5日目・エフェソス
今朝も、目覚めれば窓の外はエーゲ海である。連泊が続く旅は楽。
今日は、クシャダス近郊のエフェソスを1日観光。
エフェソスは紀元前11世紀ころからギリシャ人の植民地として栄え、以後も、アケメネス朝ペルシャ・アレクサンダー大王・ローマ帝国と、常に、この地方の中心だった場所。
バスは「あの道をアレクサンダー大王が進軍してきた」などという説明を受けながら進むのである。ロマンですねえ。
見どころ満載のエフェソスであるけれど、まずは、山の上にある聖母マリアの家を観光することに。なぜ、こんなところに、マリア様のおうちがあるのかというと、エフェソスはローマ帝国の時代にも、この地域の中心地だったことから、初期キリスト教の布教の歴史を物語るものが多いというわけ。
聖母マリアの家
聖母マリアの家というのは、聖母マリアが晩年を過ごし、そこで亡くなったという伝承の地。
キリストは弟子ヨハネに自分の死後、マリアを自分の母として世話をするように託し、ヨハネはマリアとともにここに移り住んだ。
聖母マリアは、ここで64歳で亡くなったんだそうだ。
この地方には昔から、そのような伝承が残っていたそうだが、聖母マリアが実際にどこで亡くなったかは長い間、分からなかった(キリスト教は、当初はローマ帝国の迫害を受けてるし、マリアを守るためには明らかにしてはまずかったんだろう)。
なのに、なぜ、ここが聖母マリアの家とされているかというと、なんと、それはあるドイツ人女性が19世紀に受けた夢でお告げが根拠なんである。
なんでも、その女性が夢でお告げを受け、調べてみたら、夢のお告げのとおりに、6世紀の教会跡、さらには1世紀の壁も発見された。
更なる調査の結果、バチカンも聖母マリア終焉の地として公認し、現在は、この聖母マリアの家一帯はバチカンが管理している。
小さな小さな教会なのだけれど、世界中のキリスト教徒が訪れていて、中は凄い熱気である。
また、近くには聖なる泉があって、信者が小さな布をまきつけている。ちょうど、日本の神社のおみくじみたいに。
エフェソス遺跡
お次は、エフェソス遺跡である。
凄い凄い。
遺跡も凄いけど
人も凄い。
世界中から外国人が押し寄せている。
まあ、わたしも、その一人だけれど。
右は遺跡のメインストリートであるクレステ通り。
昔も今も人でいっぱい。
隠れ世界遺産と言われるだけのことはある。
実際、なんで、ここが世界遺産になってないの〜〜と思うくらい見どころが満載。
エフェソス遺跡で、一番のみどころは、右のセルシウス図書館だろうか。
もともとは、石組み部分だけでなく、木造部分と組み合わされた建物だったらしいけれど、さすがに、木造部分は残っていない(焼失してしまったらしい)。
かっては蔵書が1万2000冊もあり、この地方の文化の中心であったはずだが、実はすぐお隣が娼婦館。
図書館も男性しか利用できなかったからなのか、ここが、かっての中心街だったということなのか。
この図書館の近くに、かっては港があったとか。
エフェソスには多くの神殿跡や、大きな円形劇場、浴場跡とか、かっての公衆トイレなどなど見どころがいっぱい。
それだけではなく、右みたいなレリーフなどは、ごろごろしている。
海が見えればなあ。今は土砂の堆積が進み、海は遠くになってしまったんだけど、港があったころは、海の青さとあいまって、素敵な街だったんだろうなあ。
ということで、お決まりの遺跡のアルバムを別に作っております。
遺跡に興味のある方はどうぞ。
エフェソスのアルバムを見る
それにしても、さっきも書いたけど、なんでこれだけの遺跡が世界遺産ではないんでしょうね。
世界遺産になっているトロイは、行って見ると何もないって聞くけど、世界遺産の基準というのは、どうもよくわからない。
