3日目・イースター島初日
昨晩は夜の10時にホテルを出て、空港へ。あれ〜、タヒチ一周ツアーで一緒だった人たちが何組かいるじゃあないですか・・。聞いてみたらホテルも同じ。日本語ガイドさん頼んでるというし、それじゃあ、きっとイースター島では一緒に廻るんじゃないのなどと話しながら搭乗手続き。
イースター島への飛行機は0:30出発の予定だったけど、約30分遅れで離陸。イースター経由チリのサンティアゴ行きの飛行機ということで、乗ってる人はほとんどチリ人かな・・・。あんまり大きな飛行機ではないし、海の上は気流が悪いらしく、結構揺れる。でも、揺れに負けずに爆睡。
飛行機が高度を下げ始めたころ、目が覚めた。
窓から覗いても、見えるのは海だけ・・イースター島どこよ、と思っていたら、かなり高度が下がったところで、お、見えてきた。見えてきた。
・・・なんというか、荒涼とした風景。
木がほとんどない・・お天気があんまりよくないからなのかもしれないけれど、いかにも「絶海の孤島」というイメージ。
飛行機が空港に降りるとき、ほんの一瞬だったが、海を背にするモアイの後姿が見えた・・・。わあお。ついに、ついに、イースター島だ・・。
時計を見ると、タヒチを離陸してから約4時間半。タヒチ時間だと早朝の5時25分だけど、イースター島だと午前9時25分。なんか、もう時間がぐちゃぐちゃ。日本が何時かとか考えたくないな。うん、考えないことにしよう。眠いし。
着いた空港はマタベリ空港というらしい。飛行機を降りて、歩いて空港の建物へ入るのだけど・・・う〜〜〜ん、建物小さいねえ。小さいだろうとは予想してたけど、予想以上の小ささ。
イースター島の大きさは小豆島と同じ(といわれても、よくわかんないけど)で、人口は約3800人ということらしい。ともかく、色んなものが小さなところなのは間違いないみたいだ。
結構寒い。タヒチは赤道に近いから感じなかったけど、さすが南半球。冬なんだね、やっぱり。う〜重ね着しないと駄目かな。
入国審査を終えて、ロビーに出たところで、これから数日間お世話になる日本人ガイドさんのお出迎えを受ける。ガイドさんも、結構厚着してる・・・やっぱ、重ね着必須だな。
ガイドさんによると、同じホテル・同じツアーを利用する日本人が他にも結構いるらしく、ちょっと待っててね、とのこと。集まった顔ぶれは、予想通りタヒチで一緒だった人たち。これから4日間、よろしく〜〜。
空港を出たのが10時半、車に乗り込んでホテルへ。
・・・空港の付近は舗装してあるけど、ありゃひどい道と思ったら、ホテルへの入口でした。5分。
これから4日間お世話になるのは、タハタイ・ホテル。
日本人ガイドさんの奥さんが勤めているホテルなんで、ホテルでも日本語で話が通じる。ああ、楽〜。
平屋建てのホテルだけど、結構・・というか、予想より、全然いいや。
試してみるとお湯も出るし。
清潔感があって、うれしい。
荷物をほどいてから、重ね着して、お昼を食べに別棟にあるレストランに。
庭を歩いてたら、にゃんこがおりました。
なにげに声かけたら、みゃ!と言って寄って来た。
人懐っこいなあ。かわいいから写真撮ってやろうと思ったんだけど、足元にマトワリ付きすぎて撮れないじゃないかっ。おまけに前足でわたしの足にタックルかけてきた(う〜〜ん、かわいいっ!!)
