中米10日目・メキシコシティ・テオティワカン


いよいよ、今回の旅行の最終日だ。早いなあ。今日はメキシコシティ市内観光の後、今回の旅の最終地テオティワカンを尋ねる予定。



        カテドラル

メキシコシティはスペイン人がアステカ帝国を征服した後、アステカ帝国の都ティノチティトランの上に作られた街だ。

スペイン人はアステカの神殿や宮殿を破壊し、その上に自分達の教会や宮殿を建てた。もちろん、インディヘナを酷使して。

このカテドラルは中米最古かつ最大級の教会だが、アステカ帝国時代のケツァルコアトル神殿の上に建てられている。
現在のメキシコの人々は敬虔なカソリック信者が多く、この日も多くの人たちが祈りを捧げていた。少し、複雑な気分。



         国立宮殿

カテドラルのすぐそばに、国立宮殿がある。

この宮殿はアステカ帝国時代の宮殿の跡地に、植民地支配の本拠地として建てられたものだが、現在はメキシコの歴史を描いたディエゴ・リベラの壁画で有名。

今では奥さんのフリーダの方が有名かもしれないが、これは彼の傑作のひとつなのだろう。
かってのアステカの都市の繁栄振りや、スペイン植民地時代のインディヘナ虐殺やメキシコ革命を描いた壁画は見ごたえがある。

右はアステカ時代の都市の賑わいを描いたもの。




カテドラルや国立宮殿があるソカロはメキシコシティの中心地として観光客が多いため、当然、お土産屋さんもたくさん出ているし、左みたいに伝統風の踊りを披露する人たちもたくさんいる。

スリが多い場所でもあるけど、やはり、こういう場所が一番楽しい。







      グアダルーペ寺院
ソカロの次は、メキシコ最大のカソリックの聖地であるグアダルーペ寺院へ。
ここは、なんと聖母マリアが現れ、教会を建てろと伝えた場所。

聖母はインディヘナの目撃者に薔薇の花を(12月という季節なのにもかかわらず)与え、彼がその薔薇の花をマントに包んで教会に届けると、なんとそのマントに聖母の姿が浮かび上がった。

このような奇跡から、当然、聖母を祭る教会が建てられ、今では2万人を収容することができる近代的な大聖堂となっている。

マリアが浮かび上がったというマントは、なんと見ることができる。動く歩道に乗って・・(信者が感極まって立ち止まってしまうといけないから、動く歩道にしているんだって)。
しかも、写真も撮れる。
もっともフラッシュ禁止だから、よく写らないんだけど・・・。


このグアダルーペの聖母は褐色の肌をしている。
そもそも、この場所は、アステカの聖地で、アステカの「神々の母」と呼ばれる女神が祭られていたそうな。
ということは、先住民の神と聖母が融合したような存在なのかも。神々の母とキリストの母ということで重なったのか。
実際、グアダルーペの聖母の大祭である12月12日には、アステカの衣装を身にまとった人たちがアステカの踊りを舞うのだそうだ。

写真は参拝記念写真用のディスプレイ。



         テオティワカン
昼食の後、いよいよ、今回のツアー最後の観光。テオティワカンへ。

もちろん、ここも2度目である。メキシコ旅行でテオティワカンが入っていないツアーってあるのか、というくらいのメキシコの目玉だし、メキシコシティからも車で1時間ちょっとのところと足もいい。

しかも、この馬鹿でかい遺跡は、遠くからでもよく見える。

テオティワカンは最盛期の人口が新大陸のみならず全世界レベルでも最大級だったという巨大遺跡で、ティカルを始めとするマヤを征服・支配してたのではないか、という説があるくらい圧倒的な影響力を持った都市である。なのに、なにも分かってないに等しいらしい。住んでいた民族すら分からないというのだから。

ただ、雨の神に関連する絵画などがかなり残っているので、ここでは雨の神信仰が盛んだったことは間違いないと思う。

でも、その雨の神に関連してるらしい絵画やレリーフがみんな変わってて、たとえば、ほら貝を吹くジャガーとか、くちばしから雨をもたらしているオウムとか・・。

で、左のナニがなんだかわからないのは、テオティワカンの花と呼ばれるレリーフと、ほら貝とジャガーが合体した雨の神だかなんだか。
半地下の古い神殿で建物内にあるので暗いとは思うけど・・・わかりますかね?

