7日目・ダマスカス
パルミラを後にして、ダマスカスに向かう。朝7時半にホテルを出て、ひたすらダマスカスを目指す。
パルミラはダマスカスから約230K。
バスは、乾いた大地を飛ばしていく。
右は、途中で見たバグダット方向を示す道路標識。実際、バグダッドに向かうトラックには何回もすれ違った。イラク復興資材でも積んでいるのか。
平和になれば、ここからバグダッドも、すぐなのだろう。
トイレ休憩を挟みながら、バスは道を飛ばす。
そのうち、いままでくっきりはっきり見えていた風景が、なんとなく、ぼわんと霞み始めた。なんか、臭い気もする。
実は、これはダマスカス市のスモッグだったのである。うへえ。
バスは3時間ほどで、ダマスカス市内に。最初に行ったのが、国立博物館。あのマリからの出土品や、ドゥラ・エウロポスのシナゴーグ壁画(あの遺跡に、こんな凄いものがあったとは信じられな〜い、というくらい凄い)とか、パルミラの地下墳墓とかモザイク壁画(とっても奇麗)とか、それに有名な世界最古のアルファベットとか、見所満載で、1時間半では回りきれない。これは一日は必要な博物館だ。ゆっくり見たいなあ。駆け足観光になってしまうのが残念。
続いては、城壁に囲まれたダマスカス旧市街観光。世界遺産である。
まずは、聖アナニア教会。
実はダマスカスは、キリスト教会が数多い。キリスト教が世界宗教になる最大の功労者パウロ関係の場所が多いのである。
パウロといえば、元々はキリスト教徒を迫害する立場だったけど、エルサレムからダマスカスに向かう途中で突然強い光に襲われて落馬。目が見えなくなってしまう。で、ダマスカスにいたパウロのところに、イエスから啓示を受けた信者のアナニアがやってきて、彼がパウロの手に触れると、パウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになった。感動したパウロはその場で改心し、アナニアから洗礼を受けて、以後、伝道に励んだのである。
・・・という絵が、この教会には、いっぱい飾ってあります。
この教会は入口から地下に降りる形になっていて、ちょっと洞窟みたいな雰囲気(左)。
この教会のそばには聖パウロ教会という教会もあって、そこにはパウロが落馬した時の像が入口に飾ってある。
昼食後、この2つの教会のそばの「まっすぐな道」という道路を歩く。
この道は、アナニアがパウロのところに向かう途中に通ったという聖書にも書いてある通りなんだけど、実際には、まるっきり普通の道。
それに、いまは、もう、まっすぐではないような・・・。
右は、まっすぐな道沿いにあった絨毯屋さん。
ううむ。全く、普通の道です。
再びバスに乗って移動し、左の場所へ。
城塞前のサラディン像。
実は、このあと、幾つかの場所を観光してからスークで自由時間となり、その後の待ち合わせ場所がここに決まったの(笑)。
実際、待ち合わせには格好の場所である。迷子になっても、サラディン・サラディンといえば、連れてきてもらえるだろうという配慮。
十字軍からエルサレムを奪還したアラブの英雄にして、十字軍からも騎士道精神を称えられたサラディン。かっこいいのお。
まずは、このサラディンの廟を見学するのだが、ここは写真撮影禁止。
緑色の光に満ちた、とても美しい霊廟。
アラブの人たちに、今でも、大事に大事にされているんだね。
銅像の背景は十字軍の攻撃に備えて作られたという城塞。
聖書に出てくる地名やら、十字軍の時代の城塞やら、さすがに歴史のある都市。
実際、次は、世界最古のモスクにて、かつ、イスラム教第4の聖地であるウマイヤド・モスク観光。
ウマイヤド・モスクのある場所は、もともと、古代から聖地とされ神殿が建てられていた場所。
その後、キリスト教の聖ヨハネ聖堂が建てられ、更に、その後、イスラム最初の王朝ウマイヤ朝が705年から建築を始めたのが、このウマイヤド・モスクというわけ。完成は715年。つまり10年かかったということ。
