シリア・ヨルダン・レバノン古代旅行


ブッシュのイラク戦争大規模戦闘終結宣言から間もないのに、シリア・ヨルダン・レバノンに行っちまうのである。危険情報については(命かかってるから)十分調べたつもり。大手のツアー会社もツアー再開だし、きっと大丈夫なんだと思う。お値段安くなって、しかも、まだ客が戻ってきていない今は、お得なんだと思う。もちろん不安はあるんだけど、やはり行ってしまおう。なんといっても中東の3Pのうち、ペトラ(ヨルダン)とパルミラ(シリア)が入っているだけでなく、バールベック(レバノン)まで回る遺跡マニア垂涎のコースなのだから。

しゅっぱ〜つ

関空からの出発は始めて。午前中、仕事に出てから羽田に回り、関空へ。深夜の便でドバイ経由でレバノンに向かう。
関空からなのは、今回の利用航空会社がエミレーツだから。待合室にはわたしらみたいな観光客はまだ少なくて、日本から帰るらしい中近東の人たちが多い。
で、彼らの日本土産で流行ってるらしいのが、「すだれ」。みんな持ってる。他にも、日本土産はありそうなものだが、みんなが持ってるのは「すだれ」。なんなんだ。「すだれ」。

で、乗り込んだエミレーツなんだけど、いやあ、金持ちは凄い凄い。エコノミーの席なのにビジネスかと思ったよ。椅子は広くてらくちんだし、テレビはもちろん一人ひとりについてるし、ゲームもいいのが入ってるし。いつも貧乏な航空会社しか利用してないからなあ。機内の冷房がかなり効いているのは、これから向かう地が涼しいことが最高のおもてなしの国だからであろう。みんなお土産はすだれだし。考えてみれば、わざわざ夏に暑いところに行くこともなかったか。まあ、酷暑期のインドに行っちまったお馬鹿だから、わたし。インドとどっちが暑いかな〜。また、50度越えちゃったりするのかな〜。あはは。

寒いけど快適なドバイへの10時間くらいのフライト。ドバイで乗り換えるんだけど、この空港も凄い。免税店では豪華高級車があたる宝くじを売ってるし、天井にはライトぴかぴかのUFOがいて、ときどき、スモークを吐くし。うう。金持ちの考えることはわからん。
豪華ドバイ空港から、飛行機乗り換えて、いよいよレバノンへ。イラク国境近いんじゃないか、と思われるサウジの上を飛行機は飛んでいく〜。


1日目レバノン

やっと着いたぜ。ベイルート。レバノン。着いたのは朝の8時。いくら快適な旅といっても、ベッドで寝ることもなく、いきなり観光が始まるのはちょっと辛いかも。

とはいえ、観光が始まれば、ちょっとでも多く見せて見せて、が客の心理。
本当は、いきなり最初の観光地に向かうはずだったんだけど、せっかくだからということでベイルート市内の簡単な観光をしてもらえた。
ベイルートは、地中海に面した街。内戦の跡なんていうのは、もうほとんどない。銃弾の跡・・とか説明を受けたが、あんまりわからなかった。印象としては、ただいま復興中、建設ラッシュというカンジである。目に付くのは、ケンタのおじさんとか、ピザハットだし。
右の写真は、ベイルート市民の憩いの場。鳩の岩。



かなりアメリカ化した街だな〜とか思いつつ、ベイルート市内を抜けて、目的地アンジャルに向かう。

レバノンはイスラム教徒だけではなく、キリスト教徒も多いし(それが内戦の原因だろうが)、教会も、結構、目に付く。スカーフすらしていない女性も多い。
・・・ベイルートを出て、バスは細いくねくねした坂道を進む。目指すアンジャルに行くにはレバノン山脈を越えないといけないんである。
アンジャルはレバノン山脈を越えたベガー高原ということころにあり、シリア国境に近い。でも、ベイルートからは1時間半くらいかな。実はレバノンって岐阜県と同じ面積なんだって。




アンジャル遺跡

ついたアンジャルは世界遺産。
しかし、はっきりいって、え。これが世界遺産??というカンジ。
一見すると・・・さびれた小さなローマの都市遺跡・・。他に観光客がいるわけでもなく、わびしくアザミみたいな花がひっそりと咲いている・・・。

