7日目・サマルカンド後編

ホテルに戻って遅い昼食をとったんだけど、食事中に停電になったのはちょっと困った。停電多いらしい。午後はアフラシャブの丘、ウルグベク天文台跡、シャーヒ・ジンダ廟を観光する。なんか濃いなあ。


アフラシャブの丘


アフラシャブの丘は、チンギス・ハーンによって徹底的に破壊された旧サマルカンドの跡地。余りに徹底的に破壊されたことから、人々はこの地での再建を諦め、隣接する現在の場所に街を再建した。旧市街からバスで約15分くらいのところにある。


現在のアフラシャブの丘は、ご覧のとおりの状態で、昔の石畳の道が残っていたり、宮殿跡かなあ、という小高い丘があったり、かっての堀跡と思われる谷のような場所があったりするけど、正直、考古学者でないわたしには、よくわかりません。

ああ、諸行無常だなあ、などと感じたりはするものの、羊が放牧されているのか、羊の糞が足元にはころころしてるので、それも注意しないといけない。

でも、ここでは紀元前4世紀のアレクサンダー大王の時代から13世紀にチンギス・ハーンに破壊されるまで11の層が発掘・確認されている。

かって、ここは「マラカンダ」と呼ばれ、6〜8世紀ころはソグド人達のシルクロード交易で繁栄した。

その後、トルコ系・モンゴル系・アラブ系など様々な民族が入って来るのだけれど、隣接する博物館では、こういった民族の交流を示すものがたくさん展示されている。



この博物館で、もっとも有名なのが8世紀の壁画。かっての王宮を飾っていたものらしい。

左下は宮殿に向かう使節団の壁画の一部。白い象に乗った王女を先頭とする使節団で、これはソグド人を描いたのではないかと言われている部分。
右下は中国から来た姫が舟遊びをしているところ。画面の下には母鳥が子供達に餌をあげているシーンが描かれている。
この壁画はウズベキスタンの他の博物館に模写が展示されているのだけれど、ここのものがオリジナル。昔は暗くてよく見えなかったというけれど、今は結構、よく見えるように展示されいる。でも、目で見たときは、こんなによくは見えなかったな。写真の方がよくわかる。

他にも、ここにはゾロアスター教の祭壇や、アラブ人が入ってから素焼きが色つきに変わる様子などが展示されている。



ウルグベク天文台跡

お次は、ウルグベクの建てた天文台の跡を見学する。
ウルグベクという名前はウズベキスタンに来てからティムールの名前の次くらいによく聞く名前。ティムールの孫であり、ティムール帝国4代の皇帝だった彼は、天文学者で教育にも熱心で、サマルカンドは彼の時代に最盛期を迎えたと言われている。
ただ、教育熱心で科学を重視したことで保守層からの反感を買い、実の息子に暗殺されてしまう。彼の首が斬られていたことは遺骸から確認されていて、悲劇の王様なんである。
でも、現地ガイドさんに言わせると、王様としてはちょっとね、とのことでした。戦争はいまいちだったのかもしれない。
天文台跡地には、ウルグベクが作った天文台の基礎と六分儀の地下部分が残っている。

これは20世紀まで埋もれていたのをロシア人が発見・発掘したんだそうだ。

六分儀というのは、よくわからないんだけど、当時は望遠鏡とかなくて(?)、これで天体を観測したらしい。
ウルグベクが計算した1年は今の計算と1分以下の誤差ということで、彼は他にも1000以上の星の観測記録も残していて、これは当時、世界で最も正確な天文記録だったらしい。

隣接する博物館では、彼の偉業が説明されていて、彼は世界10大近代科学者だかにコペルニクスとともに選ばれているとのこと。

うわあ、そんなに凄い人なんだ。

コペルニクス並の天文学者だったとしたら、皇帝としての戦闘能力まで求めるのは酷なんじゃないか。

かってのイスラムは西洋文化を凌駕していたということは、よく聞くけれど、わたしたちって、西洋人の学者の名前は知っていても、イスラムの学者の名前については無知で恥ずかしい。ウズベキスタンでは色々な場所で学者の像が飾られていて学者を尊敬していることがうかがえます。





