5日目・ブハラ


早いもので、もう今回のツアーの折り返し点。とはいえ、今回のツアー、これから毎日が世界遺産である。

今日は世界遺産のブハラの街を一日観光することになっている。ウズベキスタンの世界遺産といえば3日目にヒワでイチャン・カラを見たけれど、ヒワに比べるとブハラはずっと大きくて立派な街だ(ホテルも急に立派になった)。

ブハラは、西のヒワから約500キロ弱、東のサマルカンドからは約270キロ(更に東のタシケントから約560キロ)という場所にある。乱暴に言えばウズベキスタンの中央付近にあるといってもいいかも。
ティムール帝国が衰退してから、ズベキスタンには西にヒワ・ハーン国、中央付近にブハラ・ハーン国、そして東のフェルガナ盆地を中心にコーカンド・ハーン国が成立したわけだが、ブハラはブハラ・ハーン国の首都でもあった場所だ。

ブハラの歴史は紀元前まで遡る。もともと「ブハラ」というのはサンスクリット語の「ヴィハーラ(僧院)」から来ているらしい。アラブ人たちが入って来る前は、ソグド人達の繁栄の中心地で、中国の古い本では「不花刺」として登場するとか(なんか、かっこいいね)。

一言で言えば、ブハラはサマルカンドと並ぶ古い歴史を持つ街で古くから商業・交易の街として栄え、イスラムが入ってきてからはイスラムの中央アジアの中心地としてモスクやメドレッセ(神学校)がたくさん建てられた、ということらしい。



カリヤン・ミナレット(カラーン・ミナレット)周辺
見どころの多いというブハラの街だけれど、まずは街の象徴でもあるというカリヤン(カラーン)・ミナレットを目指すこととなった。ホテルから9時にバスに乗って出発。アルク城という標識を見て、あ〜お城だ〜と騒いでいたら、あっという間にカリヤン・ミナレットに着いた。お城の近くなのね。時計を見ると9時5分。歩いてもこられたな。


カリヤン(カラーン)ミナレットは、砂漠の灯台とも言われた高さ46m、中央アジアで最も高いミナレット。

建てられたのは12世紀。

このミナレットはほとんど色タイルが使われていない。煉瓦の組み方だけで繊細な模様を浮き出した美しくて独創的なミナレットだ。

ミナレットとして街の人たちに礼拝を呼びかけるという本来の使用方法の他に、ここの明かりで砂漠を進むキャラバン達の目印になるように利用されたり、更には罪人を突き落とす処刑場としても利用された。

面白いのは、13世紀にチンギス・ハーンがブハラを破壊したとき、ここを訪れたチンギス・ハーンが帽子を落としてしまい、帽子を拾おうとして思わず、この塔に頭を下げてしまったことから、「チンギス・ハーンに頭を下げさせた塔」として破壊を禁じた、という逸話があることだ。
実際、ブハラでチンギス・ハーンに破壊されなかった数少ないもののひとつらしい。




このミナレット、カリヤン・モスクとモスクに面して建つミル・アラブ・メドレッセという神学校の間に建っている(正確に言うと、モスクとはつながっているけれど)。

モスクとメドレッセ、更に、その間に建つミナレットは見ごたえがあって、ボスラの見どころの一つであることは間違いないだろう。

できれば3つの建物を1つの画面に納めたかったんだけど・・・ミナレットはもちろん、モスクもメドレッセもかなり大きな建物で、一生懸命後ろに下がっても無理でした・・・。
いいカメラなら可能かもしれないけれどね。

仕方なく、別々に撮りました

右の写真は、カリヤン・モスクとカリヤン・ミナレット。
カリヤン・モスクの青いタイルはとっても綺麗だ。
空の青さに負けない見事さ。




カリヤン・モスク


モスクは16世紀に建てられたもの。

モスクの門をくぐると、広い中庭があり、正面に美しい青いドームを持つ建物があり、中庭を囲む形で回廊が廻っている。

この回廊部分だけでなく、中庭をも使うと1万人が礼拝できるんだそうだ。

この回廊部分は208本の柱で支えられ、丸天井となっていて、屋根は288もの丸屋根で覆われている。

この規模はサマルカンドのビビハニム・モスクにも匹敵するとかで、中央アジア最大級のモスクといえる。

大きいだけでなく、品のある美しさだなあ。
本当は、このモスクからミナレットに登ることができるらしいんだけど、ちょうどミナレットが修復中とのことで登れませんでした。かなり見晴らしが良さそうなんだけど、残念だなあ。




ミル・アラブ・メドレッセ


モスクを出て、向かい側にあるミル・アラブ・メドレッセに。

ミナレットとは、ご覧のような位置関係。

16世紀に作られたメドレッセ(神学校)で、モスクの隣に作られたのは、礼拝の後、すぐに勉強に戻れるように、との考えからだとか。

朝方なので、ちょうど逆光になってしまってるけれど、こちらの建物も青いタイルが美しく、大きさもモスクと張り合うくらいの巨大さ。
下にいる人の大きさからも巨大さが分かってもらえると思う。




こちらはミル・アラブ・メドレッセを正面から見たところ。

激しく逆光ですが、実際にはとってもきれいな建物です。

なにより、2つの青いドームがステキ。

ただ、地球の歩き方によると、3000人以上のペルシャ人奴隷を売り払ったお金で作られたことから、「このメドレッセの土台は煉瓦や粘土ではなく、人々の涙と血と悲しみだ」と記録されているとか。う〜〜ん。