これからレストランに行かないといけないんだよ〜ごめんね〜と言っても着いてくる(ますます、かわいいっつ!)。
でも、にゃんこ、レストランの入口で困ってる。従業員さんが、コーティ〜駄目よ〜と言っている(と思われる)。
コーティ、という名前みたいだ。ホテルで飼ってるのか? どうやらレストランに入ってはいけないと躾けられているみたい。それで入らなかったんだ〜。お利口だねえ。
猫もかわいいし、なんか、いいじゃないか、イースター島。寒いけど。
お昼おいしかった。観光は3時から、ということで、2時間くらいあるし、どうしようかな、と思っていたら、あっという間に爆睡しておりました(汗)。ちゃんと起きられたのは奇跡だ(汗)。
3時にホテル出発。小豆島の大きさしかないというイースター島にはハンガロアという村が一つしかない。初日の今日は村から近いポイントを観光することになってる。
オロンゴ儀式村
まず向かうのは、島の南西部にあるラノ・カウ火山の頂上にあるオロンゴ儀式村。
イースター島は火山噴火でできた島だとのことで、島中火山だらけ。なんでも、これから行くラノ・カウ火山と島の北にあるテレバカ火山、それに島の北東のポイケ半島というところにあるプアカテキ火山が噴火して3つの島ができ、それが隆起してイースター島になったらしい。ラノ・カウ火山は火口に湖があって、その湖の直径は1・6kもあるとのこと。もっとも、山といっても湖からの高さは200mしかない。イースター島で一番高いテレバカ火山でも506mなんだそうだ。
オロンゴ儀式村に着いたのは、3時20分。ハンガロア村から車で約20分くらいということかな。あんまり道はよくなかった・・。車を降りると海が迫っている。儀式村は海に面した崖の上にあるわけだ・・。風が凄く強い。
「儀式村」というのは、「鳥人儀式」が行われていたところ。鳥人儀式というのは1500年ころからイースター島で行われていた儀式で、頭が鳥、体が人の鳥人を神として崇拝するもの。
イースラー島というとモアイが有名だけど、モアイは18世紀ころには倒されてしまい、それ以後は、この鳥人儀式が盛んになっていたんだそうだ。
毎年、部族の中から選ばれた者が、ここから断崖を駆け下りて、海の中にある島に渡り、その年最初の渡り鳥の卵を取って戻ることを部族間で競う。で、最初に持ち帰った部族の長がその年一年、島を支配するんだそうな。ここには、その儀式の時に使った石造りの家や鳥人・マケマケという神などのレリーフが彫られた岩がたくさんある。
左上は、儀式用の家と雨水を貯めた石。家は風除けのためなのか入口も小さい。儀式の間、ここで膝を抱えて寝ていたんだそうだ。かなり窮屈そう。
右上の島に渡り鳥の卵を取りに行く。手前から、モツカオカオ・モツイチ・モツヌイという名前。
島は近そうに見えるけど、ここは海流が早く、おまけにサメがうようよいるそうな。断崖から身を乗り出してみると、波が凄い・・・砕け散ってるよ。こわ〜〜い。こりゃ、命がけのレースである。それなのに、レースで勝った本人ではなく、その部族長が島を支配するっていうのは、ずるいぞ、部族長。
イースター島についての本を見ると、このオロンゴで、海に面した岩に彫られた鳥人のレリーフと後方の島を狙ったアングルの写真が多い。
撮りたかったんですがね・・・。
実際に来て見ると、鳥人のレリーフ、かなり見にくい・・。風雨にさらされて、かなり状態が悪くなってるんだと思う・・。
左の写真は結構、よく本に出てくるもので、横向きの鳥人が上下に二体彫られてるんだけど、はて、分かるでしょうか。
肉眼だと、かろうじて輪郭が分かるんだけどなあ。
丸い頭に大きな丸い目、それにでっかいくちばしが付いてるんですが・・。
下の鳥人の手なんかは見えるかなあ。
自由時間に、ちょっとラノ・カウ火山に登って見る。
登るといっても、儀式村は頂上付近にあるから、ほんのちょっと高いところに登る、という程度なんだけど。
でも、ちょっとでも登っただけでも、位置関係がよく分かるなあ。
写真の右が海・・・左が火口湖。葦が生い茂って湖面はちょっとしか見えない。
儀式村は、火口の縁にある。
う〜〜ん、なんともいえず、いい雰囲気です。
いいなあ、ここ。
写真じゃわかんないけど、凄い風が吹いてるんですよ。風で服がばたばたするくらい。
ちょっと小雨もぱらついて、そのせいか、海の青さがより神秘的になっているのかな・・。
1時間かけて観光したけど、もうちょっとのんびりしたいなあ。風、強いけど・・。
聞くところによると、お天気が悪いと霧が出てしまって、3つの島を見ることもできないらしい。4日間、イースター島に滞在しても1日も島が見えなかった・・ということもあるらしいから、小雨がぱらついたとはいえ、運が良かったのかな。
展望台
次は火口湖(カルデラ湖)の展望台に移動。儀式村からは車で10分。
ところが・・・雨がいきなり凄くなってきた。あっという間に、土砂降り・・・。
ついさっき、運がいいと思ったところなんだけど、あんまり運がよくないのか(涙)。
