エフェソス

エーゲ海最大のローマ遺跡エフェソス。
エーゲ海に面した街イズミールから76キロの位置にあるこの遺跡は、かっては海に面した貿易都市だった。
紀元前11世紀にイオニア人が街を築き、古代ギリシャの植民地としてエーゲ海屈指の都市に発展し、以後、アケメネス朝ペルシャの時代にはペルシャのエーゲ海支配の拠点として、アレキサンダー大王が登場してからは大王の12将の一人の支配下に、そしてその後は、ローマ帝国の支配下に・・・と次々と支配者を変えながら、貿易の拠点・商業都市そして文化都市として栄え続けた。

エフェソスの語源は「地母神の王国」という意味の「アパサス」に由来する。この大地母神信仰とギリシャのアルテミス信仰が結びつき、エフェソスでは大地母神アルテミスの信仰が盛んとなった。紀元前625年に完成したアルテミス神殿はフィロスの世界七不思議の一つとしてピラミッドに劣らぬと賞賛された巨大かつ壮麗なものだったという。

アルテミス神殿は、今では柱を1本残すのみだが、ローマ時代のエフェソスの街並みは今も世界中の観光客で賑わっていた。


                                        オデオン(音楽堂)

遺跡入口から入ってすぐのところは、かっての行政地域。

集会や選挙などの政治的活動を行っていたステートアゴラ(行政広場)、金融取引所としても機能していた聖堂そして音楽堂でもあり議事堂としても使用されていたオデオンが密集している。

左は聖堂からオデオンを見たところ。
オデオンは小さめのローマ劇場といった雰囲気だが、かっては屋上に木製の屋根がついていたらしい。




                                         メミウスの記念碑

オデオンから進むと、ローマ風の柱などが、いたるところにごろごろとしている。

アルテミス神に捧げる聖火をともしていたというプリタニオンの跡を過ぎると、見えてくるのが左のレリーフ。

これはメミウスの記念碑といって、エフェソスがローマ帝国に反旗を翻したときに虐殺されたローマ市民を悼むための記念碑とのこと。

紀元前88年、ローマ帝国の重税に苦しめられていたエフェソスの市民が暴動を起こし、ローマ人を虐殺したのだけれど、ローマ軍によって、結局、暴動は鎮圧された。
で、暴動の際、犠牲になったローマ市民の霊をなぐさめるために、この碑がたてられたとのこと。

結局、ローマ帝国の勝利に終わった重税抗議活動。
その後も重税は続いたんだろうか。
エフェソスの豊かさゆえの悲劇だったんだろうね。




                                          ドミティアヌス神殿


左はかってはエフェソスの街でも最大級の神殿だったといわれるドミティアヌス帝神殿。

いまは数本の柱が残るだけだけれど、かっては巨大な円柱が連なる壮麗な神殿だったらしい。
たしかに、柱の太さは、かっての偉容を示すものといえるかもしれない。


なんでもドミティアヌス帝というのは1世紀後半に皇帝に即位したものの、後に独裁的な政治を行い、ついには奥さんに暗殺されてしまったというローマ皇帝で、死後は元老院に功績を全て否定され、皇帝の像もすべて破壊されてしまったとのことである。

この皇帝の遺跡はほとんど残っていないので、ここエフェソスの神殿跡は貴重な存在なんだとか。






                   ヘラクレスの門・ニケのレリーフ

ヘラクレスの門(下左)とニケのレリーフ(下右)。
「ヘラクレスの門」という名前からは、もっと猛々しいレリーフを想像していたのだけれど、案外、大人しいヘラクレスの門。少し離れたところに置いてあるニケのレリーフは、かってはこの門を飾っていたらしい。ニケのレリーフは人気の記念撮影ポイントで、各国からの観光客がひっきりなしに記念撮影をしている。横に座るとちょうど、ニケに勝利を祝福されている感じになるからか。レリーフは、かなり彫りが深い。