今でも神学校として使用されていて内部は見学できないんだけれど、入口付近の天井には創建当時のオリジナルが残っている。


実は、このモスクもメドレッセも1920年にソ連の爆撃で破壊されたものを、ウズベキスタンの人たちが修復したものなのだとか。メドレッセの方はソ連時代も中央アジアで数少ない神学校として許されていたらしいけれど、モスクの方は倉庫にされていたというからひどい・・・。独立後のいまはモスクも本来の姿に戻って信仰の場として使用されている。

ただ、ここの子供の物売りは、やたらしつこい。ウズベキスタンで初めてだ、こんなにしつこいの。




タキ


ミル・アラブ・メドレッセのすぐ裏手に、ドームのついた面白い形の建物があった。これは「タキ」と言われるバザール。

交差点を屋根で覆った建物で、かっては、宝石商で賑わっていたらしい。
ラクダが通れるように天井も高い。

今はほとんどがお土産屋さん。
レーニンの旗とかロシアの勲章?らしきものや、スパイスなんかも売ってたりした。

このタキを抜けると、ウルグベク・メドレッセとアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセが向かい合って建っている。

振り返るとミル・アラブ・メドレッセの青い2つのドームとカリヤン・ミナレットが屋根の向こうに見えた。




ウルグベク・メドレッセとアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ

タキを抜けたところに向かい合って建つウルグベク・メドレッセとアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセは建てられた時期が200年も違う。

ウルグベク・メドレッセは15世紀に建てられたもの。ウルグベクというのはティムールの孫でティムール帝国第4代の皇帝であると同時に科学者として有名だった人物。教育に力を注いだということで、このメドレッセを始め、各地に多くのメドレッセを残した。このメドレッセは中央アジア最古のものだそうだ。

アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセはウルグベク・メドレッセより200年も経って17世紀に作られたもの。その時代背景からインドのムガール帝国やオスマントルコの影響も見られるといわれるもの。(そういえばムガール帝国もティムールの子孫が拓いたんだよね)
こちらのメドレッセの内部は今はお土産物屋さんになっている。おじさんがウズベキスタンの楽器で弾いてくれた島歌はステキだった。


左下はウルグベク・メドレッセの入口のタイル ちょっと地味目だけどステキ
右下はアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ内部の天井 この下でお土産売ってる




チム(ティム)とタキ
この後、チム(ティム)と呼ばれる屋根つき市場へ。タキが交差点の上に屋根を葺いて建物になっているのと違って、これは道に面した建物内部が市場になっている、というもの。
どこの市場にも屋根があるね。陽射しの強い地方だから、人の集まる場所に屋根が付けられていったんだろうなあ。ここも天井が高い。


このチムはアブドゥールアジス・ハーンのチムという名前。
さっきのメドレッセと同じ人が作ったんだね。

今はシルク・バザールになっていてウズベキスタン独特のアトラスという鮮やかな柄のシルクを作ったり(実演してる)、売ったりしてる。

アトラスというのはご覧のとおり原色で超派手。


水面に写る日没時の太陽の光りを写したもの、とか色々と由来があるらしいけれど、余りに鮮やかでめまいがしそうだ。

キレイだけど、どうしたって、この柄には負けるよなあ。使いこなす自信がありません。

ウズベキスタンの人たちは、この柄で普段着を作ってるんだけど、負けないのは空が青いからかな。
添乗員さんによると、普段はここらへんまで来たところで暑さでみんなへばってるものらしいけれど、今日は現段階で34度。乾燥しているから、日本よりずっと涼しく感じて過ごしやすい。元気に観光を続けるのであります。
次は帽子屋のタキといわれるバザール。
今は、すっかりお土産物屋さんになっている。

ウズベキスタンのお土産としては、さっきのアトラスという柄のシルクの他に、スザニという布が有名。

左の写真の下の方にかかっているキレイな柄の布がそれ。
この模様は刺繍。もちろんハンドメイド。
各地独特の模様や色があるとのこと。

このスザニはウズベキスタンのお土産として、かなり人気があるらしい。

写真の真ん中に写っているのは帽子。ヒワ地方の毛皮でできた帽子をここでも売ってた。

他に有名なお土産といえば陶器かな。
楽しいものが多くて一度自由時間にすると、誰も帰ってこなくなる(笑)。




マコギ・アッタリ・モスク

タキから少し歩いたところに、マコギ・アッタリ・モスクはある。

舌を噛みそうな名前だけれど、「マコギ」というのは「穴の中」という意味。

実際に、このモスクは1936年に砂の中から発見されたもので、周囲の地面より5mも低いところに建っている。

昔、ブハラにアラブの勢力が入って来る前は、ここはゾロアスター教の寺院があったらしい。
アラブが入ってきてからモスクとなったものの、その後も何回か破壊と修復が繰り返されたらしい。

写真正面は12世紀の入口。
写真右には5m高い16世紀の入口がある。
内部に入ると、地下のゾロアスター教寺院の跡を覗くことができるんだけど、正直、暗くてあんまりよく分からなかった(笑)。



またもタキ(タキ・サラファン)

マコギ・アッタリ・モスクを出ると、すぐにまた、タキが見えてきた。

青いドームがついたタキはタキ・サラファン

本当に、この街はタキが多いなあ。
キャラバンが行きかう交易の中心だった、というのがしのばれます。
いまは、ほとんどがお土産屋さんだけど。

このタキは「両替商のタキ」と言われていたんだそうだ。

なんでも、このすぐ先にキャラバンサライ(隊商宿)があって、そこで休むキャラバンの人たちが近くのここで両替をしたんだって。

実際、このタキを抜けると、キャラバンサライ(今は、お土産屋さん)があって、更に、キャラバンサライの前はラビ・ハウズという人工の池があり、そこに日輪の中に人の顔を描いていることで有名なナディール・ディバンバギのメドレッセ等が建ち並んでいたのであります。



長くなってきたので、続きは後編でまとめてみました。
                        
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