チチェン・イツァ


チチェン・イツァはユカタン半島北部に位置する大遺跡である。河川ができない石灰岩質のユカタン半島においてはセノーテと言われる泉が人々の暮らしに不可欠だったが、チチェン・イツァには2つのセノーテがある。チチェン・イツァという名前自体が「イツァ家の泉のほとり」という意味があるそうだ。
このチチェン・イツァは、6世紀から7世紀に栄えた旧チチェンと、10世紀になってメキシコ高原のトルテカ族が流入してから、その影響を受けて栄えた新チチェンとからなっている。

マヤの伝説では、987年、西から来た偉大な王ククルカン(羽毛のある蛇)がイツァ家とともに国を治めたとされ、他方、メキシコ高原の伝説ではトルテカ文明の黄金期を築いたケツァルコアトル(羽毛のある蛇)が、968年、政敵に破れトゥーラを離れ、東(マヤの地)に去ったとされる。この王は神と同じ名前を持ち、神と同一視されていたらしい。
この年代の近さからしても、これらの伝説が何らかの歴史的事実を反映したものであるのは間違いないのだろう。しかし、チチェン・イツァに影響を「与えた」とされるトルテカのトゥーラの遺跡より、このチチェン・イツァの遺跡の方がはるかに立派で格調があるのはなぜなのだろう。

新チチェン

新チチェンは、マヤの文化にメキシコ高原のトルテカ文化が影響を与えて形成されたマヤ・トルテカ文明の遺跡である。もともと、メキシコ高原の神であったククルカン(ケツァルコアトルのマヤ語)・戦士・生贄のどくろなど、そのいくつかは血生臭ささえ感じさせる。しかし、他方で軍事国家ならではの機能美というものがみられる。不思議な空間。

                                 カスティーヨ(ククルカンの神殿)  

遺跡に入って、すぐ目に飛び込んでくるのが、有名なカスティーヨ。

高さは24mと、それほど大きいわけではないが、暦の意味を持つことで有名。


すなわち、四方から上部の神殿に登る階段を持ち、各階段は91段、それを4倍した364に神殿の基壇1段を加えると365と一年の日数となる。

更に、ピラミッドの基壇の数は9つで、それが中心の階段で2つに分かれることから18となるが、この数はマヤの一年の月の数。


更に更に、春分の日と秋分の日には、ピラミッドの基壇が作る影が神殿から降りてくる蛇の形を作る。
上の写真の左手の階段に蛇は浮かび上がるのだそうだ。

そして、左の写真が蛇の頭。
この頭につながる姿で蛇の形が現れるらしい。
ピラミッド自体に羽毛のある蛇が隠されていることを考えると、ククルカン(羽毛のある蛇)の神殿という名前の方が正しい気はする。
羽毛のある蛇というのは、地を這う蛇と空を飛ぶ羽の合体ということで、天と地をつなぐものという意味があるという説を読んだことがあるが、単に「羽毛のある」というのは「尊い」という意味であるとの説もあるようだ。

階段を登るのは、馴れないとかなり怖い。

しかし、この階段を登った神殿部分には、羽毛のある蛇のレリーフの残る柱や人物のレリーフなどが残されているし、なによりも、ジャングルの中の遺跡全景を見渡せるのは最高。
また、このピラミッドの内側には、赤いジャガーの玉座とチャックモールが隠されている。




                                       戦士の神殿と千柱の間

左は、ククルカンの神殿から見た戦士の神殿と千柱の間。

中央の戦士の神殿を囲むように、柱が立ち並んでいる。

この戦士の神殿は上部に頭を下にし、しっぽを空に向かって跳ね上げた羽毛の蛇の石柱と、いけにえの心臓を供えたというチャックモールという人物像があり、それがトルテカ文明の遺跡であるトゥーラ遺跡にもあることから、よくトルテカ文明のチチェン・イツァにおける影響を物語るものとされる。


とはいえ、2002年12月の段階で、既に、この戦士の神殿には登れなくなっていた。

左の写真は2002年に下から写したもの。
2004年に訪れたときも、あいかわらず登ることは禁止されており、無視して登った男性が注意を受けていた。

チャック・モールは下からは見えないが、下から見上げた様子からも、写真で見るチャック・モールの姿からも、どう見ても、素人目にはチチェン・イツァの方がトゥーラより立派。
戦士の神殿の前の柱には、戦士のレリーフが残っており、一つ一つみていくと楽しい。



                                    球戯場とジャガーの神殿

ククルカンの神殿から見た、球戯場とジャガーの神殿。

チチェン・イツァの球戯場は、古代メソアメリカ最大の大きさと言われている。
長さは168m、幅68mという巨大さで、この写真でも、せいぜい半分くらいしか写せない。

写真中央の2階建ての建物はジャガーの神殿といわれる建物で、1階は球戯場の反対方向を向いているが、2階は球戯場の方を向いている不思議な建物。1階部分に、とてもジャガーとは思えないかわいいジャガーの石像があるので、こう呼ばれる。柱や壁のレリーフが美しいので必見。
地上から見た球戯場。