8月というのは、イースター島は冬で、天気もあんまりよくない時期ではあるらしいけど・・・。
火口湖自体は、儀式村からもよく見えるんだけど、この展望台には、比較的保存状態がいい鳥人のレリーフが残っているとのことで、雨の合間に車から降りて速攻で写真撮ってみました。
確かに、体の部分はよく見える。頭は・・・くちばしは分かるかも。でも、変なかっこ・・。
土砂降りの中、今日、最後の観光ポイントであるアフ・ピナフに向かう。アフというのは、モアイが置かれている祭壇のことで、モアイがあるところは、みんなアフ・〜と呼ばれている。
途中、ハンガロア村や左右に海岸線が見える展望ポイントとかもあるんだけど、雨のせいか、霞んでしまっていて残念。写真に撮ったら飛行場くらいしか写らなかった。飛行場はNASAのスペースシャトルの緊急時着陸用でもあるらしいけど、いまはチリ本土からお医者さんを乗せて来た飛行機が一機あるだけ〜〜。
アフ・ピナフ
雨宿りなどで時間を取られたからか、アフ・ピナフに着いたのは5時20分。ラノ・ラク火山の東側の海岸にアフ・ピナフはある。正確には、2つの祭壇・・NO1とNO2がある。もっと色気のある名前にすればいいのに。まあ、雨も小雨になったことだし、いよいよ、モアイとご対面〜。
まずは、NO1と呼ばれるもの。
ここは、祭壇の石組みが南米インカの石組みに似ているんで有名ということ。
手前に埋もれたちっこいモアイがおります。わたしが近くで見た最初のモアイちゃんがこれ。
うう。ちょっと寂しいかも。風化が凄いし・・。
もともとは、石組みの祭壇の上に、モアイが6体くらい乗っていたらしい。
石組み、確かに、インカに似ているように見える。
近くに寄って写真を撮ってみる。
う〜〜ん。インカに似ているのは間違いないけど、クスコなんかに比べると、かなり大雑把・・・だよねえ。
この石組みはイースター島の人たちが南米から来たという説の有力な根拠になっているらしい。
イースター島の人たちの起源についてはポリネシア人説が有力なんだけど、これだけインカに似ているんだから南米から来たんだっ!という人がいるんだそうだ(ヘイエルダールとか)。
DNAからはイースター島の人たちはポリネシアンとされているんだそうだ。つまり、タヒチなんかと同じね。そこで、このインカ風石組みなんかをどう考えるか、なんだけど、元々はポリネシアンで、後々、南米からの影響もあった、とするのが素直なんじゃないのかなあ。
このアフの作られた年代は1500年ころで、インカの黄金期とも重なるらしい。だったら、黄金期に威勢のいいのが海に乗り出したんじゃないかなあ。ちなみに、火口湖に生えている葦はトトラ葦・・・南米ティティカカ湖に生えている葦と同じ。
それにしても、ここのモアイはなんか寂しいな。
顔が地面に埋まってたりするんだけどね、モアイらしいモアイはないのかなあ、と思ってたら
実はモアイはたくさんありました。
左の写真にも、モアイはたくさん写っています。
さあ、モアイはどこでしょう・・・。
・・・・みんな倒されてるんですよ。
うつぶせに・・・。
近寄ると、こんな感じ。
上の写真の、なんかでっかい石がモアイ。
確かに耳とかがかろうじて分かる。
覗き込むと、鼻とか見えることは見えるんだけど。
知らなかったら、でっかい石が転がっているとしか見えないよね。
モアイ倒し戦争というのがあって、そのとき、イースター島のモアイは、ことごとく倒されてしまったんだそうだけど。
簡単にまとめると、イースター島には、昔、支配階級のエエベ族(長耳族)と被支配階級のモモコ族(短耳族)がいて、エエベ君がモモコちゃん達にモアイを作らせたりしていたんだけど、18世紀後半、モモコちゃん達がエエベ君を倒し、それと並行して、部族間の争いも盛んになって、各部族のモアイが倒されまくったらしい。この島を訪れた西洋人の記録では1770年には倒されていなかったモアイが1774年には倒されていて、島民も飢餓状態であったというので、たぶん、このモアイ倒し戦争は1770年から1774年までの間の数年の出来事なんだろう。でも、島中のモアイが倒されていたというのは、勝者がいなかったということなんだろうか・・・。
それにしても、倒れたモアイ。
転がるプカオ。
あ、プカオというのは、モアイの頭に乗っている赤いやつね。帽子だとか、当時の髪型だとか言われているもの。
なんつうか、諸行無常という感じですなあ。
モアイ倒し戦争の後、島民が飢餓状態だったというのは・・・どんな悲劇がこの島を襲ったのか。
う〜ん。
凄い風に吹かれながら、波の音が聞こえる遺跡を見ていると・・・・オロンゴといい、なんというのか、雰囲気ありすぎというか、寂しすぎるというべきか。
気がつけば、もう6時。夕闇が迫っているから、余計、物寂しいのかな。
明日は、イースター島観光のメインであるラノ・ララクやトンガリキを廻るんだけど、お天気は大丈夫だろうか。
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