ここが世界遺産となったのは、ウマイヤ朝初期の都市遺跡だから、ということらしい。簡単に言えば、ムハンマド(マホメット)没後の勢力争いで最初のイスラム帝国を築いたウマイヤ朝が、ローマの影響下に作った都市なんである。だから、ローマ帝国の都市でよく見る列柱道路や浴場跡なんかもある。



左は遺跡の中でも、比較的復元されている宮殿跡。
ちょっと線が細い印象はうけるが、きれいな建物ではある。
もうちょっと他のものも復元されれば、専門家以外でも楽しめる遺跡なんだろうな。

もともと、この遺跡はウマイヤ朝の保養所だったらしい。この写真にも木が写っているが、緑があるということで貴重な場所だったんだろう。
当時のウマイヤ朝は、東は唐の国境、西はイベリア半島まで領土を広げた時期。ここの宮殿でも、優雅な人たちが暮らしてたんだろうな。



バールベック遺跡

遅い昼食後、バールベック遺跡へ向かう。
バールベックといえば、最近こそ、ペトラとかに人気を奪われているけど、ローマ帝国屈指の大遺跡である。
フェニキア時代からの聖地であり、ローマ帝国支配後、土着のバール神とローマのジュピターが融合して作られた巨大なジュピター神殿と美しいバッカス神殿、それにビーナス神殿からなっている。

ジュピター神殿は、ローマ帝国最大規模を誇った神殿で、あの悪名高いネロ皇帝のときに完成したといわれるもの。バッカス神殿は、規模こそジュピター神殿には及ばないけど、現存するローマ神殿の中で最も保存状態がいい美しい神殿ということで有名。
期待せずにはいられない。

まずは遺跡のすぐそばにある採石場へ。

右の写真は、バールベックの神殿用に切り出されるはずだった巨石。人が乗ってるんだけど・・・ちっこすぎてわからないかも。

近くで見れば見るほど、でかさを実感。これを人間が運んだんだという凄さ。
ローマ帝国、やっぱ、凄いよね。
わくわく感が、ますます増したところで、いよいよバールベック遺跡へ。




バールベック遺跡、まずは巨大なジュピター神殿へ。
入り口の階段からしてでかい。
階段を登ってからも広い。

右は遺跡内に設けられたコンサート会場。かなりでかい会場なんだけど、ジュピター神殿の広さからすれば、ごく一部分。
この遺跡は昔から中東だけでなくヨーロッパからも芸術家を集めてイベントをしていたらしい。内戦で一時期中断していたイベントが、再び復活したんである。よかったねえ。
この広いコンサート会場を突っ切ると、いよいよ目指す巨大柱である。




右が有名な6本の巨大柱。
左手前に人間がいるんだけど、ちっこすぎてわかんないか。

この柱は世界最大20m以上。今は6本しか残っていないけど、かっては54本の巨大な柱がジュピター神殿を構成していたのである。

この柱の全景を撮るためには広い神殿を、ずずずずずっと後退しないとならない。でも、そうすると、柱の近くにいる人がちっこくなりすぎてしまう。

要は、すげえでっかいんである。




バッカス神殿はこの6本の柱の一番右側から撮ると、ばっちり写る。
でも、結構、高さがあって怖い。
柱がでっかいだけでなく、神殿の基盤もでかいので、結構高さがあるんである。

実はジュピター神殿は、でかいだけでなく、結構、柱の部分に残った天井部分とか美しいのだが、バッカス神殿は、それに輪をかけて美しい。

納得の世界遺産である。
当然、別にアルバムを作らずにはいられない。
興味のある方はどうぞ(バールベック遺跡のアルバムを見る)。


正直言って、バールベック遺跡は、長いフライトの後、へろへろ状態で見学するには、もったいないと思う。できれば、もっとじっくり見たかった。

でも、1日目から、お腹いっぱい状態である。今回のツアーでは、レバノンは一日だけで、明日はもうシリアへ移動なのだが、レバノンは古代からの要衝の地だけあって、素晴らしい。岐阜県の広さで世界遺産5つだものなあ。機会があれば、じっくり回りたい国だけど、やはり問題はパレスティナ問題だろうか・・・。


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