ともかく広い。

広いだけではなく保存状態も非常にいい。
ボールを通したと言われる石の輪が残っているだけでなく、レリーフも数多く残されている。

特に、競技者の首が切られ、そこから7匹の蛇が飛び出し、花さく植物が生まれるというレリーフは有名。
この首を切られているのが、ゲームの勝者なのか敗者なのかは、説が分かれている。

更に、音響効果がすばらしい。競技者達の声が聞こえるようにするためらしいが。



                          ツォンパントリ

球戯場のそばに、ツォンパントリというT字型の基壇がある。

ツォンパントリというのは「頭蓋骨の棚」という恐ろしい意味。

生贄の頭蓋骨に穴を開けて棒を通して並べたとか・・・。
この基壇には頭蓋骨がびっしりと彫られているのだけれど、この上に果たして本当の頭蓋骨が並べられたのか・・・。

ククルカンというのは人間を生贄にすることに反対した神ということなのだけれど、どうなっているのか。

                                        鷲とジャガーの基壇

ツォンパントリのすぐそばにあるのが「鷲とジャガーの基壇」と呼ばれる建造物。

ここには壁面に心臓を食べるジャガーと心臓をつかむ鷲の姿が幾つもレリーフで彫られている。
人間の心臓を捧げることが太陽の運行のために必要だったというトルテカの影響であるのは間違いない。

鷲とジャガーは、昼と夜をあらわすと同時にトルテカの戦士集団のシンボルでもあり、後のアステカ帝国にも引き継がれた。


                                    聖なる泉セノテ

チチェン・イツァにはセノーテという泉が2つあるが、そのうち、遺跡北側にある泉は、特に「聖なる泉」と言われている。

この泉は、雨乞いの儀式にたびたび利用されていたらしく、調査の結果、人骨とともに多くの貴金属が見つかっている。

つまり、聖なる泉は生贄の泉でもあったことになる。

しかし、この泉に対する信仰はかなりのものがあったらしく、この泉を目指しての巡礼もあったとのこと。

もともと、チチェン・イツァとは「イツァ家の泉のほとり」との意味だということは前記したが、その「泉」が、まさに、この泉だったのだろう。


いまは、泉の水も少ないが、見下ろすと、なんともいえない恐ろしさがするのは気のせいか。



                  


旧チチェン
旧チチェンは遺跡の南部にある。生贄を思わせる頭蓋骨などが目立つ新チチェンに対し、旧チチェンは雨神であるチャックなど、伝統的なマヤの様式が目立つ。
ウシュマルなどにも通じるプウク様式の建造物は新チチェンとは違う穏やかさがある。

  カラコル
旧チチェンの建造物の中で、おそらく最も有名なのが、右のカラコル。新チチェンの時代に改築されたらしい。

天文台であったといわれる建造物である。
建造物の窓から、春分の日と秋分の日などを観測することができたらしい。

パレンケにも天体観測の役割をした塔はあるが、この塔は円筒形をしている。その内部構造から「かたつむり(カラコル)」と呼ばれているらしい。このような構造の建築物はメソアメリカでは他に例がないということだ。

現在は内部に入れないのが残念。

    尼僧院・教会


遺跡の一番南端に尼僧院・教会と呼ばれる建物が密集する一画がある。

この一画は、600〜800年に建てられたもの。

尼僧院・教会というのは、後にスペイン人が名づけたもの。ウシュマルにも尼僧院と呼ばれる建物があるが、確かに雰囲気は似ている(ウシュマルに比べて、ずっと狭いが)。

もともと何のための建物だったのかは、わからないらしい。




右は尼僧院を正面から見たところ。

建造物は、雨神チャックで埋め尽くされている。

建造物の右端を見ると、チャックの長い鼻が残っているのがわかる。

入口の上には、マヤ文字が綺麗に残っている。







尼僧院という建物は、高い基壇の上に建っている。

裏手に回って見たところ。

モザイクが美しい。












チチェン・イツァはともかく大きな遺跡だ。1回目に来たときは3時間半くらいかけて見学したのだが、それでも、もっと時間が欲しかった。1日かけて、ゆっくりと見たいものだ。
トルテカの影響については、好き嫌いがあるだろうし、生贄の儀式を思わせるものには嫌悪感を抱く人も、もちろんいるだろう
。しかし、そうはいっても、ここチチェン・イツァが異なる価値観を持った過去の人たちの偉大な遺跡であることは間違いがないはずだ。

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