このモスクは、まず広い。
ミナレット(尖塔)が3つある。イエスの塔。カイト・ベイ塔、それに花嫁の塔。
中に入るには、さすがにイスラムの聖地だけあって、わたしら女は黒いベールを着用しなくてはならないんだけど・・これが暑い。しかも臭い。む〜。
でも、このモスクの中は広くて、絨毯が敷き詰められていて、とっても、いい雰囲気。
思わず、くつろぎたくなるところ。
聖ヨハネの首が納められているという堂もモスク内にある。
聖ヨハネはイスラム教でも聖者なんである。
イスラム教とキリスト教の関係って面白い。
それにしても、このモスクの装飾は奇麗。
面白いのは、緑・植物がモザイクのモチーフとして取り入れられていること。
特に木の模様が効果的に使われている。
正面(右上)の木々のモザイクや、内部の美しい天井・壁画(右)・・・結構、見とれます。
写真も、モスク内部は撮れないんだけど、庭に面した場所は撮影OKなので、かなりフィルムを使ってしまう。ぱちぱち。
次は、アゼム宮殿。
宮殿といっても、正確にはオスマントルコの総督。いわば地方行政官だけど、内部の装飾の豪華さからオスマントルコが、いかに金持ちだったかがよくわかる。
いまは民族博物館になっているんだけど、部屋の中に噴水があったり、豪華豪華。
手入れの行き届いた中庭もすてき。
そして、ここからが自由時間。
スーク(市場)散策である。
といっても、さすがは歴史の街ダマスカス。
スーク入口からしてローマ遺跡である(右)。
シリアの学生は歴史を学ぶの大変だろうなあ。なんせ、歴史が長すぎるもの。
実際の入口は、右の写真の右奥。
アーチの部分が、入口。
スークは高いアーケードで覆われていて、とてもでかい。
アレッポのスークとは規模が違う。
・・・でもなあ。
観光客の買物としては、アレッポのスークの方が楽しいかも。
いえね、ここにも色んなお店があるんだけど、どちらかというと値段が高そうなものが多い。
民族衣装のドレスとかも売っているのだけど、見るからに高そう。買っても、あんまり着る機会はなさそうだし。
でも、貴金属とか、いいものを買おうとする人には、いいかな。
それと結構、面白いものも多い。
右の写真はスカーフ屋さん。
さすがイスラム国家である。
シリアは、あんまり戒律は厳しくないらしく、女性もスカーフをしているくらいの人が多いのだけど・・・更に、お洒落に、ということか。
サラディン像の前でバスで拾ってもらってから、ホテルに戻る前に、市街を見下ろせるカシオン山に行くことに。カシオン山・・・キリスト教徒なら、世界で最初の殺人があった場所と思い起こす場所・・カインがアベルを殺害したといわれる場所である。
実際は、小高い山です。アサド大統領のお宅も見えます。でも、上の方には、アサド大統領の秘密の場所(軍事基地)があるから、行けないの。射殺されたくないもん。
ということで中腹から眺めるダマスカス市街は、かなりでかい。しかし、スモッグが立ち込めていることも、一目でわかる・・・うう。臭いわけだよ。まあ、夜景は奇麗なんだろうな、きっと。
ホテルに戻ったのは6時半くらいだったか・・・。
どうも暑さと、なにより排気ガスの臭いにやられた気がするので、夜の散策もせず、部屋で休むことにした。
ホテルは、シリアで最も豪華なホテルだったと思う。
部屋に「世界のホテル」という本があった。このホテルも選ばれているよ、という宣伝らしい。日本の帝国ホテルなんかも載っている。
へえ〜と思いつつぱらぱらめくっていて気がついた。目次のイスラエルの部分が黒く塗りつぶされ、イスラエルのホテルの部分が奇麗に切り取られているのである。
やっぱり、ここはシリア。ゴラン高原の問題もあるし。パレスティナ問題が解決しない限り、平和なんて無理なんだろうか。
ちょっと、深刻になって、お酒飲んで寝た(深刻にならなくてもお酒は飲む)。
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