でも、世界遺産でなくても、こんなに人が多いんだから、世界遺産になったら人であふれて大変かも。
そうそう。この遺跡には人懐っこい猫がたくさんいる。トルコは、ほんとに猫が多い。
エフェソス遺跡を満喫した後は(今回は、もちろんローマ劇場も、しっかりと見せてもらった)、聖ヨハネ教会に移動することに。
セルチュク城
聖ヨハネ教会に向かう途中に、立派な城塞があった。
東ローマ帝国時代の城塞らしい。
トルコでは、次々と色んな時代のものが現れてくる。
ああ。もっと世界史勉強しておけばよかった。
この城を眺めながら進むと、聖ヨハネ教会。
聖ヨハネ教会
聖ヨハネ教会。
聖書には多くのヨハネが登場するけれど、ここはキリストから聖母マリアを託されたヨハネが晩年を過ごしたとされる地に建つ教会である。
不思議なほど、人が少ない。
聖母マリアの人気が高いのはもちろん分かるけれども、この聖ヨハネも12使徒の一人だし、もっと人が来てもいいんじゃないのか。
確かに、この教会は破壊が進んでいて、壁の一部と柱が残るだけではあるけれど、実は聖ヨハネの墓所もあるんである。
でも、ぽつん、としてるの。
墓所も。
キリストに最も愛された若い弟子と聞いているけれど・・・・。
エフェソス考古学博物館
聖ヨハネ教会で、ちょっと寂しいような気分になった後は、考古学博物館へ。
ここは、エフェソス遺跡からの出土品が展示されているのだけれど、実に見事。
右の女性像なんか、なんともいえず、きれい〜〜。
おもわず3枚も写真を撮ってしまった。
(写真撮影は可なのだ。フラッシュは禁止だけど)
美の女神アフロディテらしい。
他にもイルカに乗った少年像とか、少年の頭像とか、綺麗な彫刻が数多く展示されていて、かなりフィルムを使ってしまった。
美しい彫刻に囲まれていたエフェソスの街は、さぞや美しい都市だったんだろうな。
とはいえ、この博物館で最も有名なのが、下左のアルテミス像。 エフェソスといえば、必ず出て来るほど有名な女神像だ。なんど写真で見たことか。 わたしも、写真に撮る。ぱちぱち。
エフェソスは、もともと大地母神信仰が盛んであったが、そこにギリシャのアルテミス神が融合して独特のアルテミス神像が生まれている。特徴的なのは、胸にいくつもある乳房とも卵とも言われているもの。見た感じでは乳房というのは無理があるような・・・卵というほうが自然な気がする。エフェソスのシンボルがミツバチでもあったというので、これはミツバチの卵説もあって、わたしとしては、そっちに一票。
この胸の乳房だか卵だかだけでなく、足には動物がいくつも彫られていて、これらは全て豊穣のシンボル。右のアルテミス神像は頭上に柱を乗せているけれど、これもエフェソスのアルテミス神像の特徴のひとつ。
エフェソスのアルテミス神殿は、エジプトのピラミッドと並ぶ世界七不思議の一つで、ギリシャのパルテノン神殿の4倍という巨大さで有名だった。アレキサンダー大王がエフェソスに入ったときは、ちょうど再建中で、大王が自分の名を刻んだ記念碑を作れば修復費用を全部出すと申し出たけれど、エフェソスの人たちから「神である大王が他の神を祀る神殿を造るのは」と言って上手く断ったというのは有名な話。
アルテミス神殿
その有名なアルテミス神殿も残っている。
というか、残っているのは、神殿の柱一本。
他の柱は、持ち去られ、利用されてしまったとか(イスタンブールのアヤソフィアにも使われているらしい)。
これでは往時を偲ぶというか、想像するのは、ちょっと無理。
柱の上には、実は、ペリカンがとまっている。
ということで、盛りだくさんだった1日終了。エーゲ海の休日は今日でおしまい。
明日からはイスタンブールである。
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