ほら貝にジャガーの耳が(小さいけど)ついてて、目と鼻、口なんかもついてるんだけど。
まあ、いわれても、そうかあ・・・というくらいで、よくわからないんだけど。

ジャガーはオルメカから続く雨の神なので、オルメカの影響とかも、もちろん、あるんだろうなあ。


このように雨の神が色々ある一方で、テオティワカンにはケツァルコアトルのピラミッドもあってケツァルコアトル信仰もあったことがうかがわれる。でも、この神殿は埋もれた形で発見されているので、そこにケツァルコアトル信仰に対する迫害なりがあったのではないか、と空想が膨らむのだけれど、なんと、なんとケツァルコアトルのピラミッドは修復工事が始まってしまって入れないらしい。しょ〜〜っく。

せめて、太陽のピラミッドと月のピラミッドに登ってと思えば、な〜〜んと月のピラミッドは調査が始まったので途中までしか登れないとか、だぶるしょ〜っく。

左が、途中までしか登れない月のピラミッド。

まあ、ピラミッドといっても、ほとんど「山」ですが。

途中までしか登れないものだから、みんなそこで座って眺めてます。

もちろん、わたしも、そうした・・・けど、やっぱり頂上まで登ったときの快感と眺望に比べると、格段の違いだなあ。
残念。でも、ピラミッドの階段は登りやすく修復されていたような気はするけど。




ということで、当然、次はテオティワカン最大のピラミッドである太陽のピラミッドに登ることに。

なんせ、高さ65m、もはや、完全に「山」といっていい。

階段は248段。
始めはなだらかなのだけど、段々と左のような傾斜になってくる。

うう。疲れる。
ここメキシコ中央高原の標高は2300m。
人によっては高山病で倒れるという高さなものだから、空気が薄い。
ここで、248段は厳しいですぜ。

まあ、テオティワカンのピラミッドは途中で何回か休むところがあるのが救いですが。

ぜえぜえと、休みつつ登れば、月のピラミッドを初め、テオティワカン全体を見渡すこともできる。




頂上で、しばしぼ〜っとしてから、時間があるので、今度は、太陽のピラミッドの真下でぼ〜〜っとしてみることにした。

太陽のピラミッドの下の広間にある基壇によりかかって、見上げてみたんだ。

でかいなあ。

すごいなあ、


これを作った人たちは、どこから来て、どこに行ったんだろう。

長い歴史の流れというものを、煙草を吸いながら、ちょっと考えてみたりして。
こういうひと時が、一番の贅沢かも、と思ってみたりする。

今回の旅も、これで終わりだなあ。



ということで、長く、ひたすら暑かった中米4カ国の旅もお終い。翌日早朝の飛行機でメキシコシティを離れ、ダラス経由で成田へ。
あ。そうそう、テオティワカンについては、月のピラミッドに頂上まで登れて、ケツァルコアトルのピラミッドも見ることができた前回の旅の写真と合わせてアルバムを作ったので、興味があったら見てください。
                                テオティワカンのアルバムを見る

あこがれのティカルやコパン、それになかなか行けないベリーズの遺跡にツアーで行くことができたのは、ほんとに幸せだった。
グアテマラは、もう一回行きたいね。ううん、2回目のメキシコもよかった。パレンケにもう一度行きたいなあ、とか思い始めてしまった。

だけど、だけど、やっぱり次は乾季にしよう。いくらお花が綺麗でも、雨季のジャングルは想像を超えてたから。

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