                                            クレテス通り
                                          

オデオンから、エフェソス遺跡の華であるセルシウス図書館へと続く通りが「クレテス通り」。

途中に、ヘラクレスの門とか見どころが多く、昔も今も、この賑わい。

この写真だとよくわからないけれど、道のつきあたり、木の影になっているところに図書館がある。

それにしても、円柱あり、彫刻ありの、いかにもローマ風というか素敵な通り。



                                             トラヤヌスの泉


人が多くて分かりにくいかもしれないけれど、左がトラヤヌスの泉。

もともと正面に泉があり、それを3面で囲む形に2階建ての建物が建てられていた。

2階部分が少し残っている。

ここからは多くの彫刻が発見されている。







                                             ハドリアヌス神殿


ハドリアヌス神殿は2世紀のローマ皇帝ハドリアヌス帝に捧げられた神殿。

この神殿は、どもかくレリーフが美しい。

左は正面入口付近のレリーフ。

奥の建物で両手を広げているのはメドゥーサ

そして、手前のアーチ型の中央にはわかりにくいかもしれないが、ティケ女神の胸像のレリーフが彫られている。
細かい模様も美しい。



                                             セルシウス図書館


左の2階建ての建物がセルシウス図書館。
図書館の右にあるのは、マゼウスとミトリダテスの門。

エフェソスは、もともとエーゲ海地域で2番目の哲学学校があり、学問の中心でもあった。
この図書館は、エフェソス遺跡の華でもある。

もともとは、ここはローマ帝国のアジア州執政官であったセルシウスの墓所であった。彼の息子が父の墓所の上に、父の業績を記念するために図書館を建造したのである。

蔵書数は1万2千。

木造部分は消失しており、現在、残っているのは、正面部分だけといってもいいが、修復も進んでおり、素晴らしい。当時、学問は男性にしか許されなかったので、この図書館を利用したのも、もっぱら男性だけだったはずだが、かなり美しい建物だ。

上の写真の人の大きさからも分かるだろうが、図書館は、かなりの規模である。
近づいて見上げると、その天井部分も美しい。




図書館の1階部分には4人の女性像が飾られている。


女性達は、それぞれ、知恵・運命・学問・美徳を象徴しているとか。

オリジナルはウイーンの博物館にあり、ここにあるのは、コピーということだが、それでも十分、美しい。



この図書館のすぐそばに、実は、娼婦の館がある。
当時の娼婦というのは、女性でありながら、知性と教養にあふれていたのだそうだが、面白いのは、この図書館と娼婦の館が地下道でつながれているという噂。
本当かどうか分からないけれど、この手の噂というのは、なぜか世界各地の遺跡で聞くなあ。





                                                 古代広告

図書館から娼婦の館を経て大劇場に通じる道に、娼婦の館の広告といわれるものが残っている。
足の形とハート形はなんとか見えるだろうか。
実は、足型の横には、女性の顔が、その下にはお財布が彫られていて、
女の子が待ってるよ。お財布持って来てね。真心こめたサービス、という内容だとかなんだとか。
この足型は、これより小さな人は立ち入り禁止という年齢制限の意味だとか、この道の左手に娼婦の館があるという意味だとか。
(でも、女性の顔は女神像であって、神殿への案内図だという説もあるそうだ)。



                                                 大劇場



劇場は、エーゲ海沿岸地方では最大規模。

収容人数は2万5000。

舞台から客席の最上段までは60m。
古代は、この劇場から港が見えたのだと思う。
現在は、海岸線は何十キロも離れてしまっているが。


実は、この大劇場は聖パウロのキリスト教布教に対する反対運動が起きた場所でもある。
聖パウロは、65年から68年までの3年間、エフェソスで布教活動を行ったが、アルテミス信仰が盛んなこの地で、アルテミス神像を売って大きな利益を得ていた職人達の怒りをかったのだ。

もっとも、後に、エフェソスにはヨハネに伴われた聖母マリアも住み、マリアはここで亡くなったとされている。




エフェソス遺跡は、ともかく人が多かった。隠れ世界遺産との評判も高いが、これだけの遺跡で、なぜ世界遺産にならないのか、トルコには他にも遺跡が多いからか。

この遺跡には美しい建造物だけでなく、実は公衆トイレの跡とか(もちろん洋式。みんなが座ってて写真に撮れなかった)、修復中だったのでよく見られなかったものの、モザイクで有名なテラスハウスとか見どころは多い。

遺跡の周囲には、聖母マリアが亡くなった場所とされる教会や、聖ヨハネの墓所でもある聖ヨハネ教会、わずか一本の柱だけを残すアルテミス神殿など見どころが多い。博物館には有名なアルテミス像をはじめ、美しい彫刻が多く必見。


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