュメントは犠牲祭壇の裏側にある。






                               犠牲祭壇


犠牲祭壇は、ライオンのモニュメントのあるところを登ってくるか、ローマ劇場の手前の道を登ってくるか・・・ともかく岩山の上にある。

かなり道は辛い。

犠牲祭壇は、かって、天に生贄をささげた場所らしい。
それらしき石の跡などが残っており、祭事を行った場所であることがわかる。

しかし、むしろ、ここの魅力は、その見晴らしのよさだろう。
ペトラの遺跡を見下ろすだけでなく、ペトラ観光の拠点であるワディ・ムーサの町も見ることができる。

左は、犠牲祭壇から見下ろしたペトラの遺跡

岩肌に彫られた墳墓群などが、わかってもらえるだろうか。





ペトラは、やっぱり、凄い遺跡。エル・ハズネやエド・ディルはともかく、建物の素晴らしさというよりは、やっぱり、ロケーションのよさか、とも思うけど。遺跡観光をしてるだけで探検気分になれるのはいいかも。


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