ペルー2日目・ウルバンバ渓谷

今日は3時に起きて(寝坊しなかったよ!)、朝6時30分の飛行機でリマからクスコに飛ぶ。太平洋岸の平地から一挙に3350mの高地に移動するわけである。もっとも、今日の観光は高度順応のためクスコ近郊のウルバンバ渓谷なのだけど、そこだって2800m以上の高地だし、宿泊地は2970mなんである。うう。


不安を胸に飛行機に乗り込んだんだが、眼下に広がるアンデスの山々に、あっという間に難しいことは忘れてしまう能天気のわたし。

雪を抱いた山々は、5000m以上・・。
わ〜お。

そして、ついたクスコ空港では、高山病に効くというコカ茶が振舞われ、フォルクローレの生演奏がコンドルは飛んでいくを奏でる。
早足で歩こうとすると、どきどきする(ような気がする)けど。
ともかく、これからはインカな日々が始まるのだ。うふ。
まず、高度順応のためクスコからウルバンバ渓谷に向かう。この渓谷は、「聖なる谷」とも呼ばれている。クスコより高度が低いため、多くの農作物も育つし、大事なところだったらしい。


  チンチェーロ遺跡

最初に行ったのが「チンチェーロ遺跡」。
う〜ん。この写真(右)だと、どこが遺跡だ、っていう感じだけど・・・。
これはインカの石組みの上に建てられた教会。基礎の赤茶色の部分がインカの石組み。

インカ10代皇帝の城もしくは要塞だったといわれる。
ここの遺跡は後から行くオリャンタイタンボやサクサイワマンに比べて規模は小さいんだけど、教会の裏に回ると広い段々畑のような場所に出て、ここが要塞として機能したことがよく分かる。
広々として、なんか気持ちがいい。

チンチェーロ遺跡を離れ、バスで移動は続くのだが、途中、至るところで見事な畑を見ることができた。
思わず撮った何枚かの1枚がこれ(左)。
南半球のペルーは日本とは季節が逆。だから、日本のGWは、ペルーでは夏が終わり冬に向かう時期であり、しかも、ちょうど雨季から乾季への移行時。そのため、ちょうど収穫期なんである。
山の斜面を見事なほど耕している。で、色が違うのは斜面の高さによって違う作物を育てているかららしい。
南米原産の食べ物といえばジャガイモとトウモロコシ(これは中米説もあるけど)だけど、ジャガイモは4000m以上の高地でも育つ。トウモロコシはそれより低いところ、更に低いところでは綿というように、高度によって分けていたらしい。
それにトウモロコシでも色んな種類があって、一つの作物だけを作るといういことはしなかった。なぜかというと、飢饉対策なんだね。一つの作物が凶作で全滅しても、他の作物が取れるように・・・インカかしこい。
インカのジャガイモはヨーロッパに渡り、アイルランドのような痩せた土地の人口を爆発的に増やすことに貢献したけど、ヨーロッパ人は一つの作物だけを作っていたため、凶作のとき大飢饉になった・・・そうな。


   モライ遺跡

インカの農業すごいぞっ第二弾が、これ(右)。
「モライ遺跡」。

さあ、このぐるぐるは何でしょう。ちっこく見えるのは人ですよお。大きいですねえ。ぐるぐる。

・・・って、ほんとはよく分かってないらしいんだけど、「実験農場」というのが有力説(他にも祭壇だという説もあるらしいが)。この段差を利用して色んな植物の品種改良等をしてたとかしてないとか。
付近にも同じようなぐるぐるがいくつもある。よくわかんないけど、すごい。




                                    マラス

お次はこれっ!
さあ、この白いのはなんでしょう。谷間で一生懸命作ってます〜。


これは「マラス」というところの塩田。質の良さでは世界的に評価が高いらしい。
でも、なぜこんな高地に塩田が・・・というと大昔アンデスが海の底にあったときの塩が地下水を通って集められているんだという、わかるようなわかならいような説明だった。ともかく、インカのころから重要な塩田だったらしい。
ここに行くにはバスが落ちそうな細い道を通る。怖いから、寝た。




      オリャンタイタンボ


本日最後の観光がオリャンタイタンボ。

右の写真が遺跡入り口。夕方だったので、土産物屋の屋台がそろそろ店じまいというところ。
目の前の段々畑は有事には要塞となり、実際、インカ軍はここでスペイン軍を撃破している。
この段々畑の横の階段を約300段ほど登ると、左手に10の壁がんの神殿、その奥に太陽神殿があり、有名な6個の巨石が鎮座している。
行く時間はなかったが、右手にも建物があり、更に遺跡が広がっている。
それだけではない。この遺跡のあるオリャンタイタンボの村の水道はインカ時代のもの。そして、村をはさんで遺跡に面する山にも、いくつもの遺跡が見られる。貯蔵庫らしいが、かなりの数である。しかも、その山には「顔」と呼ばれるものが3つほどあり、そのうちの1つ(皇帝の顔とよばれているらしい)から冬至の日に太陽が昇り、その光が太陽神殿部分にさすというのである。
クスコの街がピューマの形で作られているということは昔から言われていることだが、このオリャンタイタンボの遺跡はリャマの形を模しているとも言われているそうだ。で、太陽神殿部分がリャマの頭、しかも目の部分にあたるらしい。

で、太陽神殿部分が左の写真。
この石が有名な6個の巨石の一部である。
建設中の太陽神殿の一部といわれている。
横からなので6個全部は写らなかったけど、人物との比較から、その大きさが分かってもらえると思う。
この巨石は、写真の後方に写っている山から切り出されたもの。しかも、この場所が300段もの階段を登りつめたところなのは説明したとおり。どうやって運んだのか。

ともかく、この遺跡は素晴らしい。夕方だったので、上手く写真が撮れなかったのが、凄い残念(まあ、基本的に下手ですが)。
できれば1日ゆっくり回りたい遺跡だ。
周囲の景色も素晴らしいし。
ということで、思わず、オリャンタイタンボのアルバムを作ってしまいました。
興味のある方はどうぞ。

   →オリャンタイタンボのアルバムを見る



ペルー観光2日目は、いきなり盛りだくさんである。しかも、この夜、初めて南十字星を見ることができた。南十字星は小さな星座だと聞いていたが、結構、大きく見える。赤道に近いから、らしい(よく分からない)。
南十字星のすぐ傍には2つの明るい星があり、その星はペルーでは昔からリャマの目と言われているらしい。リャマの目って、インカの人には思い入れのある言葉みたいだ。

・・・そして、南十字星に見とれるわたしのすぐそばを、高山病らしい金髪のおばさんが吐きながら歩いているのだった。高度2970mの夜はふけてゆく・・・。

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