シャーヒ・ジンダ廟群

本日、最後の観光は、シャーヒ・ジンダ廟群。ここには9世紀から20世紀にかけて多くの霊廟が建てられている。

「シャーヒ・ジンダ」というのは「生ける王」という意味。アラブ・イスラム教が最初に入ってきたときの伝説がある。なんでもムハンマドの従兄であるクサム・イブン・アッバースがイスラム教の布教のためにこの地に来たのだけれど、当時はゾロアスター教が盛んだったこともあって、襲われて首を斬られてしまう。しかし、彼は自分の首を抱えて、この地の井戸に入り、そこで行き続けているのだとか。

このクサム・イブン・アッバース廟を始めとして、ティムールの妹や妃、部下など数多くの霊廟が建ち並んでいる。

ウルグベクが作ったという霊廟群の入口の門をくぐると、「天国への階段」と言われる階段がある。この階段で行きと帰りの数が同じならば天国に行けるらしい。行きと帰りで数をきちんと数えましょう。普通は行きも帰りも数は同じになるはずなので(笑)。

階段のところから、綺麗な2つの青いドームが見える。ティムールの先生か乳母の霊廟と言われているものらしい(左下)。

そして、階段を登りきると、いきなり両側にタイルの美しい廟群が現れる。あんまり広くない道を挟んで、美しい廟が建ち並ぶのは見事。修復中のものがあるのが残念だけど(右下)。


階段を登ってすぐのところにある廟は、ティムールの部下や妹・姪の廟らしい。ティムールの妹の廟や姪の廟は特に美しいと言われているらしいけれど、正直、廟が多すぎて、後で写真を整理してても、どこがどこだか分からない(汗)。みんな、それぞれに綺麗だ。ただ、メモにはティムールの妹の廟について「金が貼ってある。透けているように見える」とのメモがある(笑)。

現地ガイドさんに言わせると、「ガイドでも地図がないと、どこがどこだか分からなくなる」とか(半分、冗談なんだろうけれど)。


更に進むと、ちょっと広いところに出る。

ここにも、こんな風に廟が並んでいる。

それぞれドームに特徴があって面白い。左から3つ目のドームなんかは、かなり変わった形をしている。未完成に終わった廟で、ティムールの部下の将軍のものらしい。

ただ、開けた場所といっても、廟の反対側は、やっぱりお墓らしいんだよね。ただ、廟がないだけで・・・。

この写真の奥にクサム・イブン・アッバース廟への入口がある。



クサム・イブン・アッバース廟の入口は「天国への門」と呼ばれている。その門を入るとすぐのところに、古代のゾロアスター教の寺院の跡が残っている。そこを抜けて、奥に入ったところに廟はある。ここはチンギス・ハーンにも破壊されなかったということで、サマルカンドで最も古い建造物。この透かし窓の向こうに、クサム・イブン・アッバースが入っていったという井戸があるんだそうだ(左下)。

内部を見て出て来たところで、地元の人たちが天国の扉に向かってお祈りを捧げていた。おじいちゃんを中央に、一族なんだろうか。みんなでお祈りしている(右下)。


クサム・イブン・アッバース廟の先は、もう突き当たりで3つの廟が並んでいる(左下)。この裏手にはソ連時代の墓所がある。

見学を終えての帰り道。反対側から霊廟群を見たところ(右下)。こっちから見た霊廟群も綺麗だなあ。

ということで、本日の観光終了。凄い濃い一日でした。現地ガイドさんに言わせると、今日は凄い涼しい一日だったらしい。涼しいから、これだけ観光できたけど、暑かったら、ちょっと厳しいかも。

それにしても、サマルカンドは、さすがだ。写真撮りまくったので、明日の写真が心配。メモリー持つかなあ。明日の観光は午前中だけなんだけど・・・。




ウズベキスタン8日目に進む

ウズベキスタンの旅日記TOPに戻る

旅日記と遺跡レポートのTOPに戻る


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送